狂気の女と、その母
「この女よ! この女が、わたしの大事な娘を刺したのよ!」
髪を振り乱した中年女が大声で叫び、まっすぐにわたしを指差している。
服装から、高位の者であることは明らかだ。
鬼気迫った顔にはオーブリーの面影があり、昔は、それなりに美しかったかもしれない。
「いったい何事でしょうか、ウーデン侯爵夫人」
マルキュスが冷静な声でさえぎると、わたしの前に立った。チラッとこちらを見た彼の顔は、ほら、言わんこっちゃないという表情を浮かべている。
それが余計に女の怒りに油を注いだようだ。
「魔女よ、この女は魔女なのよ。わたくしの娘を無惨に殺そうとした。衛兵! 早く捕えなさい。昨日も、あの謁見式で男に色目を使って、あれは誰? 恋人なの。王さまに不敬を働く
いや、そこを突っ込むか。
フィヨルを持ち出されると反論がむずかしい。
──お、お姉さま、怖いです。この方、どなたなの? どうしたらいいのでしょう。
(カテリーナ、負けちゃだめよ。ウーデン侯爵夫人ってマルキュスが呼んだでしょ。刺されたというオーブリーの母親のようね。それにしても、なぜ、彼女はここにいるの? 事件が発覚してすぐに、一緒に住んでるわけでもない母親が現れるなんて。マルキュスも慌てて逃げるように言ったけど)
王宮に来たばかりで、わたしの味方は少ない。逃げろと言ったマルキュスは、それでも懸命に守ろうとしてくれたのかもしれない。
「ウーデン侯爵夫人」と、できるだけ冷静な声で呼びかけた。
「わたしはお嬢さんの事件と関係ないのですが」
「盗人たけだけしい。この女狐! キィーーー」
おっとと……、キィーなんて怒り声、アニメ界だけだと思っていた。現実に聞くことになろうとは……、優しく声をかけるなんてやめときゃ良かった。
この所、失敗ばかりしている気がする。
声をかけたばかりに、余計に怒りを増幅させた挙句に、夫人は鬼のような形相でつかみかかってきた。上流階級の奥さまとは思えない行動力。ある意味、清々しい。
「マルキュス!」と、わたしは叫んだ。
「衛兵!」
マルキュスの静かだが断固とした声で、はっとした衛兵が侯爵夫人をわたしから引き剥がそうとした。
その手に夫人が噛みついて反抗する。
血走った目は異様で、こんな顔は映画やドラマでしか見たことがない。考えてみれば、現代日本は平和な社会だったのかもしれない。
「わたくしを離しなさい! こっち、こ、こっちの女を捕えるのよ。こいつが、この女が」
「何を証拠に、そう言ってるんですか。わたしじゃありません」
「昨日、舞踏会で恥をかかされて、それで恨んでいるのね」
「いえ、あの程度のことで人を刺していたら、世界は血の海よ。マルキュス、ウーデン侯爵夫人に気付薬でも用意してあげて」
女は髪を振り乱し息も荒く、わたしを憎悪の目で見ている。なにかが奇妙だった。
──お姉さま、夫人は、もしかしたら、あの、なにか呪術でもかかっているんでしょうか。
カテリーナがそういうのもわかる。
さすがに衛兵たちも鼻白んだのか。狂ったように襲いかかる夫人を必死に取り押さえた。
「ウーデン侯爵夫人、カテリーナさまが犯人という証拠はございません」
「こいつよ。他に誰がいるってのよ! 顔を見て確信したわよ。ああ、可哀想な、わたしのオーブリー。あんな惨めな姿で血を流して横たわっているなんて」
「夫人、なぜ、わたしのとこへ来たの?」
「昨夜、娘を脅したでしょ! あの子が怖くなって使いの者を寄こしてきたのよ。おまえに脅されたって。でも、人質の立場のおまえに何ができると甘く見ていた、わたくしが愚かだった。まさか、こんなことを! この蛮族が」
わたしが脅した?
「わたしは脅してなんかいません」
「ふざけるな。娘に血のついた短剣を贈ってきたでしょ。恐ろしい女よ、こんな弱そうな顔をして、ドス黒い感情が渦巻いてるんだわ」
「マルキュス、これ、どういうこと? わかる?」
マルキュスは首を振った。
娘を傷つけられた怒りを、わたしを責めることに転嫁しているのか。今は理屈が通る状態じゃないほど興奮している。
「現場に行くわよ。ついてらっしゃい」
わたしは彼女を無視することにした。状況をこの目で見なければ、どうなっているのかわからない。
なぜ、脅されたと思い、母親に訴えたのか。
あらゆることが奇妙だった。
「どこへ行くの! 戻ってらっしゃい。早く、あの女を!」
侯爵夫人は衛兵に腕を押さえられたまま叫んでいる。マルキュスは眉をあげると、決心したのか先に立って歩いた。
「こちらにございます」
オーブリー・ウーデン妃の部屋は同階にあり、中庭を挟んだ対面にあった。
(カテリーナ。この世界の警察機構について知っている?)
──警察ってなんですか?
(人が殺された場合、誰が犯人を捕まえるの?)
──この国で、そういう権利があるのは、王さま直属の近衛隊だと思いますけど。
(そう、軍隊が警察の代わりになるのね。そういえば、中世ヨーロッパでは警察はなくて自警団のようなものがボランティアでやっていたわね。ここでも王直属の衛兵たちね)
──それを近衛隊と呼ぶようですが。
(名前は重要じゃないわ)
「マルキュス、王が不在の場合、ハーレムでの事件を誰が指揮を取るの?」
「それは宰相さまになります」
「誰が宰相なの」
「ですから、この前」と、言いかけて彼は口をつぐんだ。
謁見の間で王国の貴賓たちに挨拶しなかったのは、わたしの落ち度だ。それを責めたいのは明らかだが、終わったことだ。
「簡潔に申し上げますと……、この国の運営は主に王さまと宰相殿がまとめるという構図になっております。王さま側の数少ない味方が、今回刺されたオーブリーさまの父、ウーデン侯爵さまです。実際のところ王さまの権力が盤石というわけではないのです」
「つまり、宰相派は敵と言いたいの。そして、刺されたのは王の味方と」
「大きな声では申し上げられませんが」
だから言わんこっちゃないというマルキュスの心の声が聞こえてきそうだった。彼がわたしを逃そうとしたのは、オーブリーを刺したのが誰であれ関係ないのだ。犯人として、わたしの立場が重要なのだ。
「王がわたしを守れば、彼にとって不利になり、宰相側にとって有利なのね」
「ご明察にございます」
オーブリーの部屋の前には大勢の人が集まっており、もしかしたら、わたしは自ら罠にはまりに来たのかもしれない。
(つづく)
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