三角関係とフィヨルの疑い
フィヨルは怒りからなのか恐れからなのか、もともと白い肌がさらに血の気を失い青ざめていた。
誰から見ても、嫉妬に狂った男の顔だと思うだろう。それがわたしを、このスレっからしの女であるわたしを感動させてしまう。
たぶん、カテリーナは彼のこうした、ある種の純粋さを愛しているのだ。
隣に並んでいる訓練の行き届いた王の親衛隊までが、お互いに顔を見合わせ、気まずそうに目を伏せる。
まずい。
これは、ぜったいにまずい。
クリストフ王を横目で見たが、彼の感情は読み取れない。しかし、フィヨルの態度次第では大事になりそうだ。
いや、もう、なに、わたし。
ここで、まさかのモテ期到来?
それも最もあってはならない最悪の時に、悪鬼襲来が目前の、生きるか死ぬか直前の、そんなときにモテ期なんて。
なんて間が悪いの。まさか、これもカグヤの罰人生だとしたら怒りそう。
ともかく、なんとかしなきゃ。
「フィヨル!」
大声で叫んで彼のもとに駆け寄った。
「ありがとう、頼んでおいたモノを発見できたのね!」
「え?」
わたしの大声に押されてフィヨルがまごついた。親衛隊も、王も、そこにいるすべての人にまごついて欲しいと思う。
だが、フィヨルは、「僕は何かを頼まれていましたか? すみません、もしそうなら、ご期待を裏切ってしまったようです」と言った。
まったく、この子は……。胆力も経験も猛禽王と張り合うには百年は早い。
「よかったわ、来てくれたのね。頼んだもの、持ってきてくれた?」
「頼んだ、あの、モノって」
お願い、そこは持ってきましたと、答えて欲しい。
そんな恋する人を見つめる真剣な目をして、まごついている場面じゃないと、気づいて欲しい。
サクサクと砂利道を歩く音が背後から近づいてきた。きっと、猛禽王だ。
わたしは満面の笑みを浮かべて振り返った。
しかし、振り返った瞬間、後悔した。その顔を見てたじろいでしまったのだ。
やはり、この男には小細工が効かない。
かわいいフィヨルとは違う。手のひらで転がそうとすれば、逆に反撃されて、こちらが傷を負う。
「王さま、これからエドといっしょに結果を精査してきます。エド! フィヨル、準備をしといてくれたわよね。昔から役に立つ従兄弟だもの」と、大声で説明した。
わざとらしさに、自分でも辟易したし、急に呼ばれたエドワルディも驚いていた。
「ここよ。ここ、急いで来て、エド。今は緊急事態なのよ」
「何でしょうか」
エドワルディが気のない返事をして、ゆっくりと近づいてくる。
あきらかに不機嫌で、世俗のことに疎い学者でさえ、この三角関係を理解して巻き込まれたくないと思ったのだろう。
ということは、二十名の親衛隊も固唾をのんで、この状況を面白がっているか、憂えているはずだ。
「先ほどの話。記録を読ませて。これは早急に対処しなければ」
「記録とは?」
王が口を開いた。その声が掠れている。
「オンニ侯爵の記録が残されているのです」
「彼は病死したという認識だったが」
「王さま、今日中に調査してご報告いたします」
「わかった、コハル。必ず、報告に来い」
「もちろんです」
「それから、フィヨルだったか。そちは自分の立場をわきまえた方が良い。これは警告だ」
フィヨルの返答を待たずに猛禽王は背中を向けた。あっさり去った様子をみると、やはりフィヨルより大人だ。
「コハルさま、おかえりなさいませ。空の旅はいかがでしたでしょうか」
驚いたことに、マルキュスもそこにいた。いつのまに……。最悪なことが起きそうだったのに、終わってから声をかけるところが、マルキュスらしい。
「マルキュス、何か言いたいことは?」
「何もございませんが」
「なぜ」と言って、横にいるフィヨルを目で示して、フィヨルがここにいる理由を求めた。
「そこは、わたくしの業務範疇を逸脱しておりますので。そもそも、彼をひき入れたのはコハルさまです。ご自身で責任を持っていただかないと」
わたしはマルキュスがいつもやるように眉をあげた。マルキュスはシレッとした顔で、肩をすくめている。
まったく、どいつもこいつも。
