謁見の間での愛の駆け引き
女の戦いを有利に制したと、ほくそ笑んだ。やはり秘書室での経験値が高いと無敵なものよ。
──お姉さま。わ、わたくしには、ぜったいにできません。あのオーブリーさま、きっと嫌な思いをなさったことでしょうね。わたくし、嫌われてしまったのでしょうか?
(心の底から信頼できる友を作るには、本音で話して喧嘩してからよ。それで上手くいけば生涯の友ができるわ)
──上手くいかなければ?
(生涯の敵を作るわね)
──あの女性と友人になれるのでしょうか?
(ああいう単純明快なおバカとは、そもそも友だちになんてなれないわよ。だったら、最初から喧嘩して脅しておいたほうがいいのよ)
──きっと嫌われたと思うと、わたくし、心がギュッと締め付けられて、なんだか恐ろしくて。
(なぜ、恐ろしいの? いやな女に言い返しただけでしょ。これは正当防衛よ)
──でも、もし、嫌われたら……。
(もともと嫌われているのよ。なぜ、そんなに嫌われることを恐れるの? それに、好かれていると思う相手だって、実は都合のいい人間として利用されている場合もあるわ。人はいろいろよ、考え方も違う。万人に好かれようなんて不可能なミッションよ。嫌われて上等!)
──お姉さまは強い。わたくしには無理なことです。
(あなたの困ったところは、まったく自信がなくて、さらに悪いのは自分を好きじゃないことね。人に嫌われることを心配する前に、自分を嫌わないところからが、最初の一歩よ。これ、切なる願いよ、カテリーナが思っている以上にね)
──わたくしは、自分を嫌っているのでしょうか……。
(間違いない。あなたは自分が嫌いだから、周囲の目が怖くて仕方ない。本当は自分を好きになりたい。他人から承認してもらって自分を好きになりたいの。でもね、人との関係なんて霧をつかむようなものよ。理不尽なことで、あなたを嫌う相手をおもんばかる必要なんてない。他人の味方になるより、自分自身の味方になるようにするの。それに、あのオーブリーは嫉妬で頭がいっぱいで、端からわたしたちを敵にしている。そんな相手を気遣っても、ムダッ、まったくのムダ、時間の浪費!)
どこかの自己啓発本のようなことを言いながら、わたしは自分自身をあざ笑っていた。
誰だって他人に嫌われたくないのだ。
人は弱いものだ。
弱いからこそ、それを自覚して自分自身と折りあうしかない。
ああ、もう、それにしても、わたしらしくない。こんな面倒なことを考えるのは、すべて、天神のせいだ。
だいたい、わたしは教育者向きじゃないんだから。
──お、お姉さま、お忘れかもしれないのですけど。あの、あの、あの……、フィヨルさまからのお手紙のこと……。
わたしは手に持つフィヨルの伝言をすっかり忘れていた。
細長い紙には慌てたような文字で、『裏庭で待っています』と書かれていた。
──フィヨルさまが待っているのですね。ああ、あの方がお待ちなんて、すぐに参りましょう。
(カテリーナ、ことは簡単にはいかないわよ。ここは城壁に囲まれた大きな城よ。まず、ハーレムから抜け出すことは難しいでしょう)
──お忘れですわね。わたくし、お城の外へ簡単に抜け出して、川に身を投げたんですから。この顔の使い道は、そんなものでしかないですけど。抜け出すだけなら楽なものですわ。
(たしかに。この顔には男も女も気を許しそう。でも、問題はフィヨルね。あなたと同じで美しい子だけど、頭のほうも軽そう)
──まあ、お姉さま、なんて失礼な。
(だって、待ち合わせ場所がこれよ。『裏庭で待っています』って、それ、どこの裏庭よ。誰かに場所を聞いた時に、木の前で待つって答えているようなもんよ。木の前なんて星の数ほどあるわ)
──裏庭って書いてあるんですから、裏庭です。
(だから、この王宮の裏庭って無数にあるわよ。アルハンブラ宮殿と同じ作りなら、間違いないわ)
──そ、そんな。だ、だからでしょうか。昔、彼と待ち合わせたとき、よく会えなくて苦労したのを思い出しました。
頭が痛くなってきた。
──でも、大丈夫ですわ、お姉さま。彼が待つと言ったら、必ず待っております。わたくしたち、愛を確かめあった硬い絆で結ばれておりますから。
(ごめん、たぶんその絆ってかなり脆いと思う。
あっ、失言だった。泣かないで、カテリーナ。わかったから、心のなかで大泣きしないでほしいわ。
わたしの目からも涙があふれて、ほら、マルキュスが眉を上げてるから。そのうち、彼、眉が上がった顔が常態になりそうよ)
「いかがなされましたか、コハルさま」
「ねぇ、マルキュス。ここの裏庭ってどこ?」
「はあ、裏庭と申しましても多うございます」
この単純で純粋なカテリーナの相手だから、フィヨルも素直で純真な青年にちがいない。
「じゃあ、謁見の間には裏庭があるの?」
「そちらでしたら……」
──お、お姉さま。マルキュスに知られたら、フィヨルさまが危ないですわ。
(でも、このままずっと裏庭で待っていても、衛兵につまみ出されるわよ。それくらいならまだしも、抵抗すれば属国の騎士の身分なんて軽いから牢獄行き。王妃に手を出そうとしているとバレたら死罪よ)
──ど、どうしましょう。
「マルキュス、お城を散歩するわ」
「お供いたします」
「ううん、ひとりで行きたいのぉ、マルキュス」
わたしは特上の笑顔をつくって、真下から、ぐっと彼の顔を見あげた。いわゆる、カテリーナの顔の使い道だ。
日頃、無表情なマルキュスの顔が軽く緩んだ。確かにカテリーナ、この愛らしい天使の顔は無敵かも。もともとは天神だから誰も太刀打ちできないかも。
「しかし、そ、それは」
「マルキュス、お・ね・が・い」
「でも」
「川に飛び込むわよ!」
ごくんと喉仏が上下に揺れた。
「いってらっしゃいませ」
(つづく)
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