悪鬼との戦い



 数日後、海が凍ったという報告が届く。氷の道ができたと別の偵察兵からも報告があり、矢継ぎ早に偵察兵が戻ってくる……。


「王さま、押し寄せてくる小動物は大変な数です。海を埋め尽くすような黒い小さなモノが絨毯のように広がり押し寄せてきました。一両日中には、こちらの浜辺に到達すると思われます」

「それは、黒いネズミか?」

「薄暗がりで、はっきりとは確認できませんでした。もっと近づくべきでしたが」

「いや、それで良かったのだ。けっして近づくな。この王命は、すべての者に徹底させろ。ひとりが罹患すれば、部隊全員を隔離しなければならない。……マルキュスはいるか?」

「ここに」

「もうすぐ夜明けだな。隊全員を城壁下に集めてくれ」

「氷の道ができたという報を聞いて、伝令を出してあります」

「そうか」

 

 王の執務室は、そのまま作戦司令室になり、主だった者は、この部屋で食事や寝起きをしていた。

 王、宰相、ダグマ、エドワルディ、マルキュスにわたしが主だが、多くの者も出たり入ったりした。

 フィヨルは遠ざけられ、援軍としてきたオーランザンド軍に配属された。おそらくマルキュスの采配だろう。


「恐ろしいか? コハル」

「ええ、恐ろしいです」

「正直で良いな」


 ここ数日で、さらに頬がこけた王の横顔は凄惨さをました。仮眠を取る以外、昼夜を問わず働きづめだ。


「あなたは無敵で、任せておけば、どんな敵だろうと負けないという安心感があって、みなの信頼を集めています。だから、倒れないでください。少しはお休みになってください」

「心配しているのか、珍しい。……マルキュス」

「はっ、ここに」

「戦いの間、王宮専属楽隊を組織して、陽気な音楽を鳴らして士気を高めよ。コハルも気持ちが楽になるだろう。それでは、はじめるか」


 いやいやというより、義務のような態度で、すべての責任を背負った王は城壁に向かった。誰よりも働き、誰よりも心を砕く。この折れない王の姿が希望なのだと自分で理解しているのだ。


 王宮の外へ出ると、粉雪が降っていた。どんよりとした暗く厚みのある雲が陽の光を遮っている。

 吐く息が白い。

 わたしは王と別れ、マルキュスとともに城壁を登った。

 兵全体をよく見渡せる場所だ。

 王国直属部隊や市民の有志により組織された部隊。多くの物資とともに来た他国からの応援部隊も集合している。


「大隊、整列! 王に敬礼!」


 王が部隊に達すると、乱雑に並んでいた兵たちが直立姿勢をとった。統制の取れた集団の動きは美しい。


「大隊、一歩、後退! 王の道を開けよ!」


 親衛隊数名を背後に従えた王の前で、ザッという音とともに中心が開く。王は部隊の中心を堂々と行進していく。


 彼の姿を見ていると、自然に涙が浮かんでくる。


 王が演壇の上に登ると同時に、空気を切り裂くように太鼓が鳴る。

 誰もが、王の言葉を待っていた。

 自らを奮い立たせる、希望の声を待った。


 緊張あふれる静けさのなか、王は目を閉じ息を吸う。王の声が静かに、だが断固として響く。

 

「今日まで準備を続けてきた。これから本番だ。待ちかねたか、おまえたち。今日から三日だ。よいか、三日間、眠るな、戦え! 戦って、戦って、戦い抜いて、おまえたちの家族を守れ! 友人を守れ! 隣人を守れ! 国を守れ! そなたらの王は約束する。七日で敵を殲滅する。けっして狼狽えるな。では、勇敢なる戦士諸君! 戦いの時だ! 叫べ!」


