永棠コハルの生きざま




「状況は飲み込めたわ、マルキュス」

「そうであって欲しいものでございます、カテリーナさま」


 マルキュスの嫌味な言い方もだが、つまり、カテリーナが、『この国の王に嫁ぎたくないからです』と、見事に要約したことは、こういうことなのだ。


「今日は休むわ、疲れたから」

「では、カテリーナさま。もう二度と大河で泳ぐことなどございませんように」

「言い聞かせておくわ」

「は?」


 あ、そうか。わたしがカテリーナなんだ。


「だから、自分に言い聞かせておくわよ。とりあえず、ひとりにしてちょうだい」


 マルキュスは目を細めたが、何も言わずに頭を下げて出ていった。


(さあ、カテリーナ。状況はわかったわ。わたしが助けてあげるから相談しましょう)


 ──この状況から、わたくしが助かる術があるんでしょうか。


(バカね。わたしの座右の銘を知らないの。『道は全方向に開いている。わたしに解決できない厄介事はない』よ)


 ──あなたは神さまでしょうか。こんなわたくしなんかのために。厄介なことに巻き込まれてしまって、ご、ごめんなさい。


(ああ、もう、ごめんなさいは禁句よ)


 ──ご、ごめんなさい。


(ほら、また。いい、これだけは覚えていて。否定的な考えってね、幸せを逃すのよ)


 ──ご、ご、あの、すみません。


(いえ、「ごめんなさい」も「すみません」も同じ言葉よ。これからは、禁止だから。さあ、あなたの問題を洗い出すわよ。簡単に言えば、この国から友好的に自国に戻ること。もうひとつはフィヨルと結ばれる。この二つさえ解決すりゃあいいってことね)


 ──そう要約されると簡単なことのように思えます、どうしてかしら。


 いや、本当の問題は違うとわかっている。

 根本的な解決は、こじらせた性格の弱さを正して、一生をなんとか全うすることだ。その上で、天神あまつかみカグヤの本来の世界に戻すことだが、そもそも罰として与えられた人生。今後も、うまく行くはずがない。

 それを乗り越える強さを身につけることが大事なんであって。


 ええい、あいつら。

 どれだけ無理難題を押し付けたのよ。


 ──でも、どうやって人質の身分から解放されるのでしょうか。


(それは簡単に説明できるわよ。これは、いわゆるチョークポイント問題ね。ああ、意味がわからないって? いちいち聞かなくていいわ。説明するわ。

 世界貿易での流通問題の話よ。

 わたしの世界では、タンカーが通る重要な海上水路の要所を、軍事地理学的にチョークポイントと呼んでいるの。このチョークポイントを抑えられると物資輸送に多大な問題がおきるのよ。

 スエズ運河とか、パナマ運河とか、マラッカ海峡とか、みなチョークポイントと呼ばれている)


 ──わたくし、頭が悪いのでしょうか。まったく、お話が見えません。


(まだ、短いつきあいだけど、確かに、あなた、ちょっと頭の回転が悪そうね)


 ──難しい言葉がわからなくて、お姉さま。でもわたくしの結婚問題と、その、チョークポイントとやらと、どう繋がっているのでしょうか。


(つまり、あなたはチョークポイントになっていると言いたいの)


 ──理解できそうにないんですけど。


(そうなの、じゃあ、わたしの経験から具体的に話すから。

 西洋家具輸入商社で有能な社長秘書を続けていればね、いろいろ経験するのよ。

 今でも思い出すけど、あれは大変な一ヶ月だった。胃が痛くなるほどの問題がチョークポイントで勃発したのよ……


 事の発端は、わが社の高価な家具を乗せたコンテナタンカーが海賊に襲われ、乗組員まで人質になるという大惨事が起きたことよ。

 マラッカ海峡付近では似たような問題はよく起きるの。

 わたしは秘書として社長とともに現地に赴いたときと、今回の状況は、ある意味、とてもよく似ている)


 ──あの、かなり違った方向のように思いますのは、気のせいでしょうか。


(まだ、先があるのよ。よく聞いて。

 わが社のタンカーが海賊に襲われ、乗組員まで人質になったけど、までは話したわね。その時、わたしが人質として乗組員と交換されたの)


 ──それは、こう仰りたいの? 人質になった点において、わたくしの状況と似ているという意味でしょうか? あるいは、あなたが乗組員全員より価値があったという意味なんでしょうか?


