ハーレムに広がった噂
聞こえよがしに嫌な噂が耳に届いた。わざと耳に届くように画策しているんだろう。
まったくオーブリー、性格がいい。
もと秘書課のお局さまに、いい度胸だ。
曰く……、
「カテリーナ妃って、まったく最低な姫のようよ。短剣で刺したくせに、王さまに嘘をついて、オーブリー妃の責任にして罪を免れって。カテリーナって、ほんと怖いわよ」
「怖いというより、悪女よ」
「聞いた? 牢に入れられても、下賤のものたちと踊っていたって」
「あきれた。信じられない? 王さまが騙されて解放したって話よ」
こうした薄っぺらな噂話をオーブリーは侍女たちを使って、あっという間に宮中に広めた。それは砂地に水が浸透するように、安易に広がった。
刺殺事件をオーブリーの自作自演だと王に証明したことで、さらに恨まれたのだろう。彼女のような人は、どんなに恵まれた生活をしていても、常に心に不満を抱いている。
そんな相手に関わるしかないカテリーナを不運と思うしかない。
──お姉さま、酷すぎます。結局は、わたくしが短剣で刺したみたいになっています。
(それは、事実とはちがうから。言いたい人には言わせておけばいいのよ。こういうケースではね、王宮中を歩きまわって無実を説明したって、納得されることはないわ。信じない人は最初から信じないし、噂に流される人は、どうせ流される)
──で、でも。
(カテリーナ。世間に自分を説明して回ることぐらい無駄なことはないわ。そんなことしても愚かなだけ。もともと人って他人の誹謗中傷や不幸話が大好きな生き物なのよ。だから、ムダ、ムダ。無駄なことに、労力や時間を割いても、結果として得るものは少ない。ここは堂々としているだけで、いずれ、そんな噂は消えていくわ)
──お姉さまって、本当に強くて逞しくて、すごく羨ましい。そんなふうに強くなれたら。
(あら、わたしだって落ち込むことはあるわ)
──ぜったいにないと保証します。
(ま、他人にはわからないのよ。でも、まあ、ちょっと腹は立つわね)
気にするなとは言ったが、内心ではモヤモヤしている。王がこの状況を傍観するだけで、関わろうとしないことにだ。
「王さまって、なんか苛立つわね、マルキュス」
「コハルさまは、王さまの秘密をご存じないですから」
「なんなのよ」
「女性には苦労なさっています」
わたしは吹き出した。
「まあ、王という仮面を取り払った一人の男としたら、魅力的かもしれないわ」
「それでは、コハルさまは新月に王さまとお会いにならないことです」
「何? それ」
マルキュスは眉をあげただけで、何も言わずそのまま引き下がった。
新月?
猛禽王は、めったに王宮にいない。
当然、ハーレムを訪れる回数も少ない。もしかすると、秘密の別宅でもあるのだろうか。
新月にはハーレムに泊まるということだろうか。
王によって牢から解放された翌日、厄介事がこれだけで終わらないと知ることになった。
ダグマ・ダスティン・ブローズグフレイ妃から呼び出しがあったのだ。
オーブリーに嫌がらせをしようと思っていた矢先に、このハーレムでもっとも権力がある最強女から声がかかった。
彼女は国の権力者である宰相の娘であり、実質的にハーレムを取り仕切っているらしい。予算を含め、使用人たちの給与や賞罰も、彼女の采配によって運営されている。
つまり、ハーレムでもっとも大きな権力を持つ王の妃だ。
その上、ダグマの父親は現宰相で、母親は猛禽王の年の離れた異母姉なのだ。その意味でも由緒正しい血筋である。
つまり、彼女は王族の血を引く、年齢的には近いがクリストフ王の姪である。
「なぜ、わたしが呼ばれたの?」
マルキュスに聞いても、首を横に振るだけで答えがない。
「おそらくですが、今回の噂が原因かもしれません。ダグマさまは責任感が強いお方でありますから」
「厄介なことね」
「それで、コハルさま。ここは穏便に、おだやかに。ともかく争い事は起こされませんように」
「あら、わたしはいつだって物事を穏便に、おだやかに、争わずに生きているわよ」
マルキュスは眉をあげた。
まったく信じていないようだ。
「いいわ。その人はどこに住んでいるの?」
「ダグマさまの部屋は、王さまの部屋の、ちょうど対面にございます」
ハーレム全体の建物は長方形をしており、建物の中心に中庭が配してある。この中庭には毒々しい色の花が多く植栽され、香りも強い、むせかえるような南国風の匂いを常に漂わせている。
中庭を巡る回廊に沿ったわたしの部屋は、王の居室からすれば右側に並ぶ五部屋のうちの三番目で、両隣は無人、誰も住んでいない。
オーブリーの部屋は中庭の向こう側。
王の居室からすれば左側にあり、やはり五つの部屋が並ぶなかの一つだ。
ダグマの部屋は王の対面で、他の妃に比べると居住スペースが倍以上になっている。まさに王妃の部屋と言えるだろう。
わたしもカテリーナも、これまで彼女と顔を合わせたことがない。結婚式の祝典に出席していなかったとマルキュスから聞いた。
「彼女がなんの用なの」
「コハルさま。ダグマさまとお呼びくださいませ。正直に申し上げますが、冷や汗がでます。率直に申し上げますが、オーブリーさまのようにはいきません」
マルキュスの言葉を無視して、クローゼットから、新しいドレスを取り出した。
地味な衣装がいいのかもしれない。
派手なドレスが多いクローゼットから、もっとも地味な衣装を選び、マルキュスに見せると、彼は謹厳な顔つきをしてうなずいた。意にかなったようだ。
「マルキュス、着替えるから、外で待っていて」
「承知いたしました」
彼は部屋の扉を閉じると手伝いの侍女を呼んだ。
マルキュスの案内でダグマの部屋に向かう。
案内を乞うて、室内に入ると、中央にある大きなデスクが最初に目に入る。左側は壁一面が書棚になり、王の部屋にあったような暖炉はない。
そもそも暖かい地だ。
暖炉など飾り以外に必要がないはずだ。
機能性に徹したインテリアは、ダグマの性格を端的に表しているかもしれない。あのオーブリーが嫉妬しない理由がわかる気がした。
ハーレムに住む女の部屋というより、副社長のオフィスルームといった趣き、間取り的にはクリストフ王の部屋と同じのようだ。
目前のデスクでは、これまたハーレムの女なのかと疑うようなシンプルな服装の女が仕事をしていた。その隣に従者が控えているが、男ではなく女が、マルキュスと同じ服装をしていた。
彼女はあきらかに侍女ではなく秘書だろう。
目の前の女は黙って羽ペンをくるくる回してから、目をあげた。
「あなたがカテリーナ妃?」
「はい」
膝を軽く曲げ、敬意を表して頭を下げる。
「そう、ちょっと待って。この書類を片付けてから。今年の予算が合わなくてね」
サバサバと事務的な態度で言うと、彼女はアバカスというソロバンを立てかけたような計算道具を使い、指で玉を横にはじいた。どこから観察してもハーレムの女とは思えない姿で、計算に没頭していた。
(つづく)
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