世界はあまりに奇妙だった
着替えをして寝室に戻ると、マルキュスが目を見開いた。カテリーナの美貌は、正式に装うとさらに倍増するようだ。
軽く咳払いした彼の声はいつもより高くなった。
「コハルさま。これからのご予定を申しあげます。この後、あと一刻ほどで謁見式にいらしていただきます」
「なんなの、それは?」
「結婚式典にいらした遠方の方々がご帰還なさいますので、そのお見送りのために謁見式がございます。隣国タシュテン王国からニルス王子と、そのご一行さま、ウルバム公国からホッタイト王さまとその随行者の方々……」と、国名と名前を述べ、マルキュスは、その後を「などなど」と端折った。
「で、などなどと、どうするの?」
「ご挨拶をお受けになるだけにございます」
すかさず謁見する相手の名前を書いた羊皮紙を渡してくるあたり、マルキュスはデキる。
彼、こちらが素直に接していれば、紳士的になるようだ。
「これは、どういう関係なの」
「周辺国にございます」
「隣国との関係は大事でしょうね」
「さようにございます。ブローズグフレイ王国は、この大陸でもっとも巨大な力をもつ王国にございますが……。国境を接する国々との関係は、一瞬たりとも気の抜けない緊張関係であるとも言えます」
「でも、一刻ほどは自由なのね。その時間に世界地図を見せて。どういう状況か見極めたいわ」
「かしこまりました、コハルさま。王さまの執務室にいらしてくだされば、いろいろと揃ってございますが」
「案内して」
彼は眉を軽く上げたが、わたしの指示に従った。家令が目で合図すると使用人が走り去っていく。
何をさせているのかわからないが、細かいことを気にしても仕方がない。
まずは状況と情報取得よ。
(いい、カテリーナ。起きてる?)
──は、はい、大丈夫です、起きております。
(しっかり見るのよ。この世界を把握したら、さっさとこの問題を片付けるからね)
──よかった、お姉さま。わたくし見捨てられてないんですね。
(不安だったの。バカな子ね)
──お姉さまが、あの鳥にドキドキなされたからです。
(だから、それはそれ。これはこれよ。行くわよ!)
──はい!
部屋から出た先は回廊になっており、石造りのフェンスに囲まれていた。回廊の内周には、イスラム様式に似た円柱が等間隔に立っている。
フェンスの向こう側は中庭だ。
噴水を中心にして花々が咲き誇っている。
空気にクセが強く甘い花の匂いが漂うのは、このせいだろう。十二月でも、この暑さということは、この地は南国だ。
この場所は、どこかに似ていると気がついた。
「アルハンブラ宮殿みたい」
「なんで、ございましょうか。そのアレハレ宮殿とかは」
「アルハンブラ宮殿よ。行ったことのあるの。あのね、うちの会社、10年勤務すると永年勤続休暇を取れるの。それを利用してスペイン旅行したけど、ああ、もう一回行きたいって思っていたら、来てたのね」
マルキュスは眉をあげたが、何も言わなかった。
「ここは私的な場所なの」
「さようにございます。お城全体からすると、こちらは奥向きになっております。コハルさまをお迎えして結婚式典を行ったのは表の館で、回廊を出た別の棟にございます。このように式典をなさった意図をお汲みください。ここに住まれる方たち全員が、こういう扱いを受けたわけではございません」
マルキュスの言い方に棘を感じた。カテリーナ、やはり相当に嫌われている。ま、そんな式典後に自殺しようとして川に飛び込んだのだから、そこは、マルキュスに同情したい。
監視不行き届きで、おそらく叱責されたことだろう。
「この場所は王さまの私的空間で、居住空間ってことかしら」
「さようにございます」
つまり、ここは大奥なのか。いや、アラビアンナイト風だから、ハーレムのほうがピンとくるかもしれない。
その時、頭のなかでピッと音が鳴った。
これまでの経験上、このピッは的を射ていることが多い。
あの色気にあふれた男性ホルモンいっぱいの王のことだ。もしかしたら、側室とか、愛人とか、多くいるのかもしれない。
「王に、ほかの妻はいるの?」
「それは、さまざまな政治上の必要にございますから。王妃さまとの結婚もお国との友好関係の印にございます」
「でも、わたしが王妃ってことは、他の女たちは、側女とか、ともかく、そういう関係なの」
「王妃さま、誤解をなさっておられます。皆さま、王妃さまでございます。王の妃ですから」
お、王の妃?
だ、騙されたぁ!
なに、王の妃って。『の』が入ると入らないじゃ、まったく意味がちがう。紛らわしいったら。何人いるのよ。あの色気ダダ漏れ鳥は、どんだけ女を囲っているの。
(やっぱ、フィヨルよ、カテリーナ。わたしたちにはフィヨルしかいない。こっから逃げてフィヨルとの愛を成就よ)
──お姉さま、そうですよね。
(すっかり裏切られたわ!)
