人ならざる者 2




 驚くべき状況に陥ったとき、適切な対応ができるなんて、そんなことは幻想にすぎない。

 日頃から言い返すのが仕事みたいな人は可能かもしれないが、そんな奴はたいてい嫌な奴と相場が決まっている。


 で、普通の人は何もできず、動くこともできず、傍目から見れば、呆然とするだけで、案外と残念なことが多いのだ。


 この時も……。

 

 暗闇で眩しいライトを背に、なにかが近づいてきたとき、わたしは適切な対応をするなんて、程遠い態度だった。

 その場ですとんと腰を抜かして尻もちをつき、両手で身体を支えたとき、湿った床に手が濡れて、それが嫌だな、なんて思った。


 自分を取り巻く状況がくるくる変化して対応できない。この瞬間、わたしは新宿駅でも、岸辺でも、螺旋階段が取り巻く荘厳な室内でもない場所に存在していた。


 あえて言うなら『無』。


 漆黒の闇だった。


 突然、ガチャンと音がしたあと、強烈なライトが前方で光り輝く。


 カッ、カッ、カッ。

 空気を切り裂くように靴音がひびき、光の向こう側から何者かが歩いてくる。


 黒いロングコートを着た、ひょろりと背の高い……、美しい男ともイケメンの女とも判別つき難い容姿のモノだ。

 人なのだろうか……?


(どっちと話したい? 男? 女?)


 声が直接、脳に語りかけてきた。

 まばゆく激しい光で顔がぼやけていく。


 どういうこと?


(話しかけるのに、どちらを希望するのかな……、ははあ、そうか。やはり男か。これまでの経験上、異性から声をかけてもらいたい人が、七十六パーセントだったが、案外と普通なんだな)


 言っている意味がわからない。

 気がつくと目の前に男が立っていた。これまで出会ったこともない美形で、背も高く、見事に均整がとれた身体つきで、街で会ったら百パーセントの確率で誰もが振り返ってしまうだろう。そんな男だ。


 先ほどのチャラ男と比べて、まずオーラが違う。

 さっきのが下僕だとすれば、彼は王だ。


「あわわ……」


 どんなに経験豊富でも、どんなに大人になっても、人間離れした美形を前に、落ちついてなどいられない。


 ここは、どうする。

 全力で誘惑する場面か?


(やはり、面白い)


 これは、怖がるべきかもしれない。


 と、嫌な感触が左胸のあたりにした。

 下を向くと、男の手がわたしの胸に触れている。


「ど、ど、う、どういう状態?」


(すべてに歪みが生じていてね。君に修復して欲しいと思っている。先ほどのモノが言ったように、本来ならカグヤの罰であり、彼女がすべきことだったが。どうにも、こうにも困った人なのだ。性格が弱すぎる。だから、罪を犯してしまった。そのための罰則で転生しても、まったく埒があかない。根本的な弱さから、性格がこじれた。ついてはだ、これは手違いではあったが、君が彼女の教師の立場で鍛えてくれたまえ。ちなみに、今の世界で、彼女には過去のカグヤだった記憶はない。また、思い出させてもいけない。彼女の身分は、あくまでもブローズグフレイ国の王妃だ)


「まったく意味不明よ。断固、拒否! 神々の問題は、神々で整えてもらいたい」


(このままカグヤが自殺して終わらせれば、君も同じことになる。逆にこれはチャンスでもあろう。君が見事に彼女を更生させることができれば、神々は感謝する)


「感謝って、神々の感謝って何よ」


(それは、いろいろあるが。まあ、そういうことだ。いずれにしろ君に選択肢はない。この問題を解決してくれれば、前の世界へ戻れる方法を考える)


「考えるって? それだけ?」


 美しい手が、まっすぐに遠慮もなくずぼりと胸に伸びた。

 その手はわたしの左の胸をつかんだ。


 いや、乳房じゃない。

 それならセクハラ。そっちじゃなくて中に……。


 手が左胸の奥に、ぐちゃりと肌を通り抜け、内臓に侵入した。


 こ、こいつは悪魔か。

 ドクンドクンという心臓音が耳に木霊して、次の瞬間、わたしの心臓が握り潰されるような、未来永劫、二度と味わいたくない奇妙に覚束ない感覚を知った。


 た、助けて……。


 どうなった?

 どうなるの?


 心臓を捻り潰されたと思ったが、まだ生きていた。

 そうして、わたしは再び奇妙な場所にいた




(第1章完:つづく)

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