孤独に耐える寂しい目をした王
(この王国からの逃亡作戦、名付けて『ハーレムの嵐』作戦にしたわよ、カテリーナ)
──ハーレムの嵐……、でしょうか。なぜ、その命名を、なぜ、そのような作戦名が必要なんでしょうか?
(そこは、察して聞かないように。作戦名の候補作はいろいろあったけど、まあ、大人の事情でこうしたのよ。ただね、作戦名ってのは案外と有効よ。
ちなみに、自分の生き様を言葉にして宣言すれば、それが言霊となって確固たる人生目標ができるから)
──お姉さまのおっしゃる理屈で、なんとなく説得された気がしますけれど。でも、『ハーレムの嵐』という作戦名がいいとは思われなくて、あっ、ご、ごめんなさい、あの……、わたくしのことを真剣に考えてくださるコハルさまに失礼なことを申し上げて。わたくしなんかの意見なんて、どうか無視してくださいませ。
(意見を言えるようになっただけで、あなたが思っている以上に、わたしは嬉しいのよ。もっと言って欲しいわ。思う存分、自分の意見を言うのよ。で、ハーレムの嵐作戦、略して、『ハーセン』決行するわよ)
──秒で意見を無視されるのですね。でも、ついて参ります。
(いい覚悟よ。まずは自分の状況と、この城を知ることからよ)
あてがわれた私室は赤を基調にした重厚なインテリアで、かなり資金的に余裕のある王国だ。
ただ気にくわないのは、回廊から扉を開ければ、すぐベッドルームになることだ。
そこはやはりハーレムだからか。
天蓋付きのベッドが、デンッと中心にあり、左の壁際にテーブルと横になれるソファがある。隣りの控え部屋にはクローゼットが配置されていた。
これって、もしかしての王侯貴族の贅沢三昧な生活ができるってことだろうか?
毎朝七時前に起きて、眠い身体に鞭入れてあくせく通勤。気まぐれ社長にこき使われる日々から、家令のマルキュスや侍女付きで、なんでも言いたい放題の生活。
ある意味、最高の生活をカテリーナは捨てようとしている。
計算高い秘書課の女たちなら喜んでしがみつくだろう。それが、悪いとか良いとかの問題じゃない。カテリーナは、どこかやはり人の基準とは違うところがあるようだ。
世俗に塗れたわたしは、「悪くないわね」と呟いてしまう。
その時、ノックもなく扉が開いた。
使用人のなかで階位が高いマルキュスでさえ、扉をノックする。
そんなことのできる相手はひとりしかいない。
ついに、奴が来たんだ。
振り返ると、全身黒ずくめの男が立っていた。黒髪に胸元がはだけたシャツ、均整の取れた身体つきはバランスが良く、気品さえある。威圧感に震えそうになるのは、そのオーラのせいだろう。
「何をひとりで話している」と、男は言った。
川では、はっきり顔を見ていなかったから、思わずのけぞった。
いい男だ。
浅黒い顔に濃い眉。眉と目の間隔が狭く、瞳は透明感のある濃灰色で、宝玉のように光っている。
眼光鋭いが、どこか寂しげな影があり、直感だが、秘書室の女たちに大モテしそうだと思った。
だって目がね、遠くを見ていた。
大人の男なのに、大柄で逞しいのに、どこか庇ってやりたくなる雰囲気を、その目が醸し出している。母性本能をくすぐられるというか。
自信にあふれているが、傲慢さが見えない。
大抵の女なら、この属性にはくらっとくるはずだ。フィヨルしか頭にない悲劇のカテリーナを除けばだけど。
年齢的には、たぶん三十歳過ぎくらい?
