ハーレムで起きた事件



 ぐちゃぐちゃした思考に頭を悩ませることができるほど、数日が平和裏に過ぎた。その朝、部屋の扉が叩かれるように開かれるまでだが。

 食事中に、足早に入ってきたマルキュスの様子は、どう贔屓目ひいきめで見ても無礼だった。

 不安そうな目で焦点が定まらず、額に汗まで滲ませ、なんなら衣服も軽く乱れている。


「コハルさま」

「どうしたの、マルキュス? 何をあわてているの」

「お荷物を簡単におまとめになってください。避難いたします」

「どういうこと。この前は派手な祝宴で、今日は避難って、何事?」

「あの、事件がございまして……、以前から、何かあれば、あなたさまをお守りするようにと王さまから仰せつかっております。これは想定外の出来事です」


 彼はしきりに外部を伺っている。

 廊下が騒々しい。他の部屋に住む女たちをほとんど知らないが、みな一様にあわてているようだ。


「どういうこと?」

「コハルさまは、この地に来られてまだ日が浅いですから」


 マルキュスは腕を軽く上下して、なんとか物分かりの悪いわたしを説得しようと必死のようだ。


「何があったの?」

「あの、今朝方のことですが、オーブリー・ウーデン妃さまが刺されました」

「オーブリー・ウーデン妃……、って。誰? 刺されたって?」


 ──お姉さま、先日の謁見の儀式で、口喧嘩をした女性です。王の妃のひとりの方。


 ああ、あの美人だけど、根性の捻くれた子。敵も多そうだ。


「その犯人がまだ城内にいるの?」

「まだ詳しいことはわかっておりません。ただ、あきらかに殺されそうになったのです」

「それで、なぜ、わたしが逃げるの?」

「王さまがご不在のときですから。オーブリー妃のお父さまはウーデン侯爵で、大きな騎士団を持っている王国の有力者なのです」


 マルキュスの態度はあいまいで、どうも煮え切らない。


「問題を要約するわよ。王はいなくて、オーブリー・ウーデン妃が殺されそうになったというわけで、その父親は国の有力者。犯人はつかまっていない」

「そうです」

「ハーレムの人間はみな逃げるの?」

「いえ、それは」


 言葉を濁すような態度はマルキュスには似合わない。何を隠そうとしているのだろう。


「わたしだけってこと?」

「まさに」

「ふ〜〜ん、なぜ?」

「そこは、お察しいただいて」

「わたしが異種族の王の娘で、そのオーブリーという女とわたしが喧嘩したばかりと」

「さようにございます。ですから、急いで」

「まさか、わたしが疑われているってことではないわよね。それとも、危険人物が捕まっていないから、安全じゃない。どっち?」

「両方です」

「わたしは刺していないわよ。彼女はまだ息があるんでしょ? 犯人を見たの?」

「それが、お話しになれる状況ではございません。その上、謁見の間でのことは誰もが目撃しておりますので。それに、コハルさまは、ご評判が……」


 言葉を濁したが、つまるところ、わたしが刺したと思われているのだ。ここで逃げたら、犯行を認めたようなものになる。


「行きましょう」

「どこにでございますか?」

「現場よ」

「はい?」

「いい、事件は現場で起きてるのよ。こんな有名な言葉も知らないの?」

「存じません」


 ──お姉さま、に、逃げませんと。とんでもない事になります。は、早く。


(カテリーナ。ここで逃げたら、それこそ逃亡犯よ。マルキュスは、わたしが刺したと言ってるようなものよ。逃げたら、逆に犯人として殺されるわ!)


 ──ま、まさか。


 そりゃ、まさかよ、普通ならね。しかし、天神カグヤは不幸になる運命と決められている。きわめつけの不幸人生だから、最悪を考えるしかない。対応を間違えれば、また別の不幸人生に転生するしかない。


 そんなことになれば、カグヤだけでなく、わたしの精神も引きずられておかしくなっていく。

 生命は、おそらく細胞レベルで、その不幸を蓄えていくと読んだことがある。


(事件に突入するわよ)


 ──つ、ついていって良いのでしょうか。そんな恐ろしい場所に。


(自殺しようとした女が何を言っているの。死ぬ気なら、なんでもできるわよ)


「マルキュス、案内しなさい」

「しかし」


 日頃の律儀さをかなぐり捨て、オロオロと反対するマルキュスを突き飛ばすように、わたしは「どの部屋?」と聞いた。


「オーブリーさまはこの国の高官であるウーデン侯爵の一人娘なんです。何が起きても責任が持てません」

「じゃあ、先に納得できるように説明して」

「ウーデン侯爵はダスティン宰相とは政敵であり、王さま側の大臣なのでございます」


(カテリーナ。ウーデン侯爵の政敵とかいう、ダスティン宰相に会ったことは?)


 ──ございません。あ、あの、ずっと、部屋におりましたし。こちらに参って、すぐ川に身を投げて。


「ダスティン宰相って誰なの?」

「あの、コハルさまはご存知ないでしょうが。王さまと宰相さまとのご関係は非常に複雑で」

「複雑? 仲が悪いってことかしら?」

「まあ、そういうこともあります」

「理由は?」

「宰相さまの奥様は、王さまの年の離れたお姉さまにございます。おふたりの娘である、ダグマ・ダスティンさまは、王妃のおひとりです」

「実の姉と仲が悪くて、その娘が妻ってわけ。それは複雑だわ」

「はい、お姉さまとは、かなりお年が離れておりまして、正式な皇后のお子である猛禽王さまと、側室のお子であられるお姉さまとの間には、いろいろと確執が」

「なんだか、ややこしい状況なのね」


 ともかく、わたし以外に、少なくとも妃は二人いて、そのうちの一人が、『謁見の間』で喧嘩したオーブリー。

 もう一人は、王の政敵である宰相の娘でハーレムの妃。

 王側である妃が刺されたとなると、わたしの立場では宰相の味方になり、王の敵になるのだろうか?


 やはり、カテリーナは不運だ。

 王が不在で、その反対勢力が権力を持っているときに、寄りにもよって公の場で喧嘩したライバルの女が刺されたという。


 マルキュスが逃げよと進言するのも理解できた。


「ともかく、ここで逃げても仕方ないわ」

「しかし、コハルさま、かなり厄介なことになりそうです、あれ、あの声は?」


 廊下から興奮した女の叫び声が聞こえた。

 今度は何?


 そう思っている間に、ふたたび扉が大きく開いた。武装した兵士のような格好の男たちがズカズカと部屋に入ってくる。

 最後に入ってきた女は怒り狂い、取り乱し、さらに叫んでいた。




(つづく)

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