第一部最終話



(カテリーナ。ずっと名前を呼び合っているけど。人に見られたらまずいわよ。あなたは王の妃なのよ)


 お互いの名前を愛おしそうに呼び合うだけで、言葉を失い、そのまま何もできず、ふたりは立ちすくんでいる。

 中途半端に手を差し出しては戻し、凍りつき、また差し出す。

 不毛な仕草をただ繰り返しているだけとは、まったく気づいていない。

 傍観者であるわたし以外は……。


「お会いしたかった、カテリーナ」

「わたくしも、とても会いたかった、フィヨル」


 こういうのを純粋と言うのだろうか。

 たぶん、汚れ過ぎたわたしが、婚活市場やら合コンやら、社長室秘書課やら海賊船やら、過去のいろんな時間に、ぽとんぽとんと落とした何かをまだ大切に抱えて生きているのだろう。


 ふたりの姿は痛々しく、苦しいほど純粋で感動的でもあった。

 わたしが捨てたものが惜しかったものかどうかは疑問に感じるけれど……、少なくとも、わたしは感動してしまった。

 みぞおちの辺りに塊ができ、喉もとまで突き上げてくる感情。それがフィヨルに出会って涙があふれるカテリーナの感情とシンクロした。


 泣きたくないのに、涙があふれて溢れおちていく。


「カテリーナ」

「フィヨル」


(ねえ、カテリーナ。 聞こえてる?)




 返事がない。聞こえていないんだろう。


「カテリーナさま、幼い頃から、ずっと好きでした。でも、あなたと引き離されたことでさらに自分の愛情を確信したのです。だから、もうこれ以上、離れていることなど耐えられない」

「フィヨル、フィヨル。わたくしもよ」

「やっとあなたに会うことができた」

「あなたが辛い日々を過ごしている時、わたくしも辛い日々を過ごしていたのです。この抑えられない思いを抱いて、ただ泣くことしかできずに、絶望していました」


 夕暮れが近づいていた。仕事が終わり、帰宅の時間を告げる鐘の音が遠くから聞こえてくる。

 城門が閉じる時間だ。


(カテリーナ、そろそろ戻らないとまずいわよ)


 ──もう少しだけ、もう少し待って。お姉さま。


「戻らないといけない時間なの、フィヨル」

「もう少しだけ」


(もう少しって、どれくらい?)


「なにをしても。どこにいても、あなたの姿が目に浮かびました。僕は……。ここであなたが幸せに暮らしていれば、それでも耐えられると思っていた。だけど、大河に身を投げたと聞いて限界でした。カテリーナ、なんてことをしたんですか」

「ごめんなさい、フィヨル。絶望したの。でも、いまは違う。ふたりで歩いたあの時のように、いつか、いつか、きっと共に歩けると思うことで耐えています」


 フィヨルはカテリーナに体を寄せ、その背中を優しくなぜた。それがあまりに優しくて彼女は泣いた。

 彼は「大丈夫、きっと、大丈夫だから」と、囁くように背中の手に力を入れる。


「僕はバカです。策略とか、計略とか、そんなものがわからないほどバカなんです。それでも、爪が割れて血が吹きだすほど、頭を掻きむしって。考えて、考えて、考え抜いています。あなたをここから必ず救いだします。僕は全身全霊をかけて、ここから救い出す方法を見つけます。だから、それまで希望を捨てずに待っていてください。決して、自ら死のうなんて思わないでください! 僕の大切なカテリーナさま。あなたは僕の命なんです」

「ええ、ええ、フィヨル。わたくし待ちます」


 太陽が西の空に落ちようとしていた。わたしは声をかけようとして、言葉がでなかった。


「……僕は必死で努力します。僕たちが一緒になれる方法を全力で探し出しますから。その時を思い描いて、幸せな気持ちで待っててください」

「フィヨル」

「もう、僕をおいて死のうなんて、けっして考えないで」

「うん、フィヨル。待ってる。ずっと待っているから」

「何年かかっても」

「何年かかっても、待っているわ」


(いや、わたし、がんばってあげる、カテリーナ。

 このままじゃ、ロミオとジュリエットみたいになりそうだから。社長秘書室、筆頭秘書の名にかけて、必ず、あんたたちを一緒にしたげる)


 カテリーナとフィヨルは、お互いの体を抱きしめ静かに泣いていた。きっと、わたしの声なんて全く聞こえないんだろうけど。

 とりあえず、ここで誓うわ。




 ──ありがとう、お姉さま。




(第一部完結)

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