「フィヨル、ともかく文書庫へ行きましょう。エド、歩きながら教えて。もう時間がない気がするから」
「では、まず、父の記録書を取ってきます。文書庫で会いましょう」
「じゃあ、文書庫で。マルキュスは?」
「わたくしは王さまからの指示があって、そちらを先に。大規模な籠城のための、在庫管理とか、本来の仕事がありますから。後ほど、また」
「そう、じゃあって、まずい……」
仕事ができる二人の男たちは去って、子犬のように尻尾を振るフィヨルしか残っていなかった。
「フィヨル。文書庫へ行くわ」
「お供します。しかし」
「なに?」
「カテリーナさま、僕の疑問に答えてください。あなたは変わってしまった。まるで別人のようです。何があったのですか? もう僕を愛していないのですか?」
今、ここで直球勝負に来るタイミングなの。
悪鬼が優先順位の赤色よ。この子、たぶん、そういうことを考えない。
優先順位などどうでもいいのだ。
その点において、カテリーナと似ている。感情で行動するし、そもそも幼い。純粋ともいうけれど、今はそれを評価できるほど気持ちに余裕がなかった。
(カテリーナ、どうしよう)
──お姉さま、わたしと変わってください。フィヨルは素直な人なんです。きちんと説明すれば、理解してくれます。
その性格が問題なんだが。
わたしたちが二人いるなどという天神の采配を、きちんと説明できると思っているのだろうか、カテリーナもフィヨルと同じようなものだ。
(いいわ、カテリーナ。まかした)
「フィヨル」
カテリーナが囁いた。
「わたしね、実は死んだの」
「え?」
「すべてに絶望して、大河に身を投げて自殺したの。あなたを愛しているから、他の男の妻になるなんてできなくて」
「カテリーナ、今は君だね。僕のカテリーナ」
「そうよ。あなたのカテリーナよ。そして、さっきまで、あなたが話していたのは、天神なの」
え? 違う、実際の天神はカテリーナの方だから。カグヤの転生は彼女であって、わたしは助っ人というか。なりゆきでというか、手違いっていうか。
普通の社長秘書でしかないんだから。
「どういう意味ですか? まったく理解ができません」
当然よ。理解してもらっても困るわ。
「あのね、フィヨル。死にそうなとき、地獄の門前で天神が降臨したの。恐ろしい場所でした。変な声が聞こえてきて、シ、シンジュク〜、とか。奇妙な音があふれ、そして、鉄の塊のような四角いモノが、ものすごい速度で襲ってきたのです」
「まさに地獄ですね」
それは、カグヤが本郷幸子として新宿で投身自殺したときの映像だ。わたしを巻き添えした瞬間をうっすらと覚えているのか。
しかし、地獄って。
違うから、この世界より、よほどマシな世界だから。
「気づいたら王宮のベッドに寝ていたのです。まだ、死んではいけないって、使命があるからと。わたくしなんか、そんな資格もないのに。天神さまが、わたしの中に降臨したのです。今は、わたしといっしょに暮らしているの」
「コハルとは天神さまなんですね。少し乱暴な天神だと思いますけれど。ああ、そうか。天神だから人間離れしてるんだね」
水を飲んでたら、間違いなく盛大に吹き出した。
「ええ、そうなの、フィヨル。弱いわたしを救うために、そして、悪鬼から世界を救うために、わたしの中に宿ってらっしゃるの」
「そういうことだったんだね、カテリーナ」
おいおいおい、この世界観で納得できたって、今時の小学生でも、もっと捻くれている。
「だから、わたくしが奇妙だと思っても、黙って欲しい。わたくしの愛するフィヨル。お願い」
「ああ、もちろんだ。君のためなら、僕はどんなことでも耐えられる」
「ありがとう、フィヨル。コハルと変わるわ」
「あ、待って。もう少しだけ、もう少し、僕といて」
「ええ、フィヨル」
えっ! それで納得するの。わたしは納得できないけど。
もういい、深く考えるのはよそう。今は悪鬼が優先順位の一番だ。
後のことは後で考えよう。
(第2章完結:最終章につづく)
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