ハーレム、王とダグマ妃の関係
執務室には王とダグマ妃しかいなかった。ふたりは顔を寄せ合うように羊皮紙を見つめている。
ダグマがアバカスを弾き、なにか計算をして王に見せているようだ。
「クリストフ。おまえ、計算が間違っているだろう」
「どこを間違えた……、おお、そうか、ダグマ。こと計算となると、まったく勝てない。しかし、食料は少なくとも三ヶ月は貯蔵する必要があるだろう。計算が合わないと困ることになる。ま、寒さも悪いことばかりじゃない。食料が腐るのを防ぐ、その点については悪くない」
「まったく、相変わらず能天気な楽観主義者だ」
「そう言うな。他国への応援要請は、どうなっている」
「まだ、確信は持てない状況だが、この急激な気温低下だ。彼らも不安を感じているはずだ。秘密裏に掛け合っている。わが国が陥落すれば、次は、わが身だ。来るだろう」
「さすがだ、ダグマ」
王はダグマの額を中指で軽くはじいた。
「まったく、この男は、敵対しているわたしまで、誘惑しようとするのか」
「おまえを誘惑するくらいなら、姉を誘惑するよ」
仲が悪いと思っていたが、彼らは遠慮のない友人のようだ。お互いに言いたい放題のさまには困惑しかない。これはどういうことだろう。
声をかけずらいのか、マルキュスも隣で控えて待っている。そっと、脇腹をつついた。
「王さま」
「マルキュス、来たか」
「カテリーナさまをお連れしました」
「こちらに来い。悪鬼対策について聞いておきたいことがある」
「あの」
王は、くつろいだ様子に見える。まあ、この王は常におおらかで、人目など気にしない男ではあるが。
ダグマと王の顔を交互に比べ、つい聞いてしまった。
「あの……。お二人は、仲が悪いと思っていました」
「ああ、そうだ、仲が悪いぞ。仲がいいわけがなかろう。こいつは昔からイラつく奴だ」
「クリストフには負ける。新月の度に大騒ぎを起こして、子どもの頃は大変だったものだ。カテリーナ妃よ、そなたもこの前、その洗礼を受けたから理解しておろう」
ダグマが思わせぶりに笑っている。
わたしは顔が熱くなるのを止められなかった。きっと首まで真っ赤になっているだろう。
「いや、そなたが恥じる必要はないぞ、王が人騒がせなのだ。あれは事故みたいなものだ」
王は楽しそうに笑うと、悪鬼について話を戻した。
「今は、そんなことを話している場合じゃない。カテリーナ……、いや、コハルと呼ぶべきなのか? 食料から薪、城壁の修復など、マルキュスから、そなたの提言を聞いておる。至極、まっとうな意見だ」
「では、逃げるのではなく、ここで戦うとお決めになったのですか?」
王は右頬を引き上げ、ニッと笑った。頬にえくぼができる表情の魅力的なこと。新月でなくても、この男はナチュラルに、わたしを惹きつける。
「他に方法はないだろう。そのための対策を大臣たちにも練らせている。そこでだ。明日は現地まで飛ぶ予定だ。おまえも来い」
「わ、わたしですか? あの、人族ですから、飛べませんけど」
「飛べとは言っておらん。この地に来たとき、
(カテリーナ、そうなの? 空を飛んできたの?)
──そうです。すごい経験でした。
(ど、どうしよう。それは、まずいわ。ともかく、まったく、非常にまずい)
──怖いものなしのお姉さまが、いったい何を言ってらっしゃるの。
(あの、あのね。わたし、高所恐怖症なの。幼稚園のとき、ジャングルジムから落ちて、高いところが苦手なの。タワマン上層階の住人なんて、異世界人よ。恐れ知らずだわ)
──タワシ……マン? なんでしょうか。よくわかりませんけど、お姉さま、問題はなかったですわ。空高く飛んだことは、とても面白かったですの。あの時は、悲しみで、そんなことを考えませんでしたけど。今なら、また飛んでみたいと思います。
(なんという危険思想なの。外よ、空よ。輿に乗るって、つまり、あの、周囲は覆われてないっていうか。剥き出しの鳥の上に乗るとか、そういう意味でしょ)
──それが気持ちいいんです。
「どうした、コハル。顔が青ざめているぞ」
「わ、わたし、あの、高いところが、ちょっとばかり苦手で」
「鳥族に嫁いで、何を言っておる」
「いえ、そういう問題じゃなくて」
「牢獄に入れられるより、よほど楽しいと思うがな。空はいい」
「そこは見解の相違です」
隣でダグマが吹き出した。
「クリストフ、おまえが、そんなふうに誰かを説得する姿は初めてみた。惚れたか」
「おい!」
わたしとクリストフが同時にダグマに抗議したので、ダグマは両手を肩の上にあげて、目をくるりとまわした。
「いや、何も言うまい。とにかく、現地に飛んでから。話はそれからだ」
今、抗議しても、この鉄壁の二人は聞く耳を持たないだろう。明日、病気になるしかない。
わたしは話を変えるつもりで聞いた。
「あの、エドワルディ・オンニ教授の父親が、昔、北大陸に向かったことはご存知ですか?」
「ああ、聞いてはいる。何も発見できなかったという話だな」
「現地に生息する小型動物やら、ネズミなどはいたそうですが。残っている悪鬼のような姿を見なかったと」
「もしかすると、すでに悪鬼が絶滅している、その可能性も考えておる。悪鬼襲来は二百年前の話だ」
いや、それはない。
天神カグヤが転生したカテリーナがいるのだ。悪鬼はいるはずだ。しかし、なぜ、北大陸にいなかったのか。
なにか見逃した謎があるにちがいない。
(つづく)
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