侵略の歴史




「王妃さまのいらした王国からご説明しましょう」


 マルキュスの声は冷たく、会社で退勤間際に仕事を頼まれた社員みたいな態度だ。


 あきらかにカテリーナを面倒でウザい女と思っているし、それを隠すつもりもないようだ。


 いや、そこを否定できない自分がいる。

 どちらかといえば、マルキュス、気持ちはわかる。ともに苦労をねぎらって泣きたいくらいだ。


「わたしの王国を知っているの?」

「当然にございます。我が王国の地にあらわれた船団は、最初から監視対象にございました」

「つまり、わたしたちがこの地に移民してきたということなの?」

「移民? 数ヶ月前のことですが、わが領土にカテリーナさまの船団があらわれ、勝手に上陸し、勝手に踏み込み、勝手に村を作りはじめた。これは移民ではなく侵略でございますから」


 説明に悪意を感じて吹き出しそうだ。ま、逆の立場から見れば、そういうことなのだろう。


「じゃあ、わたしは侵略者の娘ってわけなのね」

「王は、それでも、情け深くオーランザンドの領主を城に招きました。三日間の話し合いの末に、さまざまな条約を結んだのです。その一つが公女さまとの結婚にございます」


 ──ちがいます、お姉さま。彼の言うことは一方的で、そんな訳ではないのです。わたくしがお話し致します。


 カテリーナ、どういうことよ。


 ──侵略者だなんて、たしかに領土に入りましたけど、侵略するつもりなんてなくて。実際はこういうことでしたの。


 カテリーナの記憶から説明を聞いても、やはり侵略者であるという事実は変わりないと思ったが。

 ともかく、こんな物語だった……。


 


 かつて、オーランザンド王国があったエトベチア大陸は、別名『紛争地』と呼ばれていた。


 多くの国が勃興し、多くの国が衰亡する、戦いにあけくれた地である。


 大陸の中心部に位置する小国オーランザンドの悲劇は、紛れもなく地理的要因にある。国境を接する大国との要衝になっているため、戦闘の中心になり土地と民は常に蹂躙された。


 数えきれないほどの戦乱をくぐり抜けた結果、敵兵に荒らされた土地に作物は育たず、疲弊した民は絶望した。

 国を捨てるしか生きる術がなくなったとき、決断したのはアルベール・オーランザンド王、のちの『希望王』である。


「座して死を待つか、生きるために国を捨てるか。民は飢えている。カラカラに乾き作物の育たぬこの地に生きる術はない。このまま餓死するより、かすかであろうとも希望に賭けよう」

