悪鬼襲来の謎



 王宮内は常の通り、静かなものだった。主のいない王の部屋もひっそりとしていた。


「もしかして、使用人たちには、この情報は知らされていないの。マルキュス」

「さようにございます」

「なぜ?」

「悪鬼とは恐ろしいものにございます。誰もが子どもの頃から聞かされてきた物語なのですが、一方では、おとぎ話のように現実味のないものでもあります。ともかく、二百年前の出来事です。もし、これが現実だという知らせが届けば、それは大騒ぎになりますでしょう」

「ここは鳥人王国でしょ。悪鬼も飛べるの?」

「悪鬼は飛べません」

「では、空に逃げればいいじゃない」

「貴族階級の方々は飛べますが、わたくしに翼はありません。二百年前の大虐殺ののち、鳥族は減りました。その後、他種族との血が混じったことにより、純粋種以外には飛ぶことはできないのです……、背中に翼のあった痕跡は残っていますが、それはもう形骸化してございます。先祖返りの一部の民を除いて、ほとんどの民は飛べないのです」

「では、まさか貴族だけで逃げ出そうとしているとか」


 マルキュスは俯いている。答えたくないのは、あきらかだ。


「そのことは、いいわ。ともかく、ジオラマ地図で教えて。このどこから攻めて来るの?」


 マルキュスが、地図上の北にある海部分を指で示した。この王宮の背後にある山脈の向こう側、海を隔てて大陸があるようだ。


「つまり、この大陸の北側に悪鬼が住む場所があるの?」

「さようにございます。悪鬼どもは海を隔てた別の大陸が棲家です。この世界が氷河期になったとき、食べるものがなくなり、悪鬼は攻めてきたと記録には書かれています。その時、海が凍ったのです」

「この南国で海が凍る」

「信じがたいことですが、二百年前に起きた事実です。この地が魔界との狭間の地と呼ばれる所以は、北に悪鬼の住む大地があるからです。北の大地が凍えるような寒さになり、大陸間の海が凍り氷の道ができます。寒期で餌のなくなった悪鬼たちが押し寄せてきます。言い伝えではありますが、その痕跡は、この大陸に今も残っているのです」


 この城は左右を峻厳な崖に挟まれ、北からの道を塞ぐような形に建築されている。

 王都の北側に城があるのは、そもそも悪鬼の襲来を抑えるために建てられたのではないのか。

 この城壁を破られると、敵は好き勝手に大地を蹂躙できる。

 結婚後の祝典で、他国がこの王国に敬意を示していたのは、この防護壁に対するものだったのかもしれない。


「海が凍るほど寒くなることは、普通はないのね」

「はい、ありません。それこそが、悪鬼到来を告げる氷河期のはじまりです」


 そういえば、長野県の諏訪湖に『御神渡り』という神事があった。湖が氷結して、氷がせり上がり道のようになる現象だ。

 その状況が海で起きるのだろうか。

『御神渡り』ならぬ『悪鬼渡り』。


「悪鬼が攻めてくる前に、まず海が凍る。今回、その兆候が現れた」

「その兆候が現れたと北を守る者から連絡がありました。確かに、今日は、こちらに吹く風が冷たくなっています」

「完全に凍って、悪鬼が押し寄せるのに、何日かかるの?」

「わかりません。古い蔵書を調べれば書いてあるかもしれないですが」


 ──お姉さま、わたくしの国の人びとは。


(カテリーナ、この国が最前線になるから、まだ、あっちの心配している場合じゃないわ)


 北の大地から敵が攻めてくるなら、森を隔てた西側にあるオーランザンド国は、かなり離れている。


「北側にいるとわかれば、そこに防壁とかなかったの?」

「大陸の北側は、海に沿って峻厳な山が連なり、内陸部に向かうには一本道しかありません。ここです。この道を、ご覧ください。北の海からこちらに向かう一本道です。ほかに北から南に抜けることはできませんが、ただ」

