第2章
カテリーナ王妃の独白
ゆっくりと、わたくしの意識が浮かびあがってくる。
何が起きたのかしら。いえ、何も起きなかったのです。
ただ、死ねなかっただけ。
わたくしの名前はカテリーナ・オーランザンド・ブローズグフレイ妃。
この場所は、ブローズグフレイ王城にある王のハーレムであり、贅をつくしたわたくしの寝室。
また、戻ってきてしまった……。
わたくしは死ぬことさえも失敗するような、そんな弱虫なのです。生きることも無理なのに、死ぬ事もできないなんて。
わたくしなんて……。
わたくしには死ぬ権利さえ贅沢なもの、けっして認められない。
「カテリーナさま、お加減はいかがでしょうか」
彼の名前はマルキュス、この国に代々家令として仕える家柄だと聞いているけれど。でも、そんなこと、どうでもいい。
どうせ、牢番みたいな存在ですもの。
今は眉間にシワを寄せ、気遣うような様子をしているけど、わたくしなんかを心配するはずなんてない。
「痛いところはございませんか」
彼は鳥人族のひとりでも、飛ぶことはできないらしい。
この王都で飛べるのは選ばれた貴族だけで、それが、この一族が滅亡に向かう象徴だと、嫁いできてから知ったのだけど。
飛べない鳥は、ただの豚……。
──ん? なぜ、このような酷い言葉が浮かんでしまったのかしら?
飛べようが飛べなかろうか、わたくしにはどうでもいいこと。鳥だろうが、豚だろうが関係ないもの。
「お加減はいかがでしょうか」と、また家令が繰りかえしている。
結婚という美辞麗句で飾られているけど、実質は人質であるわたくし。ブローズグフレイ猛禽王の妻になったけれど、それは形式上でしかないの。
この運命に逆らうことなどできない。
わたくしが心から愛した人。将来を誓ったフィヨル・ジェラルドと引き裂かれた上に、それを嘆いて死ぬことさえもできないなんて。
フィヨル……、わたくしの愛する人。わたくしの結婚に苦しんだのかしら? いえ、わたくしなんて、どうせ誰にも愛されないもの。
あの方が苦しむなんて、そんなことありえない。
ああ、また、
頭がぼうっとして、……いったい、わたくしに何がおきているの?
知っている風景なのに違和感を感じてしまうのは……。
ここはブローズグフレイ王宮のハーレムで、王妃になったわたくしにあてがわれた居室で……。
石造りのグレイの壁。高い天井から吊り下がる窓の重厚な赤いカーテン。
知っているわ。
知っているけど、一方で心が全否定している……。
ここはどこ? って。
チラチラと
(炎が半分ほど消えている。
──マルキュスが、失敗することはないのですけど。生真面目で
(何事も、きっちりばっちりミスもなく、そこそこ適当にこなしてこそ、筆頭社長秘書たる者の務め。その役割をパーフェクトにこなす律儀な男なのね。でも、そうではなさそう。燭台の炎が消えてるわよ)
──え? 筆頭社長秘書って? 頭が混乱して、大河で水を飲み過ぎたのでしょうか。胸の奥がモゾモゾして不安だわ。
(これ、いったい何の罰ゲーム?)
──罰ゲームって、どのような意味でしょう?
(あなたが、そうか。例の女性なのね)
──こんな、わたくしなんかに声をかけるのは、どなたでしょうか?
「こっちが聞きたいわ」
「王妃さま。何をお聞きになりたいのですか?」
マルキュスが眉間にシワを寄せ、謹厳な声色で聞いている。いや、あんたに言ったわけじゃないけど。
ま、ちょうどいい、質問をしよう。状況判断は必須項目だ。
「今日は何日」
「十二月二十五日にございます」
「クリスマスか」
「は? カテリーナさま。クリスマスとは、なんのことにございましょうか」
(なにって、いや、知っているでしょ、普通は。クリスマスが何かを、わたしは知っているから。あなたは?)
──クリスマスって? なんの事でしょうか。ああ、どうか。わたくしに声をかけないでくださらないかしら。わたくしなど、お役に立てません。
(その前にあなた誰?)
──わたくしは、この国の王妃で、もとオーランザンド王国の公女です。この鳥人王国に人質としてやってきた弱小国家の王族です。
(つまり、あなたは、わたしの身体の中にいるわけね)
──いえ、正確に申し上げれば、あなたがわたくしの身体の内にいるようです。勇気を振り絞って川に入ったのに、あなたが泳いで助けたのですから。本来のわたくし、泳げませんの。そこは順調に溺死する予定でしたの。
その予定をすべてお壊しになったのは、あなた。どうか責任をとってくださいませ。立派に王妃としての責を担ってくださいませ。
(ちょ、ちょっと待ったぁ。名前は?)
──カテリーナ・ブローズグフレイ王妃です。ほんとはフィヨルの苗字、ジェラルドになりたかったのに、猛禽王の姓を名乗るなんて耐えられません。
(それで、ここはどこ?)
──ここは魔界との狭間にある国です。どんなことも起こりうると聞いております。あなたは別の世界からいらして、わたくしの中にいらっしゃるの? お名前は?
(
──まったく理解ができません。
(理解できないの? それとも、しようとしないの? どうせパソコンなんて知らないでしょ。ネットで調べれば簡単なんだけど。ともかく、なぜ、川に身を投げて死のうとしたの)
──話せば長いのですが……、ここの王に嫁ぎたくないからです。
(長いという割には、ずいぶんと説明を
──だって、猛禽王で人間じゃないのですもの。その上、空を飛べるなんて化け物でしょう。
(つまり、化け物と結婚するくらいなら、わたしに身体を譲ると)
──そうです。どうぞ、ご自由にお使いください。どうせ、わたくしなんか、なんの役にも立ちませんもの。
(もうひとつ聞きたいことが『
天神カグヤと言おうとしたら、心臓に強烈な痛みが襲ってきた。これは、つまり、この女にその説明をしてはいけないという警告ね。
あの悪魔。
わたしの胸に手を入れたとき、なにかの刻印をしたのね。
(鏡はどこ? どんな顔をしているの)
「マルキュス、鏡を見せなさい」
「カテリーナさま、大鏡でしょうか手鏡でしょうか」
「手鏡を」
「お待ちくださいませ」
凝った額に入った手鏡を渡され、自分の顔を見た。
そこに映る顔には仰天した。
な、なんて、愛らしく清楚な容貌なんだろう。
透き通るような白い肌に、潤んだような大きな青い瞳、この青がまた透明感があり惹き込まれそうなほど美しい。シルバーに近い金髪は自然にカールして顔の輪郭にそっている。
こんな贅沢な顔で罰人生って、神さま、そもそも顔が罰になってないわよ。
(なんて可愛い顔。その上にピッチピチの肌なのよ。あなた何歳なの?)
──十八歳です。
(え? 十代なの)
──ちなみに、あなたは何歳ですか。
(三十三歳になったわよ。あちらではアラサーなんて言うけど)
──お、おばさん。
(おい! お姉さんを通りこして、いきなりおばさんって)
──あの、わたくしのお母さまより二歳下なだけで。ご、ごめんなさい。わたくしなんて、こんな女で、死んだほうがマシなんです。
いや、立派に喧嘩うってるわ、この小娘。
(つづく)
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