第二部第1章
負ける訳にはいかない事情
体内時間と絶対時間の、どちらを基準にしようか。
会社で働いていた頃、時の経過は早かった。
日々は平凡で、時は停滞して長く感じるが、終わってみると早い。
いやいやながら月曜日に会社に向かったが最後、次は金曜日ってくらいルーティンワークの日々は早く感じた。
しかし、この奇妙な世界に来てから、時の流れが遅くなったようだ。
昨日から今日が非常に長く感じる。昔と真逆の感覚だ。
なぜだろうかと考えて、すぐにやめた。わたしには余裕がなかった。
カテリーナの不満と焦燥感が増しているからだ。あの性格だから、直接的には怒らないけれど。
いっそ怒りを爆発させてくれる性格なら反論もできるし、真の目的には近づくかもしれない。
(時間の過ぎるのが遅いわ。こういうのを充実しているというのだろうか。ねぇ、カテリーナ)
──お姉さま、あの、それではなくて、そのことでなく。聞いてもいいのでしょうか?
(聞かなくていいわ)
──あ、あの、いつ、あの、作戦を行うのは、いつでしょうか?
やっと自分から質問した。
ずっと我慢していたのだろうが、一方で、カテリーナは自分とフィヨルに全集中していれば、こと足りる。
しかし、問題は別にある。
この時間の一刻一刻が
フィヨルとの愛に集中して、彼とともに幸せをつかむなんて許されないのだ。
彼との逃亡は、公主としての責任を捨てることだ。自分の欲望に忠実なまま愛に溺れるなんて、どの角度から考えても先がない。
仮に、あの髪をくしゃくしゃって可愛がりたくなるような、フィヨルと逃亡したとしよう。
その先は考えるまでもなく絶望的な不幸展開が待つにちがいない。幸せな愛の生活など、見事に打ち砕かれる。
それが罰人生だろう。
何が起きるかわらかないが、いろいろな形でフィヨルとの別れが待ち受けているはずだ。
そして、彼女は絶望の淵に落ちて逃げる。
繰り返し、繰り返し、逃げて、逃げて、逃げて、輪廻の回廊にはまってしまう。
──お姉さま、何にため息をついてらっしゃるの?
(世界は、あなたが思っているより、ずっと複雑だってことよ。ねぇ、カテリーナ。もしも、フィヨルと駆け落ちすれば、あなたの王国の人びとはどうなるか、考えてみた?)
はっとする気配を感じた。
何も考えてないんだろうな。この子は性格が弱いだけでなく、単純で素直すぎる。
(どの角度から考えても倫理的に正しくない。もし駆け落ちすれば、母国の担保が消える。王族としての責任感に欠けることになるわよ。この王国から祖父や父や民が追い出されたら、彼らが生きていける? 生活するための土地はあるの? 家族だけでなく、すべての民を犠牲にすることになるわ)
──やはり、わたくしなんて、死ぬしか道はないのですね。
(なぜ、そこへ行きつく)
不幸のてんこ盛りの人生。芯をもって折れることなく生き抜けなければ、カグヤの贖罪にはならない。永久に不幸な転生が繰り返されるなんて、この子は知らないから言えるのだ。
そして、今回の転生は、そのターニングポイント、岐路である。
後になって考えれば、「ああ、あの時、そういう選択をしたから今になる」なポイントなのだ。
それに、この王国も、どこか気になる。ブローズグフレイ王国も、いっぱしの国というには、現代感覚からすれば小物すぎる気がする。
まず世界全体が奇妙だ。
鳥族、ドアーフ族、エルフ族などの異種族が圧倒的に多く、人族は少ない。
隣国との関係も人質を取るほどだから、不安定であるにちがいない。
ブローズグフレイ王国と名乗ってはいるが、実質的には中世の地方領主くらいのレベルだろう。
──わたくしがこの国から逃げましたら、わが国の民に報復があるのでしょうか。
(マルキュスの言葉から類推すればね、実際は逃げても問題ないわ)
──どういうことでしょう?
(あなたの母国は緩衝地帯にある小国というか村でしかないからよ。この国は隣国同士が直接的に戦闘状態にならないように、小国を間に入れることで、国の防壁にしている。その防壁を破壊するような軍事的行為をすれば、隣国への宣戦布告にも見えるから。できないわよ)
──では、どうして、わたくしを人質に。
(それは、ブローズグフレイへの忠誠の証しでしかないわ。いたほうがいいけど、なくても構わない。そういう存在がわたしたちよ)
──では!
(ただね、これは希望的で安易な見方かもしれない。逃げれば、どこかでフィヨルは殺されるでしょうね。あなたは王妃であり、オーランザンド王国の姫という価値があるから人質として生かされるでしょうけど)
浮かれていたカテリーナの感情が、しっかり沈んでいくのを感じて、ちょっとだけ罪悪感を覚えてしまった。
カテリーナには決して言えないことがある。
彼女は公主という地位にあり、それには責任が伴う。欲望に溺れることなく、尊厳を持って自分の責務を果たすことが必要なのだ。
それでこそ、この輪廻の鎖を断ち切ることができるだろう。
(つづく)
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