──あの、裏切られたような関係じゃ、まだ、ありませんけれど。
「さあ、行くわよ。とっとと案内して」
マルキュスはいつも通り眉を上げたが、何も言わなかった。彼の案内で通された王の執務室は、がらんとした簡素な造りだった。
唯一目を引くのは、正面の壁にかけてある実物大の肖像画だ。
何歳くらいの頃だろうか。華美な式服を身につけ、恐ろしいほどの魅力を放っている。
「そちらは、戴冠式の記念に描かれた肖像画にございます。コハルさま」
何百人の女がいても許されるほどのオーラに輝いている。おそらく少年の頃から、どんな女も落としてきただろう。
──お姉さま、嫉妬なさっているの?
(わたしに嫉妬させるなんて、あの鳥、百年早いわよ)
マルキュスは部屋の中心を占領する大きな台座にわたしを導いた。
「こちらが、我が国を含む大陸のジオラマ地図にございます。コハルさま」
「全世界のジオラマなの」
「いいえ、この大陸だけにございます。コハルさまの王国が存在した大陸は、おそらく、ここからですと西に位置しております」
彼の手がジオラマの台座を差し示した。それを見た瞬間、わたしは奇妙な眩暈を覚えた。
この地図をどこかで見たことがある。記憶にある気がしたからだ。あるいは、カテリーナの記憶だろうか。
(カテリーナ。このジオラマに覚えがある?)
──ジオラマってなんでしょうか。
(この大陸模型のことを知っているか聞いているの。これまで自分が暮らしている場所の地図ってみたことがある?)
──地図って、なんのことでしょうか。
カテリーナは地図を知らない。
そもそも学校で勉強していないのだ。戦乱の地に生まれ、育ち、そこから逃れて航海に出た。
生きるだけで奇跡のような日々だったにちがない。
(気にしなくていいわ。ここが、わたしたちが今いる場所を縮小したものなのよ)
海に囲まれた正方形の大陸だった。中央に流れる河は東西を結び、一直線に大地を横切っている。
自然にできた川というより、人工的だった。
周囲を海に囲まれた大地は、ほぼ正確な正方形で、ひとつ川で上下に仕切られた土地は、結果、三角形になり、下部の三角地帯は南北にも大河があり、結果として大陸は三つに分割されている。
そうか。
記憶にある気がしたのは、図形が人工的でゲームの世界観と似ているからだ。
「この国はどの部分?」
「こちらにございます」
マルキュスの指が四角形の大陸を運河で半分にした上部の三角部分を示した。大陸の半分がブローズグフレイ王国だというわけだ。
「この王宮の位置は?」
それは地図の上部、北側の山間が途切れた一点だった。北の海から一本道が通った先で、北からこの国を攻めるには、この道しかない。しかし、北に国はなく海だ。
「オーランザンド王国はどの位置?」
「こちらでございます。正確にはブローズグフレイ王国の一地方です。王国ではなく、オーランザンド地方になります。王がその地名を使うことを許しました」
それは大陸の西側であり、海に注ぐ大河と接する三角地帯だった。川を隔てた向こう側は他国になる。
「まさか、オーランザンドの民を自国に住むのを許したのは、隣国との壁を作るためなの」
マルキュスは何も言わなかった。
「もう一つ、国境付近の属国というか、他国との緩衝地帯にある国は何国あるの?」
「山岳部分をのぞいた平地部分にある小国は三国にございます」
「そこから、いわゆる王妃が全員、あのハーレムに集まっているのね」
マルキュスはただ眉をあげただけで、返事はしなかった。
(カテリーナ!)
──はい、お姉さま。
(川に身を投げたのは正解よ)
──わかっていただけますの。よかった、お姉さま。
(こうなりゃ、目にものを見せてやるわ。仮元首相の娘として海賊とやりあった過去はダテじゃない)
──頼もしいです、お姉さま。
わたしは鎧をつけたつもりでマルキュスを振り返った。
「マルキュス、じゃあ、謁見に行きましょうか」
マルキュスは頭を下げると、右手を優雅に動かした。少し前を身体を斜めにして先導していく。
謁見式に王はいないが、王の妃たちはいるだろう……。
残念だ。
思えば、わたしの人生は残念が多かったとは思う。
マルキュスが歩きながら、律儀に謁見の説明をしているが、上の空になるのも仕方がない。
「コハルさま、それぞれの方のお名前を背後から申し上げますので、彼らが挨拶の言葉を述べましたら、ねぎらいの言葉をおかけください。『お越しいただき感謝しております。○○さま』です。こちらを繰り返しすだけにございます。ある方に多くの言葉、ある方には少ないとなりますと、それ自体が外交問題に発展することがございますので、どうぞくれぐれもご注意くださいませ」
「ふーん、他の言葉はダメなの、マルキュス」
「外交上の儀礼で粗相があっては困ります。どうぞお心にお留めおきください」
なるほど、失礼があっちゃまずいのね。
「コハルさまは、お顔にすべての感情がお出になるようにございますが、王族というものは、常に感情を隠す必要がございます」
「マルキュス、短い付き合いなのに、なぜ、わたしが感情的だなどとわかるの?」
「失礼とは存じますが、数日どころか、1日で充分すぎるほどにございました」
「まったく、わたしのことをわかってないわね」
マルキュスは何も言わずに、ただ眉をあげた。
(つづく)
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