「王よ。あなたの決断を尊重します」といった大臣のひとりは、両手をあげて天に向かって叫んだ。

「希望を!」


 不毛の地を捨てたオーランザンド王国の民は、王が乗船する大型の帆船を中心に小型や中型の船団を連ねて大海にくり出した。

 流浪の民となったのだ。

 その苦労は彼らが予想した以上に壮絶なものであり、多くの民が旅の途中で帰らぬ人になった。


 大海に乗り出して三ヶ月、食料が底をつきながらも新大陸を発見し、その土を踏めた者は出発した日の半分に減っていた。

 故郷を去ったとき二千人いた民で、この地に辿り着けたのは、わずか千人。


「ここを希望の地にする」


 アルベール希望王は大地に降りると宣言した。

 最初の足跡をつけ、その場にぬかづいた。両手を天に捧げ、ひざまずき大地にくちづけをする。


 疲れ切った民たちが背後に続々とつづく。地上に降り立った姿は流れ者そのもので、国としての体などなかった。


「民よ! われらの祝福された土地に栄光を!」

「栄光を!」

「この地を、新生オーランザンド王国とする」


 高らかに叫んだ王は希望を捨てなかった民を鼓舞した。


「われら哀れな民にお慈悲を。われらオーランザンド国に安住の地を」

「王よ」

「王よ」


 人びとは叫び、希望を抱き、そして、王にすがった。


「この地に根を下ろそう。ここは繁栄のために神がくださった土地である。子々孫々まで暮らす豊かな王国を建設する」


 アルベール・オーランザンド・希望王は高らかに宣言した。

 その言葉を王自身、少しも信じていなかったが、彼は自分を鼓舞するために叫んだのだ。


「希望の地に祝福を!」

「新オーランザンド王国、万歳」


 船団が接岸した日を祝福するように太陽は中天にあり、雲ひとつなく晴れていた。


 岸辺のすぐ先には森が広がり、大地は豊かで緑も多く肥沃に見えた。

 捨て去った故郷は、度重なる戦乱によって砂漠化し、カラカラに乾いた大地に樹木や植物は育たなかった。


 早々に岸辺にテントを張って生活しながら、乗ってきた船を解体して家を建て、森の木を伐採して村を建設した。


 地は祝福されていた。

 雨は多く、気候は一定して温暖で、森には食べられる木の実も多く、作物はよく育った。多くのものを失ったが、多くのものを得た。


 上陸した地で、平和に暮らそうとしたオーランザンド王国の民は、しばらくして、この地の特殊性を知ることになる。


 ここは魔界との境界線が破壊された特殊な地であり、一度、足を踏み入れれば、二度と外部へは出られない。

 祝福された土地どころか、呪われた地であったのだ。しかし、彼らはその大地に『希望』を抱いた。


 大地に根を下ろして数ヶ月後。

 異形のものたちが空間の境目から現れた。『端境の地』が、その牙を剥いたのだ。

 切り拓いた森の奥から、現れた軍団にオーランザンド王国の民は驚愕した。


 戦いで土地を失い、作物さえ育たない乾いた故国から逃れ、こんどは異形のものたちとの戦いが待っているのか。


 人びとは恐怖とともに自らを憐れんだ。


 森の中から出てきた軍団は、故国エトヘルベチア大陸でも見たことのないほどの数で、巨大な力が知れた。


「われはエスコラ・ファーンヴィスト。高邁なるブローズグフレイ王国の騎士団長だ。おまえたちは何者だ。どこから来た。なぜ我が国の領土を侵略した」


 軍団を従えた大柄な男が大地が割れんばかりな声で叫んだ。


「われらは戦乱の大陸を逃れてきたオーランザンド王国の民です」


 希望王は前に出て慈悲にすがった。誇り高いアルベール・オーランザンド王が膝を屈したのだ。


「この地に住まわせていただきたい」

「では、ついて来るが良い。わが王が謁見しよう」


 次の瞬間、前に出てきた男の背中に翼が広がった。ふたりの衛兵に左右の腕をつかまれ、空に舞い上がった希望王の姿に民は驚愕した。


 オーランザンド国の者たちは、はじめて自分たちが未知の世界に踏み入ったのだと知った瞬間だ。


 翼を持つ兵団は去り、その後オーランザンド王国の民は不安のうちに、ひたすら王の帰還を待つことになる。


 一日が過ぎ、二日が過ぎた。

 三日目の朝、疲労の色を濃くした王が戻ってきた。


 アルベール・希望王が戻ってきたのだ。

 彼は朗々たる声で宣言した。

 

「話はついた。われらは、この地に住むことを許可された。平和裏に王国の建設ができる」

「王よ!」

「ただし、条件がある」


 民は固唾を飲んで、次の言葉を待った。


「わが孫、カテリーナをブローズグフレイ猛禽王の妃として差し出すことだ。これによって、わが国は、この地の最強国家と同盟を結び、この地の一部に国を建設することを許された」


 全員がほっとすると同時に恥じた。

 猛禽王の噂に関して、彼らも周辺の小国や村から情報収集していた。


『血ぬられた王』とか、『残虐王』とか、周辺諸国から恐れられた鳥人族の王で、『異能の簒奪者』とも呼ばれている。

 カテリーナ公女は皆に愛される可憐な少女であり、自分たちのために人身御供のような結婚を強いられることに、多くの民は後ろめたく、また申し訳ないと思った。


「カテリーナよ、ここに参れ」


 王孫であるカテリーナは、その言葉に絶句して言葉を失っていた。背後には、愛するフィヨル・ジェラルド騎士が立っている。


 彼の青ざめた顔を見て悲鳴を上げるしかなかった。


 愛らしく可憐な公女は異形の国から贈られた花嫁衣装を見て、顔を引きつらせた。華美な花嫁衣装の豪華さは相手国の豊かさをあからさまに主張している。


「公女さま」

「フィヨル」

「わたしの生涯を、あなたに捧げます」

「わたしは、けっして他人の妻になどなりません」


 絶望に顔を曇らせた二人にとって運命は過酷だった。

 フィヨルを思いながら、カテリーナは泣きながら趣向を凝らした花嫁衣装を身につけ豪華な輿に乗るしかなかった。


 翼が生えた異形のものたちによって空に昇ったとき、公女は絶望した。

 華やかな王国に到着しても、祝福で沿道を埋めつくした民も、華美な装飾をこらした王宮も、彼女には嫌悪しかなかった。


 王宮での荘厳なる結婚式が終わった夜、花嫁衣装を身につけたまま、公女は絶望して大河に身を投げたのだ。

 恐ろしい異形の夫に、その身を許すくらいならと死を選んだ。


 カテリーナ・オーランザンド・ブローズグフレイ、十八歳。

 

 ブローズグフレイ猛禽王の新しい王妃は、こうして短い一生を終わるはずだった。




(つづく)

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