最終章
オンニ侯爵の恐ろしい秘密
エドワルディが数枚の記録紙を携え戻ってきた。
差し出すとき躊躇したのは、おそらく、この内容が漏れることを家の恥だと考えているのだろう。
「これが父の記録です。綺麗な状態とは言えないのですが、読むに支障はありません」
「貴重な情報ね」
「いろいろアレで、公にするには憚れる内容です……。家族にとっては
そう言って、彼は数枚の羊皮紙を乱暴にパサッと置いた。
「父は北大陸への調査後に……、病死したことになっています。実際には自殺でした。離れ屋にこもり、火をつけて亡くなった。そんな父の死を表沙汰にしたくなかったのですが。もしかすれば、コハル。あなたなら、これを読んでわたしには理解できない何かがわかるかもしれません」
デスクに置かれた羊皮紙は縁がくすんでいる。これは火事のせいだろう。
大事な記録と聞いて、分厚いものを予想したが、実際は箇条書きの日記のような体裁で五枚しかない。
最初の三枚までは、理路整然とした文字が並んでいるが、後半二枚は、文字がひどく乱れている。
「これを書いたとき、父は
エドワルディは左手に黒ずんだ青銅の箱を持っていた。
「離れ屋は消失しましたが、これだけは焼け残りました」
「よほど後世に残したかった記録なのでしょうね」
会話の途中、彼は何度も自殺と繰り返した。それは幼児期に負ったトラウマ的な出来事だからにちがいない。
わたしはオンニ侯爵の記録を手に取った。
冒頭は、メンバーの名前からはじまる。
『ヴィレン、ルンド、ノガノフ。
勇敢なる彼らに、常に我とともに行動した彼らの人生に哀悼の意を表して、これを書き残す』
最初に書かれていた言葉だ。
*******************
九月二十六日
ヴィレン、ルンド、ノガノフとともに小型帆船で北大陸の砂場に接岸した。
一昼夜、帆船から観察したが、悪鬼の姿は、どこにも見えない。
お調子者のノガノフが、「侯爵に恐れをなしたんですかね」と冗談を飛ばしたが。笑ってもいいのだろうか。
静かな海岸が広がっている。大いに警戒していたのが、愚かしく思えるほど平和な島だ。
悪鬼が襲ってきた場合、帆船を捨てて飛んで逃げる。そんな段取りも無用だった。
大型動物もいない。
この北の島は実に実り豊かだ。
樹木には果物がたわわに実り、ネズミに似たこぶしくらいの小動物を見ることはあっても、危険な動物とは出くわさない。
ネズミ様の生き物は、天敵がいない環境だからか、大いに繁殖しているようだ。
黒い体毛をもち、赤い目が特徴的だ。
空には白い鳥が群れとなって飛んでいる。
こちらに近づいてはこない。
二百年前、この地に寒期が襲い食物がなくなったことが理由で、悪鬼が襲ってきた。そう伝えられた悪鬼は、いったい森のどこに潜んでいるのだろうか。
九月二十七日
悪鬼の大きさは人と同じと文献には掲載されているが、そうしたモノが森内で生きているとは信じ難い。
鳥の鳴き声が聞こえる。
一昼夜すごしても、平和な穏やかさに満ちた世界でしかない。
ただ、じっと海岸で設営しても埒が明かない。森の中を探索することにした。
武器を手に用心して、午後から森に入った。
先に行くほど森は濃くなり、ある場所から、われらの侵入を拒むかのように、鬱蒼とした樹木が行く手を阻む。
なんという魅惑的な美しさだろう。
太陽光が木々の間から漏れ、白い光の帯を作っている。ここに悪鬼がいるとは、とうてい思えないほど、深閑とした美しさに満ちた神秘な世界だ。
『ここで記録は一日、飛んでいる。書くことがなかったのか』
九月二十九日
ルンドとノガノフの様子が変だ。
岸辺に設営したテントで眠っているが、未明から高熱を出し、割れるように頭が痛いと呻いている。
もともと大袈裟なノガノフならまだしも、日頃、我慢強く不平を言わないルンドまで叫んでいる。
いったい何がおきたのか。
時間が経つほどに、彼らは苦痛で絶叫し、身体が黒く変化していく。なにかに噛まれた痕が足首にあり、そこから
看病を担っていたヴィレンも噛まれたほどだ。
九月三十日
ルンドとノガノフは凶暴で手におえず、ヴィレンは二人に食い殺された。彼らを、このまま放置することもできない。もう殺すしかない手がない。
苦渋の決断だった。
頭痛がする。身体が熱っぽい。これは、当初、ルンドとノガノフが訴えていた症状と同じだ。
手首に傷がある。いつの間に噛まれたのか、まったく気づかなかった……。わたしは、いったい何をしてしまったのだ。
『我が一族に告ぐ。けっして北の大地を探索してはならない』
************
記録はそこで終わっていた。
「父は、ひとりで屋敷に戻ってきました。
母が言うには、顔はどす黒く憔悴して、かつての父の面影はなかったそうです。戻ってすぐ、父は敷地内にある離れ屋にこもり、内側から鍵をかけ『誰も近づくな』と命令したそうです。
母や使用人たちが、さんざん出てくるように懇願したのですが。
その日は仕方なく母屋に戻ったそうです。未明、離れ屋から火が出て全焼しました。焼け跡で発見されたのは、父の遺体と、この記録です。青銅の箱に入って無事でした」
(つづく)
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