「ただ?」

「悪鬼は、何万、何千万という数なんです」


 マルキュスは書棚から本を取り出してきた。


「こちらが悪鬼の姿です」


 そこにはガリガリに痩せた黒色のギョロ目ばかりが目立つ悪鬼の姿が描かれていた。全身に腫れ物のようなぶつぶつが目立つ肌、骨ばかりの痩せこけた姿だ。


「これら異形の者たちを悪鬼と呼んでいます。凶暴な者たちにございます。知性は低いのですが、量が多い。大挙して押し寄せ、全ての作物や生き物を食べ尽くし、全てを破壊して。彼らが通り過ぎたあとには、破壊された大地を残すのみだったと記述されています」

「どう殺すの?」

「火で燃やすか、完膚無きまで叩き潰すしかありません」

「この王宮は北の大地近くに建てられている。逆に言えば、敵が北から攻めて来るのを見越して、防衛城として先祖が建てたのではないの」

「それは……」

「この国の全人口は?」

「およそですが、六十万人ほど」

「そのほとんどが、この王都にいるのね」

「さようにございます」

「じゃあ、広大なほかの地に誰も住んでいないの?」

「コハルさまの国のような小国と小さな村が点在していますが、ほぼ人の住めない山岳地帯になります」


 なんという破滅的な世界なんだろうか。


 天神あまつかみカグヤの罰人生、酷すぎるじゃない。まさか、これに勝ち抜いて生き抜けとでもいうのだろうか。


「それで、いつ攻めてくるの」

「先ほど伝令が来ましたが、そこまで詳しくは」

「伝令の話を聞きたいわ」

「別棟にある王の公の執務室で、おそらく大臣たちと話しているでしょう」

「マルキュス、世界の地図を持って、一緒に来なさい」

「は、はい」


 通路ですれ違った使用人たちからは、「今日は風が冷たい」「こんな寒さははじめてよ」などという会話が聞こえただけで、いつもとそれほど変わりはない。


 ダグマ妃の部屋に向かったが、侍女から不在だと告げられる。


「妃は、どちらに?」

「王さまの執務室に向かわれました」

「マルキュス、走るわよ。執務室まで先導して」

「は、はい……、はあ?」


 回廊を走ってハーレムの扉を抜け、別棟へと向かった。執務室は謁見所の隣部屋だ。


 途中の通路に衛士が立っており、先は立ち入り禁止だという。


「申し訳ございません。今日はここから先に、どなたも通すなと達しが来ております」


 マルキュスが腰から手のひらに収まるくらいの紋章を取り出した。


「猛禽王の紋章だ。これを携帯する者は誰も止めることができない」

「も、申し訳ございません」


 衛士たちが道を開け、わたしたちは先に進んだ。


「通路を歩く者が誰もいない」

「衛士たちによって、人払いをされているのでしょう。不穏な噂が広まっては困りますから」


 執務室の入り口には、普段なら立っているはずの衛士がいない上に扉が開いていた。


 部屋の内部、壁に華麗な装飾が施された豪奢な部屋が丸見えの状態だった。

 中心には丸い台座が置かれ、六人の恰幅のよい男たちと、ひとりの女が台座を前に話をしている。

 女性はダグマ妃であった。

 彼らの傍に、汚れた姿の兵士が膝をついている。


「なぜ、重臣しかいないの? マルキュス」

「おそらく、悪鬼の話が広がるのを恐れて、使用人も遠ざけているのでしょう」

「扉が開いているのは?」

「間違っても扉の外で聞き耳を立てられては困るからだと思います」


 若い兵士は、よほど遠路を走ってきたのか、あるいは、空を飛んできたのか。汗を流し、倒れそうな状態を必死に耐えている。


「まだ、海を渡ってないのか」

「まだですが、北から冷たく凍えるような風が吹いています。海はこれまでにないほどの荒れようで、氷が浮かびはじめました。最長老の守り人でさえ、はじめて見る状態だと」

「間違いなく、海は凍りはじめたのか……」

「間違いありません。急激に風が冷たくなり、対岸の北の大地は真っ白な雪が降っています。はじめて見る光景です。あれが、雪というものなのですね。あんなに白い山を見たことがありません。北に氷河期が訪れたのです」


 王はいなかった。




(つづく)

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