エピローグ




 轟音を立てて、新宿駅のプラットフォームに電車が到着した。


 あれ……?

 最初にもどったの? それとも、これまで白昼夢でも見ていたのだろうか。スマホをチェックすると、あの日だ。

 あの日の、あの時間。

 女子高生の自殺に巻き込まれて、奇妙な世界に行った日。


 隣に電車を待つ女子高生が立っていた。

 短いチェックのスカートに紺色のベストを着た姿で、どこかカテリーナの面影を持つかわいい少女だ。

 

 彼女は、呆然として到着する電車を見ていた。


「あなた」


 つい声をかけてしまった。


 少女がわたしを振り返った。カバンにキーホルダーがついており、そこにSACHIKOという文字が読み取れる。


「本郷幸子さん?」

「え?」

「このプラットフォームで、何をしようとしているの」

「あの、帰りの電車に乗ろうとしているんですけど」


 声がカテリーナよりしっかりしている。

 この子は本郷幸子だ。

 天神カグヤが転生した子で、電車に飛び込み、わたしを巻き添えにして自殺した子だ。


「そう、気をつけて帰って」


 本郷幸子は不思議そうな顔でわたしを眺めた。


「あの、補導員なのですか?」

「いえ、ま、でも、そんな者かな」

「あの」

「これからも元気に生きるのよ」


 電車が停車した。扉が開く。降りる人を待ってから、彼女は車両に乗り込んだ。扉が閉じる。

 本郷幸子は、おずおずと片手をあげて、わたしに手をふった。


 電車は無事に走り去った。

 カテリーナ、あなたが強くなったおかげで、この世界のカグヤも強くなったのね。


 わたしは通り過ぎる車窓にうつる自分の顔を見ていた。慣れた顔のはずなのに違和感を感じる。

 これは、誰の顔だろう?

 永棠コハルって、こんな顔をしていたのか。


 他人の目で見る自分の顔は、思っているより美しくはなかった。

 カテリーナが美しすぎた理由もあるだろう。

 あれから、猛禽王はどうしたのだろう。どこかの空間、どこかの世界で、無事に生きているのだろうか。


 心に、ぽっかりと穴が空いたように寂しかった。


 もう二度と、会うことがないだろう。いや、あれは幻だった。ただの白昼夢だったのかもしれない。


 いや、そんなことは許せない。


 天神よ!

 聞こえている?


 最初に言ったわね。カグヤの無限転生を止めることができれば、色をつけてくれるって、今が、その時よ。

 わたしは王と会いたい。

 あの約束を叶えなさい。


 次の電車がプラットフォームに滑り込んできた。扉が開き、急いで出てきた人に、ぼうっとしたわたしは突き飛ばされた。


 よろめいたわたしを、力強い手が支える。


「ぼんやりしていると、人に突き飛ばされるぞ、コハル」


 この声、この匂い。

 振り返ると、大柄な男がいた。顔が逆光でよく見えない。


「わたしを忘れたのか、コハル」

「まさか」


 クリストフは右唇をあげて笑った。頬にできるエクボが魅力的な例の笑顔で。


「ど、どうして……」

「本物のおまえを見たいと思ってな」

「どうして」

「カテリーナから聞いた。自分のなかに、別の人がいたとな。そのものの名前はコハルだと。ここまで追ってくるのに、かなり苦労したぞ」

「カテリーナは……、生きてるの?」

「ああ、大丈夫だ。傷口はえぐられていたが深くはなかった。数ヶ月、療養してからフィヨルと一緒にオーランザンド国へ送り返した」


 数ヶ月?

 わたしはこちらに転移した時間へ戻っただけなのに、昨日、ネズミを駆除したばかりのはずなのに、あちらでは長い時が過ぎたのか。


「もったいないことを、世紀の美女なのに手放したのね。じゃあ、わたしがカテリーナみたいに美しくなくて、がっかりした?」

「確かに」と、王は笑った。

「がっかりしたな」

「まったく、怒るわよ!」


 殴りかかろうとすると、ひょいっと避けられ、慣れた様子で、王はわたしの手首を握った。そして、軽々と抱き寄せられた。

 この刺激的な匂い。

 わたしをときめかせ、戸惑いを覚えさせ、イラつかせる彼の匂い。


「怒るな、コハル。わたしには、この顔が世界一美しく見える。おまえは誰よりも魅力的で美しい女だ。さあ、戻ろう、わたしたちの世界に」

「そんなことが可能なの」

「ああ、可能だ」


 新宿のプラットフォームが徐々に歪み、色が混ざり、次の瞬間、わたしは王宮の北にある城壁の上に立っていた。


 刺激的な花の香りがする。頬にあたる風が暖かい。


 優しげな、愛おしげな視線とぶつかり、胸の鼓動が高鳴る。言葉をかけようとして、言葉にならなかった。


 黙っていると、クリストフが、「さあ、戻ったぞ」と、ぶっきら棒に言った。


「あなたは、神なの? なぜ、こんなことができるの?」

「わたしではない。話は端折るが、おまえを連れ戻せるという不思議な者に導かれた。おまえの願いを叶える約束をしたらしい」

「なあ〜〜んだ、わたしの力か」

「その生意気な話し方は、まさにコハルだな。心から嬉しく思うぞ。おまえに会いたかった」

「それは、いいけど。でも、それは、わたしにだけよ。他の女は困るわ。また、あなたの女に刺されたくないもの」


 王は笑った。


「ねえ」

「なんだ?」

「キスしたい」


 王は身体を少し離すと、わたしの顎に手をあて、優しくそっと唇に触れた。


「それだけ?」

「この続きは部屋に戻ってからにしないか」


(カテリーナ)と、呼んでみた。答えるものは誰もいない。


「どうした」

「なんでもないわ。ただ、わたしの親友を失ったから、寂しくて」

「わたし以外のものが不在で寂しいなどと言うな。嫉妬するぞ」

「バカね。怒ったの? でも、きっと、これからも、わたしに怒ることがあると思うわよ。だって、わたし、相当なわがままだから」

「そうだな」

「ええ、そう。気が強いし、適当なことも嫌い。白黒はっきりさせたい性格なの」

「知っている」

「でも、気にしないでね。わたしに怒っても、すぐ許してね」

「ああ、わかった」

「それからね」

「まだ、あるのか?」

「うん」

「明日、すべて書いてもってこい。なにもかもかなえてやる」

「じゃあ、一緒に旅行も行ける?」


 彼はため息をついた。


「明日だと言っただろう」


 王はわたしの頬に触れ、泣きたくなるほど優しいキスをした。

 世界は完璧だ。


「まだ、話したいか?」

「いいえ……」

「もう止めるなよ。この先を止められるのは拷問に等しい」


 わたしは声をあげて笑っていた。




 − 完 −







 最後までお読みくださって、本当にありがとうございました。心から感謝を申し上げます。

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【完結】わが神よ、カグヤの罪を赦したまえ 雨 杜和(あめ とわ) @amelish

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