北の大陸に降る初雪



 回廊まで会議の声が漏れてくる。


「逃げるしか道はないであろうな」

「しかし、王都に住む民をどうしたら良いのだ。飛べるものはいない。歩いて全員引き連れて逃げるなど不可能だ。食糧もなく、飢えて死ぬか、あるいは追いつかれた悪鬼に食べられるか、いずれにしろ死ぬしかない」


 かつての悪夢の氷河時代、当時の王は軍勢を率いて戦った。

 結果は惨憺たるもので、兵はほぼ全滅だったと伝わっている。追い詰められた人びとに待っていたのは虐殺につぐ虐殺。

 歴史にはそう記されていた。


『哀れなるは、この国人くにびとなり』という王の言葉が残っている。


「食い尽くし、大地を不毛にして、やつらはひたすらに食べ尽くすのみだ」


 重臣たちは施策もなく、逃亡しか考えていないようだ。祖先が防壁として城を建築した理由を忘れているのだろう。


 これまで平和に生きてきた人びとは思考停止に陥った。悪鬼襲来に対抗するなど考えられないのだ。

 餌を与えれば、帰ってくれると思っているのだろうか。

 その餌は、もしかすると、王都に住む民かもしれない。心のなかで、そう考えていても不思議はない。


「マルキュス、あなたは飛べなかったわよね」

「さようにございます」

「あの大臣たちは」

「皆さま、飛ぶことはおできになりますが、ただ、鍛錬をしていませんので。王の騎兵のように自由自在には」

「そう。じゃあ、実質、自由に空を飛べるのは。高貴な家に生まれた若い騎士たちだけなのね」

「はい」


 それだけ聞いて、わたしは室内に入り、丹田に力を込め大声を張り上げた。こういう時は最初の勢いだ。

 かつて海賊船に人質になったときも、最初から場を支配した。

 修羅場を潜った経験値なら、平和ボケした彼らより多い。


「ブローズグフレイ王国の頭脳たる大臣の方々にご挨拶を申し上げます。新参者カテリーナです。今回の事態、急を要しますゆえに、失礼を顧みず、参上いたしました!」


 よぉっし、決まったぁ!


 わたしの声に、ビクリと大臣たちが一斉に身体を痙攣させた。ふいの声に身体が反応するほど、誰もが張り詰めているのだろう。


「ああ、カテリーナ妃……、でしたか。今は立ち入り禁止のはずですが」


 闖入者ちんにゅうしゃの登場に、ダグマ・ダスティン妃が最初に立ち直った。

 彼女の右隣には恰幅のよい年配の男が立っていた。

 どことなく顔つきが似ているところから、おそらく、彼こそ王と対立する権力者ダスティン宰相だろう。

 猛禽王の政敵だ。


「今は重要な会議中だ。カテリーナ妃にはお戻りいただきたい。衛士は何をしておる」


 ダスティン宰相は表情もなく言い放ったが、彼の声には隠しようもない苛立ちがにじんでいた。

 陽が落ちようとしている。

 燭台の火をつけにくる者はいない。誰も近づけるなという命令が行き届いているのだろう。


「悪鬼の襲来について、話したいことがあります」


 わたしは凛とした声を出すように努めた。なにせ、カテリーナの声は顔に似合って可愛らしく、それが難しい。

 ただ、牢でソーラン節を踊ったとき、腹の底から枯れた大声を出すことには慣れた。


「戻りたまえ。話を聞いている状況ではない」

「ここのお集まりの重臣の方々は、若者のように飛べるのですか?」

「それがなんだね」


 よし、食いついた。


「これを見てください」


 わたしは丸い台座の上に地図を広げた。


「悪鬼襲来後、この城は建て直されたと聞きました。あきらかにこの城で防衛する意図を持った築城です。城の左右は崖になり、高い城壁が築かれています。この意図、ご理解できますよね。ここを通り抜ければ、この大地全土に悪鬼は広がる。これは、天然を利用した、まさに万里の長城です」

「なんだね、その万里とは」

「それよりも、地図を見てください。北の海が凍り、悪鬼が押し寄せてくるとすれば、このすり鉢状の道を通って来るでしょう。そして、城の位置です。すり鉢がもっとも狭くなった地。周囲は峻厳な崖になった場所に、わざわざ築城したのです」


 彼らもわかっているのだ。

 この城で食い止めるしか方法はないが、ただ、恐ろしい。相手の圧倒的な数に対して、こちらの数はあまりにも少ない。戦争に勝つには数の多さが重要だ。


「良いか。他国から来たものにはわからんであろう。この地に生まれた者たちは、悪鬼の襲撃を子どもの頃から聞かされてきた」


『冷気が押し寄せ、青白い氷が凍てつくとき、悪鬼が襲いかかる。あとに残るものは無の大地のみ』


「これを見よ。古い歴史書の冒頭だ。これが悪鬼が通ったあとの描写だ」

「しかし、この地で抑えなくて、他でどこで抑えるのでしょうか」

「良いか、カテリーナ妃よ。わが国には六十万ほどの民しかいない。そのうち、戦える者は何人だ。そして、悪鬼の数は何千万、あるいは、もっと。十倍、百倍の敵に、どう立ち向かえというのだ」

「逃げても死にます」

「そうだ。逃げても死ぬ。祖先は、そうして、ほとんどの民を失い、生き残った数百人ほどの貴族たちが、この地を再び立て直したのだ。他の大陸から来た、そなたの王国のような民を併合してな」

「逃げても死ぬのなら、戦うのです」


 彼らは互いの顔を見つめ、それから、言語道断だとばかり不快気にわたしを見つめた。


「よそ者は黙ってもらおう」

「黙りません。戦いの基本をあなた方は誤解しているからです」


 この世界は、とくにこの大陸に閉じ込められた異形の集団。鳥人族、ドワーフ族、エルフ族、そして、わずかなこの地に辿り着いた人間族。


 多種族で構成された彼らは、兵法など聞いたこともないだろう。そうした原始的な世界で生きているのだ。少なくとも、城に籠城した場合、それを陥落するのは十倍の兵力が必要になると知らない。

 城攻めゲーマーを舐めるでない。

 なにより、カテリーナの罰人生に『逃げる』はない。


 この城を捨てて逃げるなど、悪手以外のなにものでもない。

 



(つづく)

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