新月、発情期王の帰還
大臣たちがイライラした態度を隠しもせず、わたしを追い出そうとするなか、ダグマが彼らを遮った。
「お父さま、わたくしたちが、いくら話し合っても有効な手段はないようだ。恐ろしいのは、みな同じ。聞くだけ聞いてみましょう」
わたしは礼を述べてから、台座に広げた簡易地図を手で示した。
「これが、大陸の地図。そして、こちらが王宮です。ご覧ください。悪鬼の通り道を塞ぐように城壁を建設しています。これは、当時の人びとが国を立て直したのちに、最初に行ったことだと調べました」
「それが」
「この城の意図を、皆さまは長い年月経て、忘れてしまっています。これは盾なんです」
「なぜ、この地に来たばかりの妃にそれがわかる」
「この大陸に流れつくまで、わが王国オーランザンドは大国に挟まれた弱小国家でした。周囲を四大大国に囲まれ、大国同士の戦いがはじまれば、小国は必ず犠牲になります。大地は蹂躙され、民は奴婢として売られたのです。わが国の民が、国を捨て海へと船出した理由です」
(カテリーナ、これ、間違ってないわよね)
──その通りです、お姉さま。哀れな国でした。
「それが、今、なんの関係がある」
「当時、大国のなかで、唯一、他国が攻め落とせない国がございました。時に残りの三国が合従軍を作り、その国を攻めたのですが勝てませんでした。おそらく、あの大陸では、いずれあの王国が覇権を握るでしょう」
──お姉さま、そこは初耳です。
(そりゃ、そうよ。この世界の話じゃない、中華の古事を話しているから。物語で読んだ中華の歴史ではね、秦国が
──嘘なんですか?
(この世界の話じゃないけど、真実よ。今は黙って、集中できない)
「それは、なぜだね」
「兵法とは戦いの書です。今では失われた書ですが、わたくしは、幼い頃、祖父の所蔵する貴重本で読みました。それによりますと、十倍の兵力でも落とせなかった城壁があったのです」
「信じられん」
宰相に媚びるような上目遣いをした別の大臣が、「愚かなことを」と、追随した。
「十倍の兵で攻められて無事なはずがない」
「これは史実です。とくに、悪鬼に知能はないと聞きました。飛べないイナゴの大群が押し寄せてくるようなもの。城壁で堰止めなくて、どこで止めるのです。逃げれば、ただ襲われるだけの烏合の衆になるだけです」
鳥だけにと心のなかでつぶやいた。
「鳥族は誇り高いと聞きました。しかし、数千人の貴族以外に、実際に飛べる人は少ない。その理由はなんだったのでしょうか」
過去の襲撃で壊滅的に数が減った鳥族は、他族との混血をすすめた。その結果だが、わざと知らないふりをした。
マルキュスが眉をあげているが、何も言わない。賢い男だ。
交渉事において、知ったかぶりをするほど、愚かなことはないと社長秘書時代に薫陶を受けた。逆に無知なふりをして、ここぞという機会に使うのが効果的な情報の使い方だ。
ここは、どこまでもビジネスライクに、基本、相手から引き出し、自分は出さない。
「それは……」
「極秘事項なんでしょうね。でも、今回も逃げれば、民は全滅でしょう。なんせ、相手の数が多い。その上、数少ない純血種の皆さまも、生き残れる可能性は少ない。戦わずして死ぬおつもりですか」
執務室に静かな沈黙がおりた。
「そなたの言葉を信じる根拠がない」
「これから生き残りをかけた戦い方法を模索します。逃亡は最悪手です」
「それは、王の決断になろう」
その時だった。
ベランダ側から強い圧を感じた。
なぜか、息苦しい。凄まじい圧力だ。ついで、バサバサという音とともに声が聞こえた。
「わたしの決断とは? 宰相」
キラキラ輝く美しい黒羽をとじた王が、そこに立っていた。
全員の目が彼を捉える。
新月……。
発情期の王。
強烈なフェロモンを出すと聞いてはいたが。
ベランダから従者を引き連れて現れた王は、すさまじいオーラで周囲を圧倒した。体から発散する汗の匂いはイランイランの香りのよう。白い蒸気が全身を包み、その姿はまさに神の化身だ。
実際に天神に会ったから知っている。
あの特殊なオーラを持つ二人目の天神より、猛禽王は光り輝いていた。
儀礼からではなく、自然と周囲のものたちは、その場にひざまずく。
「誉れある王よ。お帰りなさいませ」
「北の海に変化があったと聞いたが」
「さようにございます」
「状況を説明せよ」
王が説明を受けている。
(カテリーナ、わたしと代わって)
──どうなさったの、お姉さま。
(とても立ってられない。この男、前からセクシーで色気がすごいって思っていたけど、今日は別格だわ。腰がくだけそう)
わたしが奥に引っ込んで、カテリーナが前面に出た。
──お、お姉さま!
(どうしたの)
──か、彼に抱かれたい。
(おい! 最愛のフィヨル・ジェラルドはどうするの。もう捨てたの)
──え、ええ。フィヨル、わたくしの最愛の人……、でした……いや、です。そう、いや、フィヨル。
(心が弱すぎるわ、カテリーナ。でした、じゃない! 彼に会いたくて自殺未遂しようとしたじゃない)
──で、でも……。と、とても耐えられません。無理です。普通に立ってらっしゃるダグマさまが驚きで。
(彼女、女性の格好をしているけど、半陰陽だから半分だけ惹かれてるから、たぶん、衝撃も半分なのよ)
──世の中に、これほど女を惹きつける人がいらしたなんて。前はまったく気づきませんでした。
(おそるべし、新月の発情フェロモン。見るだけで女を快楽へと導いていく)
「それで、兵法とはなんだね、カテリーナ妃」
王がこちらを向くと同時に、カテリーナは、その場にうずくまってしまった。
(ど、どうしたの、カテリーナ)
──わたしに、わたしに向かって、何かおっしゃってます。お、お姉さま、タッチ。
(む、無理。わたしも無理。フィヨルがいるぶん、あなたの方が強い。わたしは無理だから。フィヨルを思って耐えて、カテリーナ。耐えるのよ!)
(つづく)
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