刺された妃との対決




「な、なにを言ってるの! ク、クリストフ、王さま! 聞いた、聞いたわよね。わたしを殺そうとしたのよ! それなのに、その口の利き方はなによ!」

「だから、この傷はね、オーブリー」


 試しに鞘付きの短刀でオーブリーを前から襲うふりをすると、おびえて王の背中にちゃっかり隠れた。

 こういう女ぽいあざとさに騙される男も多いだろう。

 しかし、クリストフ猛禽王は、冷たい視線を浮かべたまま動じない。オーブリーが哀れなのは、その王の態度に気づいていないことだ。


「あなたの傷はね。素人が短刀で前から突き刺してできる傷じゃないのよ。長刀の扱いに慣れた者が袈裟斬りするように、斜め上から下へと切り裂かなきゃできない傷で。でも、凶器は短刀なんでしょ。わたしが前から襲って切りつけたと言うけど、短刀で前からなら、自然にこうなる」


 両手で短刀をもって、左腕をまっすぐに刺す演技をした。わたしが冷静になればなるほど、お約束のように彼女は興奮する。


「わたしは、こういう刺し方しかできない。短刀が上腕部に当たって、力が強ければ腕を貫くし、弱ければ刃先の傷ができる。そこから抜いて肌を引き裂くことはあっても、上から下へと流れるような傷にはならない。そしてね、この傷は、一日すぎても傷に盛り上がりもないから、皮膚の表面しか切れてない。あなた右利きでしょ」

「それが何よ」

「右利きの人が、自分の腕を切った痕なら、こうなるわね。傷は浅いけど痛かったでしょうね」


 わたしは、右手で短刀を持ち、自分の左腕を切るふりをした。


「ほら、あなたの傷は、こういう風に切ることでできる。自傷と他傷の違いがあきらかなの」


 オーブリーの顔が真っ赤になり、わたしに襲いかかろうとしたとき、パンパンッと両手を叩く音が聞こえた。


「オーブリー! やめよ」

「で、でも、クリストフ」

「おまえを甘やかしすぎたようだな。部屋へ戻っておれ!」

「だって、クリストフ、王さま、わたしを信じているでしょ。こんな魔女に騙されないでしょ」

「衛兵!」


 王の仮面のような表情を、やっとオーブリは気づいたようだ。すでに手遅れなのを知り、自分のヘマに彼女は絶望した。


「……クリストフ」

「衛兵。オーブリーを部屋へ連れて、しばらく、閉じ込めておけ」

「そ、そんな。わたしのことを好きじゃないの。お父さまが……」

「わたしが、おまえの父親を恐れているとでも言うのか。わたしの通り名を知らない者が、この国にいるとは驚いた」

 

 王の冷たい声にオーブリーは青ざめた。さすがに『血ぬられた王』とか『残虐王』とか噂されるだけある。


「お、お許しくださいませ」


 衛兵がオーブリーを連れ出すと、王はわたしに顔を向けた。


「カテリーナ。部屋に入って、話を聞こうか」

「お聞きでしょう。もうわたしは……」


 逃げようとした腕を掴まれ、強引に部屋に連れ込まれた。マルキュスが扉を閉める。

 え?

 この男とふたりきりになるわけ?


「見事なものだ、妃よ。わたしの助けは必要なかったようだ」

「あの」

「ソファにすわりたまえ」


 王の私室というが、ベッドがない。寝室は別の部屋なのだろう。

 窓際に大きなデスクが置かれており、ここは私室というより私的な執務室なのかもしれない。ホッとして、そして、少し落胆した。


「どこに」

 

 クリストフの目が左をさした。

 デスクの左側には暖炉があり、その前には色鮮やかな敷物をかけた大型のソファがあった。

 暖かい地だから、暖炉の必要性はないはずで、実際に使った様子もない。

 これは王の趣味なのだろうか。

 天井から吊り下げられたシャンデリアも木造りのシンプルなもので派手な印象はない。全体的に品よく、ゆったりとくつろげる空間だ。


「ずっと、立っているつもりかい? 暖炉の前にすわるといい。飲み物を用意しよう」


 暖炉の前にかしこまって腰をおろすと、王が赤い液体の入ったグラスを渡してくる。彼は、そのまま暖炉の縁に肘をついた姿勢で立ち、穏やかな表情でわたしを見つめている。


「飲むといい、気持ちが落ちつくはずだ」


 なんの酒だろうか。

 口に含むとフルーツの甘く濃い味がして飲みやすい。もしかすると、この甘さに騙されるが、アルコール濃度が高いかもしれない。ひと口飲んだだけで胃にかっとした熱を感じた。


 王は何も言わない。

 ただわたしを見ていているだけで、それが妙にどぎまぎして、思わずグラスの酒をぐっとあけた。


 身体が熱くなり、それから、トロンと気持ちが安らいだ。


 これまでの緊張もあって、眠気が襲ってくる。

 いや、それは、まずい。

 わたしは頬を叩いた。


「なんの捜査もせずに、いきなり罪で牢なんて」

「状況を知って助けようとは思ったのだが。途中でね、君が踊っていると聞いて」

「まさか、見てたのですか?」

「邪魔しては悪いと思った」


(知っていたなんて。カテリーナ、こんなヤツ。すぐに逃げるわよ!)


 ──お姉さま、もちろんです。


 怒りから言葉を失っていると、クリストフはいつの間にか息がかかるほど近くにいた。


「さあ、もう一杯飲みなさい、気分が落ち着くだろう」


 彼はグラスに酒をそそいだ。これは甘い誘惑だ。


 ──この王の評判を聞いたことがありますか? 恐ろしい噂しかないんです。早く逃げましょう。


「では、部屋に戻っていいんですね。この、酒? 美味しかった」

「では、ひと瓶、部屋に届けておこう」


 立ちあがろうとすると、手首をつかまれた。


「急ぐことはなかろう。話がある」

「わたしはありません」


 つっけんどんな声をだした上に、すこし性急すぎた。カテリーナの容姿は少女の面影も残る可憐なものだ。

 しかし、中身はわたし。

 社会経験もながい三十三歳。

 男を前に、少女のようにドギマギするような年齢じゃない。しかし、カテリーナよりもわたしのほうが動揺している。


 クリストフ王は、長い足を伸ばして隣に腰を下ろした。


「時に人恋しい時がないか? ひとりでいたくないような時だ。だから、しばらく、そこにすわって、つきあってくれるだけでいい」


 声をかけようとしたが、彼はグラスの酒をくいっと空けると、火のついていない暖炉を静かに見つめている。牢獄で聞いた彼の過去を思い出して、立ち去ることができなくなった。



(つづく)

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