 暁光を背に、金と黒の翼が大きく広がる。

 王は明け方の太陽を背に、空高く舞い上がった。

 その姿は神に等しく見えた。


「王よ! 猛禽王よ! われらの王よ!」


 地上から見上げる人びとは、彼に栄光を覚え、高揚して王の名前を連呼する。


「第一斥候隊、我につづけ!」


 王の指示のもと、千人の精鋭親衛隊が空へと飛び立った。

 海岸線に到達する前に、氷上のネズミをできる限り叩くためだ。空から火矢を放つ。

 黒ネズミは火矢で射るには数が多すぎる。

 知能が低く、本能しか持たない暴食の化身だ。


 しかし、これは大事な儀式でもある。

 宣戦布告の王の決意。


 海上に炎があがり、黒煙が王宮からも見えた。王が戦っている。常に先頭で戦う王が、わたしは恐ろしかった。いつか、彼の力がつきたとき、この国は終わるだろう。


 ──大丈夫です。お姉さま。あの方は強い。


(カテリーナ、だから怖いのよ。自分の身体も顧みず、王はやりすぎる)



 数時間後、部隊は戻ってきた。

 誰もが息切れするほど体力を消耗するなか、王は毅然としていた。


「海岸に到達しましたか」

「ああ、まだ数は少ないが」

「毒は?」

「医官たちを誉めねばな」

「そうですか」


 初戦は成功したと思ったが、王の顔は浮かない。斥候のネズミは、海岸にばらまかれた毒で倒れ、翌日には、死んだネズミの腐臭が王宮まで漂ってくるほどだった。


 その日からネズミたちは衰えを知らず続々と海岸に到着した。

 新しく撒く毒餌に食らいつき、次々とその場に倒れていく。


「どうされたのです」

「思っていた以上に、数が多い」

「七日で勝てますか?」

「わからないな」

「では、なぜ日にちを区切ったのです」

「人は終わりのない戦いを続けることはできない。七日と区切れば、そこが勝利の目安になって本気で戦える」


 勝てるまでの日数、それを最も知りたいのは王だったろう。彼は鼓舞するために賭けにでたのだ。その責任を取る覚悟で宣言したのだ。

 なんという孤高な存在なのだろうか。

 この王国にとって、彼が王の時代に寒期が来たのは、ある意味、幸運だったのかもしれない。


「クリストフ……」

「なんだ、コハル。悲しそうな顔をするな。似合わんぞ」

「あなたを心から尊敬して、愛しています」

「おや、今頃、気づいたのか」


 王が掠れた声で笑った。


「さあ、行くぞ。おまえに会うと力がわく」


 王は城壁に登り、続々と届く報告を聞き、指示を与える。彼の命令は的確であり、訓練された部隊は手足のように動く。


 そうして、一日が終わり、また一日が終わった。


 果てしなく湧く黒い軍団は終わりがなかった。まるで、ひとつの意志によって動かされている恐怖を知らない無敵の兵士のように、自分たちの死体の上に死体を重ね、それでも衰えることがなく、森から続々と湧いてくる。


「海岸線を突破されそうです」


 その報告を受けたのは二日目だった。

 二日間の攻防ののち、じりじりとネズミたちが砂浜を越え、第一の罠、穴にまで到達した。


「第一穴に到着しました。勢いよく落ちていますが、すぐに埋まりそうです」

「穴がいっぱいになったところで、火を放て、炎第二部隊、出動だ」


 激闘は数日に及んだ。

 第二の罠、第三の罠、第四の罠。


 押し寄せてくる黒い悪鬼のようなネズミの軍団が、勢いを失いはじめたのは五日目だった。


 王のいう七日を待たなかった。


 しかし……。


 防衛する側も疲労が増していた。

 


 六日目の朝、「北側からくるネズミがいなくなりました」という待望の報告が届いた。


「そうか」


 王はただ、そう言った。


「確認できたか」

「王さま、先ほど、他の偵察者からも報告が。おめでとうございます」

「そうか」


 報告者が退出すると、王はぐらりと身体を揺らして、その場に倒れた。


「王さま」


 王の息が弱い。


「すぐ医官を、医官を呼んで」

「……騒ぐな。みなが心配する」

「でも」

「緊張の糸が切れただけだ。しばらく、このまま、おまえの膝で寝かせてくれ。おまえの側は安心できる」


 王は静かにほほ笑むと目を閉じた。

 部屋に医官が入ってきた。わたしは彼を見て手を挙げて制止した。


「しばらく、このままで」


 医官は後退りして、部屋から出ていった。


 ──お姉さま。


(カテリーナ、許して)


 ──彼を休ませてあげましょう。敬服すべき方ですもの。




(つづく)

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