王とダグマ妃と仲間たち
「さあ、聞こうか」
宰相とダグマ妃、エドワルディが、わたしを注目している。あらたまって問われると、どこから説明していいのか迷う。
「海岸沿いで見た黒いモノ。あれを悪鬼だと思われましたか?」
「いや、あれは人の姿形ではない。しかし、数は多かった。小動物だろうな」
「遠くて、その上、大量にいたアレを、そう思われましたか。エドは?」
「あれは……」
彼は少し言い淀み、言葉を選んだ。
「ネズミのような小型動物に思えました」
「そう、わたしも同じ意見なんです。これで確信を持つしかないかもしれない」
「確信とは?」
「オンニ侯爵が記録に残したものを読みました。遠い昔に、北の島に上陸されたが、そこに悪鬼はいなかったと書かれています」
「ああ、聞いておる」
「でも、その後の顛末はご存じではないと思います」
わたしは記録された内容を説明した。
「彼らは、悪鬼を発見できなかったのですが、それでも、何かの理由で亡くなったのです」
「それが、なにか予想がついているのか」
わたしの知識は現代のものだ。ウイルスとか伝染病とかの情報がない彼らに、どう説明したらいいのか。
「悪鬼はネズミに噛まれたか。あるいは、ネズミを媒介にした何かに汚染されたことによって、病気になった人たちの姿が二百年後に伝わった、いわば、ミスリードって、そう言ってもわからないか。ともかく、悪鬼が襲ってくるわけじゃなく、ネズミによってもたらされた伝染性の疾病と考えたほうが正しいと思います」
「国がほぼ絶滅しかけた、それがネズミによる病気だと言いたいのか」
「そうです」
誰もがおし黙った。
わたしの提言によって、防御から防疫へと作戦が変更することになるからだ。もし、これが間違っていたら、やすやすと悪鬼に城を破られることになるだろう。
城は外敵には強いが、中に入り込まれたら最後、守ることは困難だ。
「もし、それが事実ならば、襲ってくるのは黒いネズミで、その対応策をすることになるな」
「海岸からは一本道です。海岸線で確かめましたが、一本道以外は、ツルツル滑る岩肌の絶壁で、ネズミも登ることはできないでしょう。これは幸いなことです。とすれば、まず、第一陣を海岸で止め、そこを突破されたら、一本道でひたすら駆除していくしかない。最後が城壁。もし、万が一にも城壁内に入り込まれたら、けっして近づかないよう、皆に徹底することです。黒ネズミに触れたり、噛まれたりした人は全員隔離するしかない。その施設も必要になります」
ネズミから罹患したとは気づかず、病気に侵されて、襲いかかる人びと。彼らの姿を、二百年前の人びとは原因がわからずに悪鬼と表現したのだ。
「そう断言することが正しいのか、わたしは、正直に言えば恐ろしいです」
「コハル、おまえの言うことは最もだと思う」
最初に答えたのはダグマだった。
「娘よ、おまえは有能だが、短絡すぎやしないか」
「お父さま、では、このまま悪鬼襲来の段取りを進めるのでしょうか。弓隊や、剣や棒で戦うには、相手が小型のネズミでは効力が薄い。それよりも、毒餌を撒いて、数を減らす方法を考えるべきです」
「この国は火薬はあるのですか?」
「火薬とはなんだね」
この地に火薬はないのかもしれない。ここは他大陸から閉鎖された世界だ。
(カテリーナ、火薬って知っている?)
──なんですか? それは。
(前の大陸では、大砲とか使うことはなかったの)
──砲づつのことでしょうか。
(あったのね。じゃあ、火薬とか国が持っているの?)
──いえ、ないと思います。
「ああ、もう火薬のことは忘れてください。王宮の医官で毒に詳しい人にネズミを駆除する毒物を用意させてください。大量に必要です。それを餌に混ぜて、海岸線に撒きましょう。今すぐに取り掛かる必要があります」
猛禽王に逡巡とか、迷うとかの言葉はないようだ。一瞬で決断すると、ダグマの顔を見た。
「ダグマ、毒物を作る組織は、そなたに任せる。海は数日で凍るだろう。やつらがこちらに来るのに、それほど時間はない。偵察隊から、刻々と状況報告が来ている」
「わかりました。すぐに取り掛かります」
ダグマはわたしの肩を叩くと、部屋から走り出ていった。
「宰相。一本道に穴を掘る部隊を第一部隊と、それからドワーフからの援軍に頼めるだろうか」
「タシュテン王国のニルス王子に状況を説明した。即座に、部隊を送るという返事が来ております」
「到着次第、道の穴掘りを頼め。そこに罠を仕掛けよう。それまでは、そなたと懇意な近衛隊隊長のグイドを使って、海岸から順番に穴を掘っていけ。第一、第二、第三と、罠を仕掛けるのだ」
「かしこまりました」
王の指示は的確で手際がいい。
「油が大量にあればいいと思います。掘った罠に落ちたネズミたちを焼き殺すには、大量の油が必要ですし、穴から飛び出さないように、壁面が滑るように油を塗るのも有効かと、あるいは、この寒さです。壁面に水をかけて凍らせてください」
「そうだな、コハル。マルキュス、国中の油を集めよ。罠穴のこちら側は凍らせるのだ」
「了解しました」
「それと、マルキュス。ファーンヴィスト騎士隊長に、油を上から投下する部隊を編成するように命じておけ。状況を説明して、人数などの編成は任せたと。訓練を怠るな」
「かしこまりました」
宰相とマルキュスが足早に去ったあと、わたしと王がハーレムの執務室に残された。
「どうした、コハル。浮かぬ顔をしているな」
「ネズミが媒介する病気だとすれば、厄介なことです。一匹でも、この防衛線を突破しただけで、伝染病は大きく広がる可能性があると思うと。ですから、最初から突破されると考えて、その場合に、どう対処するか。その対策も必要になりそうです」
「ああ、わかっておる……、だが、少し疲れたようだ。しばし休む」
王は執務室のソファにどかりと腰を下ろすと、次の瞬間、もう眠っていた。
おそらく、何日も徹夜しているのだろう。急な寒さが訪れ、王都の民も動揺しているはずだ。
彼らをなだめ、民がすべきことを告知し、これからの戦闘に向かわせるための啓蒙もしているにちがいない。
パチパチと音がした。
暖炉に火が入っていることに、この時、やっと気づいた。
赤い炎が額に皺をつくって眠る王の顔を照らしている。
その顔を見ていると、彼の心労を少しでも軽くしてあげたいと思う。
重い責任を持つ日々を癒してあげたい。
このわたしの思いが、わたしを苦しめた。カテリーナの人生において、わたしの感情など無意味なのだ。
それでも、カテリーナではなく、わたしとして、この孤高の王を救ってあげたいと思った。
(つづく)
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