現れた救世主




「なんともはや……、コハルさま。まったく予想を超える方ですな」


 鉄格子の向こう側にマルキュスがぶつぶつ言いながら立っていた。


「マルキュス。何をしに来たの?」

「一応、お救いに。ただ、すっかりくつろがれているご様子なのですが」

「いい仲間に恵まれたから」

「牢番」

「は!」

「鍵を開けよ。王命だ。カテリーナ妃を牢から出しなさい」


 マルキュスの隣りで畏まっていた牢番が飛び出して鍵を開け、牢内に入ると、わたしの左足首をつなぐ鎖を外した。

 立ちあがろうとするとき、牢番が小さく「ど、どうぞ、お許しください」と囁いた。安心させるよう彼の肩を軽く叩く。


「では、戻りましょうか」

「誰が許可したの?」

「王さまがお戻りになりました。すぐに解放するよう指示を出してくださいました」


 ということは、マルキュスがわたしの解放に奔走したのだろう。なんだかんだ仕事ができる男だ。


「じゃあ、みんな。短い間だったけど、楽しかったわ」

「あんた」と、サルタが叫んだ。


 牢から出してくれと頼むと思ったのだが、意外な言葉が飛んできた。


「また来とくれよ」

「ああ、そうだ、そうだ。待ってるよ!」


 鉄格子に閉じ込められた女たちや男たちまで手を振っている。


「来るものか!」と、わたしは笑った。

「ああ、そりゃ、そうだ。二度と来んな。あんた、最高だよ!」


 マルキュスは、いつものように眉をあげたが、何も言わずに歩いていく。

 左足首が痛み、まともに歩けない。


 牢獄の入り口を出ると、そこに背の高い男が待っており、それがクリストフ猛禽王だと知って驚いた。


 ここはひざまずくべき場面なのだろうか。

 クリストフの目には皮肉の色が浮かび、嘲笑っているようにも見えた。


「人気者のようだな」と、彼は低く囁いてから、わたしのニオイを嗅いで、「それにしても、この悪臭は、風呂に入れ」と笑った。


 この牢獄に漂う糞尿の臭いが、汗をかき、踊り狂ったわたしの身体に染み込んだのだろうが……。


 なんという無礼な男なんだ。


 所詮、鳥よ、猛禽よ。

 繊細さの欠片もない。


「もっと早く助けに来れば、こんなにニオイはつかなかったわ」

「そのような口利きを王にするとは、それだけでも斬殺ものだが。許して欲しいか?」


 彼の口角がニヤリとあがった。顔が整いすぎているので、普段は冷たい印象を与えるが、しかし、笑うと頬にエクボができた。

 これは反則だと思う。

 一部の隙もない装いと身のこなしで、こんな笑顔を浮かべるなんて。

 愛嬌がある表情に、思わずキュンとしてどぎまぎしてしまう。まったくこの男は、ナチュラルに女を惹きつける。

 オーブリーが嫉妬に狂う理由がわかる。

 犯人はおまえだ。


「マルキュス。お風呂の用意をして」

「ご用意しております、コハルさま」

「コハルとは?」と、王が聞いた。

「カテリーナ妃から、そう呼ぶようにと仰せつかっております」

「ほお、マルキュス。最初は嫌がっておったが、そなた、随分とカテリーナと親そうになったな」

「ご冗談を、王さま」

「よかろう。風呂に入ってから、今回のことを説明してもらおうか」


 地下牢は王宮とは別の建物にあり、歩いて自室に戻るには足首が痛すぎる。

 懸命に歌って踊ったので、鉄球に結ばれた左足首を軽く捻挫したのかもしれない。鎖が外れた足首からは血も流れていた。


 転びそうになると、王が手を差し伸べ、そのままわたしの背中に手を回すと軽々と横抱きにした。


「あ、あの……。下ろしてください。わたし、臭いますよ」

「気にならん」

「でも、歩けますから」

「黙っておれ、おまえを抱き上げたのは、これがはじめてではないだろう。川で溺れて水浸しのときもあったな。普通は着飾った女を抱くのだが、おまえは常に普通じゃないときに抱くことになる」

「おろして」


 と、いきなり身体が宙に浮いたと思ったら、地面に落ちていた。痛くはなかったが乱暴だ。

 これはどういうリアクションを取ればいいのか、この男が近くにいると、調子が狂い落ちつかない。


「これで満足か」

「あ、ありがとう。それから、牢から出してくれて、お礼をしたいけど」

「それは、身体で返すという意味か?」


 え?

 腰を地面につけたまま、背後に後ずさりした。

 何言っているの、この王は。た、確かに妻だよ。結婚もしているようだけど、それは人質だからであって。

 彼の女になって、さらにオーブリーの敵意に晒されよっていうの?


「牢に戻らしてもらいます」

「ほお? つれないな」


 鋭い目つきでにらむ王の視線に色気が漂う。奴は、自分のセクシーさを自覚している。

 軽くくせ毛のある黒い髪が、額にたれた、この憂愁をふくんだ目つきに、女が揺れないはずがない。そういう経験が豊富にあるだろう。


「マルキュス」

「は! 王さま」

「カテリーナ妃を王の浴場に入れて、汚れを落とすように」


 そして、王はかがむと耳もとでささやいた。


「その身体、誰のものか。後でしっかり教えてやろう」


 何を言っているの、この野獣。

 心の奥で、カテリーナが悲鳴をあげた。天神カグヤがフィヨル・ジェラルドの名前を呼びながら、泣いている。


 ……しかし、わたしの心臓は大きく鳴っていた。



(つづく)

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