イケメン王族という印象で、いかにも只者じゃない雰囲気を漂わせている。
カテリーナはわたしをおばさんと呼んだくらいだから、年上すぎるかもしれない。お子さまにはわからないだろう。男として絶頂期は、このくらいの年齢からだと、私基準で思うんだが。
彼の背後を窺ったが、翼ははえていない。
ふだん、あの翼は体内に入っているのだろう。
「部屋に入る時はノックして」
「誰に向かって言っておる」
「さあ、あなたは誰?」
いや、わかっているわよ。
彼こそが、この城の主であるクリストフ・ブローズグフレイ猛禽王だろう。悪名高い、『血ぬられた王』『残虐王』とも噂を聞く男。
胸に抱かれて水面を飛んだとき、この顔だった気がするし、人を従えることに慣れた態度や背後に控えた従者たちから間違いないだろう。
ここは大人の女の手練手管が必要な場面だ。脳内にボサノバのBGMが流れてきた。
「川に沈んで頭でも打ったのか。ずいぶんと雰囲気が変わったな」
「そうでしょうか」
この場面で、わたしはどのタイプを選んだらいいのだろう。気に入った男に接するとき、わたしには三つの演じる分けるタイプがある。
妖婦タイプ。
天使タイプ。
ビジネスマンタイプ。
ただ、どのタイプもこれまで功を要したことがないのが疑問なんだが……。
わたしは薄紫色の夜着にローブを身につけていた。あらためて自分の顔を観察した。
シルバーに近い金髪に、大きな潤んだ目、透き通った白い肌、華奢な体型。
この容姿で妖婦は無理だ。胸もほどほどだし、細く折れそうな腰は力を入れたら砕けそうなほど華奢な体型だ。
妖婦タイプなら、少し夜着をはだけさせるけど、ここは、いったん恥じいる場面だと判断して夜着の前をおさえた。
「あの」と言って恥じらった。我ながら完璧な演技だ。
猛禽王は、しばらく黙っていた。
「さっきから目にゴミでも入ったのか、やたらパチパチしているが」
おっとと、かなり遠くなった少女のふりは、そもそも限界があったか。ぜんぜん向こうは感動してないし。
やめた、やめたぁ〜〜! 地で行こう。
「お礼を言っておきます。大河から助けてくださったのね」
「そうだな。かなり苦労をしたぞ」
王がゆっくりとした歩調で近づいてくる。その足取りが大人の男の色気に溢れて、多少、鳥という難点はあるが、それをカバーするほどの魅力を撒き散らしている。
(ねぇ、ねぇ、カテリーナ)
──な、なんでしょうか。あ、あの男が近づいてます。
(こっちに鞍替えしない。フィヨルより、こっちの方がいいんじゃない。位も高いし、権力もあるし)
──こんな恐ろしげな男なんて。無理です。近づくだけで震えがきます。お姉さま、血みどろ王ですよ。彼の噂を知らないのでしょうか。王家を継ぐにあたって、親族間で何人、何十人という人が、彼に殺されたと聞きました。
(でも、もう妻になったんだし)
──何も知らないのですね。彼のハーレムに若い女は二人だけ。きっと、他は殺されたんです。酷い目にあって……。そんな死に方をするくらいなら、自分で命を断ちます。今から、壁に頭をぶつけてでも、死んでやります。
(わかった。ハーレムの嵐作戦ね。でも、それ噂で聞いただけでしょ?)
「さて、わが妃よ。なぜ、川に落ちた」
「ごめんなさい。そんなつもりはなくて、落ちたんじゃなくて、ちょっと泳いでみようかと」
「嘘は必要ない、幼い王妃よ。わたしが嫌いなのはわかっている」
おお、なんと直球勝負でくる男だ。
カテリーナ、この少女は罪な子だ。この妖精のような容姿で、これまでも多くの男たちを虜にしてきたにちがいない。
「あの、王さま。お時間をくださいませ。この地に慣れましたら、立派な妃となるよう努力いたします」
王はニヤリと片頬をあげて笑った。
うっわ、色気ダダ漏れのイケメン。むっちゃかっこいいんだけど、この男の周りに血の匂いがするのは、そのせいかもしれない。
「明日から北の大陸を視察する予定でな」
「遠くに行かれるのでしょうか」
「数日か、数週間かで戻る。そなたも長い式典で疲れただろう。必要なものがあれば、マルキュスに申せ。なんでも取り寄せるよう命じておく」
「ありがとうございます」
王は、それだけ言うと、ふいにわたしの右手を取った。突然だったので、なんの抵抗もできなかった。
な、なに、なに、なに?
考える間もなく、日焼けした大きな手が、わたしの白く小さな手を持ち、そっと裏返すと、手首に顔を寄せ口づけした。
熱い唇の感触に体が反応する。
彼の黒い髪が肌に触れた。
それは、少しだけ長い時間で、彼の髪から漂ういい匂いが鼻腔をくすぐり、余韻を残して離れた。
ど、ど、ど、どうしよう。
惚れてしまいそうだ。
王はニヤリと上目遣いにわたしの顔をみると、すっと背筋を伸ばした。天蓋の柱を軽く指で叩いてから、背中を向け、扉口に向かって優雅な足取りで去っていく。
一度も振り返らなかった。
ドアが開いて閉じた。
後には、彼の官能的な残り香が漂っている。
酒だ!
酒、もってこい。
もう酔っ払ってしまいたい。
(第2章完:つづく)
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