吹き荒ぶ風の城壁の上



 強く風が吹きつける。

 空を黒雲が走る。


 嵐が来るのだろうか。そう思うと不穏な感情が胸の奥から湧いてくる。


 カテリーナ、カテリーナ、カテリーナ。


 わたしは目の前に聳え立つ城壁を唖然と眺めながら、相棒の名前を心の奥底で繰り返した。


 ──お姉さま、わたしを呼びました?


(いえ、呼んでないわ……)


 年月を経た城壁の壁面には雑草が生え、亀裂を修復した跡も多い。


 左右を険しい岩肌に囲まれた城壁は、当時の恐怖が具現化したとしか思えないほど、壮大で圧倒される高さだ。


「これを建てた当時は、悪鬼の記憶を色濃く残していたんでしょうね」

「歴代の王も、この修復だけは怠りませんでした」

「二百年前だけど、つまり悪鬼が来たとき、これはあったの?」

「第一城壁の高さまでありました。ご覧ください。よく見ると壁は二段構えになっており、当初は関門程度の低い城壁でした。その後、上へと建て増したのです。第一城壁しかなかった二百年前、悪鬼が押し寄せ、壁を次々と登ろうとして、下になった悪鬼の上に上にと重なり、最終的に、あれらを乗り越えてきたらしいです」

「それで、第二の城壁を加えたのね」

「さようでございます」


 城壁は何メートルあるのだろうか。八階建てのビルくらいはありそうな高さだ。

 真下に立つと、さらに威圧感が増す。あまりの壮大さに、思考停止して言葉を失う。

 これを建てた祖先は、よほど恐ろしかったにちがいない。

 彼らは怖くて怖くて仕方なかったのだ。


「船で別大陸に逃げることはできなかったの?」

「この大陸には、結界が張られています。結界内に入ることはできますが、外へは出れません」

「船で逃げることもダメなのね」

「当時の記録によりますと、わが種族は空へ飛んで逃げたのですが、何日も永久に飛んでいるわけにはいきません。疲れ果て、力つきて地上に落ち、そして、喰われていく。それは地獄絵図だったそうです」


 悪鬼が大地を埋め尽くし、口を開けて待っている場所へ落ちていく。

 どれほどの恐怖だったろうか。


「悪鬼が去った理由は?」

「寒期が終わり、暑さが戻ってきました。彼らの身体は熱に弱いようです。それに、大陸のほとんどのものを喰らいつくしていました」

「北の大地では、どう生きているの。食べ物があるの?」

「よくわからないのですが。遠い昔ですが、調査隊が北の大地に行ったことがあるようですが、その記録は発見できませんでした」


 今では風化した高く聳える城壁……、か。

 風に吹かれ、砂つぶが飛び、今は静かに佇んでいるだけだ。


 城壁の出入り口は一箇所の楼門ろうもんしかなく、頑丈な鉄扉で閉ざされている。左右を衛兵が守っていたが、なんとなくやる気がなさそうだ。


 城壁自体は二層構造になっており、一層目と二層目の境が壁の色の違いでわかった。

 この世界は現代とは違う。

 高層ビル建築のノウハウなどない世界で、人力で城壁を作った当時の権力者と民に、感謝する日が近いだろう。


「逃げるなんて、愚かすぎる」

「そうでしょうか、コハルさま」

「この城壁を活用するしか、生き延びる方法はないでしょう。二百年前の出来事が事実なら、逃げても先はないから」


 上部に登る階段が四箇所が作られているが、風化して足もとが危うい。


「彼らが攻めてくるのに、どのくらい余裕はあるのかしら?」

「わかりません。すぐかも知れないし、あるいは数ヶ月先かも。すべては気候によります」

「いずれにしろ、民が生き延びていくためには、その寒さも乗り切らなければならないのね」

「さようにございます」

「これから、やることは多いわね」


 もう一度、城壁を見上げた。


「風が冷たくなった。帰ろう、マルキュス。調べたいことが多い」

「かしこまりましてございます」


 王宮の正門に戻ると、夕暮れ時で、多くの店が商品を片付けはじめている。

 慌ただしく品物をしまう店子や、人びとが家路を急ぐなか、王宮の正門前に黒い頭巾をかぶった男が立っていた。


 目深にかぶった頭巾で、よく見えないが、袖から出ている肌が白い。

 背格好からフィヨルかもしれないと思った。


「マルキュス、先に戻って」

「それはできかねます、コハルさま。あなたさまから目を離すなと王さまより強く命じられております」

「まさか、風が冷たくなったのに、川で泳ぐとでも思うの?」

「その、まさかにございます」

「マルキュス、この緊急事態に、一番大切なことが何かわかる?」

「なんでしょうか」

「お互いの信頼関係よ」

「わたくしたちの間に、そのような関係は存在しておりません。いえ、むしろその関係が発展したからこそ、おひとりにはできません」

「あちゃちゃ、言い切ったわね」


 マルキュスは冷静に首をふっている。

 街は徐々に薄暗くなりはじめ、夜が近いようだ。正門前を行き交う人びとも少なくなった。


 マントに隠れた青い瞳がわたしを見つめている。


 ──お、お姉さま。


(わかっているわ)


 どうしたらいい。このまま王宮に入れば、カテリーナは二度と、わたしを信用しないだろう。

 そして、マルキュスを上手く誤魔化してフィヨルと話すことになれば、せっかく信用されはじめた、マルキュスとの細い糸は、今度こそ消え去るだろう。


 このふたつを同時にうまくやり遂げる方法なんて、あるわけがない。


 いや、ある。

 うん、わたしって、天才?



(つづく)

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