(微妙に正しいんだけど、ま、いいわ。あなたが国土や王国の民全員と等価であったと同じようにね。わたしはね、日本国総理大臣の娘ということになったの。社長のアイディアで。


『この子を人質にすれば、国の税金やら裏金やら、外交機密費から数億円はでるはずだ。なにせ総理大臣の隠し子だ』って、相手を納得させたのよ。


 わたしにはね。

『君はヒロインだ。数千人の乗組員を救ったヒロイン』とか、なんとか言っていたわ。

 実際にタンカーに乗っていた人質の船員は三十人ほどだけど、社長ったら大袈裟なのよ。


 総理の隠し子、つまり、この世界の言葉でいえば、王の娘、まさにあなたと同じ状況よ。

 当時、わたしは29歳。

 母からね、30歳までに結婚しろって、そりゃ、日々、矢の催促でうるさくて。で、思ったわけよ。母と海賊とどっちが厄介かって。


 そんなの、誰が考えても一択じゃない。海賊のほうが楽勝よ。所詮、他人だし)


 ──わたくしは違うと思いますけれど。


(それは、未婚の娘を持つ昭和時代に浸り切った母親の実態を知らない人の言葉よ。


 ま、それで、人質交換で海賊船に移って、乗組員全員が解放されたときは、あらゆる報道機関で報道されてね。そりゃ、家族もびっくりしていたわ。

 わたしがヒロインよ。

 おまけに、いつの間にか娘が総理大臣の隠し子になってたから、父と母ったら、わたしがもしかしたら産院で、総理の子と取り替えられたのかって疑って。

 うちの家族って、かなりバカでしょ。


 だから、大丈夫、大丈夫。

 大船に乗った気でいて、こんな問題、さっさと解決してあげるわよ)


 ──問題の解決はそこから先ですわよね。どうやって逃げたんですか? そこが一番、大事なことではございませんか?


(そう、そこが大事なポイントよ。

 まずは敵のふところに飛び込むことからはじめるの。わたしね、徹底的に海賊王に取り入ったのよ。わたしの価値は数億円だと思っているから、わりと簡単だったわ。


 そして、海賊船の乗組員、全員と懇意になって、うち数人がわたしに惚れちゃってね。


 スマホの秘密回線で社長に連絡して、状況を説明したら、「たぶん、君を放り出すのは時間の問題だな。いや、わが社として、長年勤め上げてくれたお局さま、いや、ベテラン社員が自力で帰れると、非常に残念なことに企画戦略室も太鼓判をおしている」って。


 それに、わたしって泳ぎが得意だから、いざとなったら、マラッカ海峡を泳げって、社長からはな向けの言葉ももらっていたし。隙を見て逃げて泳ぐ気満々だったけど、その必要もなかったわ。


 なぜか、海賊のボスが、「船を降りてくれ」って言うのよ。わたしが船を降りる時、ある男なんて泣いてたわよ)


 ──ど、どうしてですか。


(すごく従順な子で、わたしの用事を頼んでいた子だけど。それがなくなるのが、寂しかったのね。ふふふ、平成の妖婦とは、まさにわたしよ)


 ──あ、あの、お姉さまにお任せして大丈夫なのでしょうか。なんだか、不安を感じるのは、わたくしの気のせいでしょうか。


(心配ないわ。基本は同じよ。

 まずは敵のふところに飛び込んで弱点を探ることからはじめるわよ。つまり、相手に好かれることよ。人質になったときの鉄則、これは、すごく大事なポイントよ。愛されれば、自然と向こうが解放してくれるから。

 さあ、声に出して言いましょう)


「道は全方向に開いている。わたしおよびわたくしに解決できない厄介事はない」


 わたしは両手を天に向かって大きくあげた。


 ──それ、もしかして、相手からすれば、厄介払いができたとか……。わたくし、なぜか、不安しかございません。





(つづく)

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