霧の先、世界の狭間の大陸




 ──お姉さま。いつも変ですけれど、いつにも増して変ですわ。


(悪気もなく、って、天然に変人扱いしてくれてるわね)


 ──ご、ごめんなさい、そんな……、悪いことだと思ってなくて。わたくしなん……、いえ、この言葉は使っちゃだめ。カテリーナは、もう、わたくしなんかって言いません。


 この子、本当に素直ないい子なのだ。


(そうよ、カテリーナ、その調子で頑張ってくれると、お姉さんも嬉しい。ところで、ほら、この大陸は魔界との狭間はざまの国とか言っていたわよね。魔界とはどういう世界のことを言っているの)


 ──わたくしも、よくわかりませんけれど。この大陸への航海中に不思議な海域を通過したのを覚えています。とても深い、本当に深い霧の中を通り抜けて、そこは音もなく、ただ、周囲は白い霧しかなくて、民もみな不安になって怯えていました。そうして、霧を抜けたあとに見えたのが、この大陸なんです。


(もしかすると、なにかの空間を抜けたとか。魔界に接しているって、危険しかないけど)


 これも天神あまつかみカグヤの天罰なのだろうか。彼女に試練を与えるために、ここへ漂着させたのかもしれない。


 ──あ、あの、お姉さま。先ほどから、マルキュスが呼んでおります。お気づきでしょうか。


(き、気づいてるわよ)


「コハルさま、聞こえてらっしゃいますか? あの……、カテリーナさま、王妃さま! 先に進みませんと」

「コハルよ、マルキュス。どこへ行くの?」


 ──お姉さま、謁見の間です! 『ハーレムの嵐作戦』、お忘れですか?


 そ、そっか。つい考え事に夢中になって立ち止まっていたようね。


「行くわ、マルキュス」


 マルキュスは再び眉をあげたが、何も言わなかった。


 彼はくるりと背を向けると、回廊を歩き別棟まで案内した。別棟に入る扉の先に、さらに簡素な扉があり、ふたりの衛士が守っている。


「こちらが通用口にございます。ここから王さまの『謁見の間』に入ります」


 扉が開くと、その向こう側からざわざわした声が聞こえてくる。大勢の人が集まっているのだろう。


「すぐ左側に赤いカーテンがございます。侍従がカーテンを開きますので、くぐって玉座に向かってくださいませ。王妃さまは」

「コハル」

「コハルさまは、向かって左側の玉座に着席願います」

「わかったわ」


 マルキュスを背後に従え、通用口から入った、すぐに侍従が赤いカーテンを開く。


「カテリーナ・ブローズグフレイ妃さま、ご来場」と、執事長が高らかに名前を告げた。


 室内のざわめきがぴたりと止まった。


 赤いカーテンから内部に入る。

 王の『謁見の間』は意匠を凝らした黄金色に輝く大広間だった。


(足が動かないんだけど)


 ──お姉さま、意外とあがり症ですか?


(そうよ、幼稚園のトラウマがあるのよ。舞台でシンデレラの姉を演じたときの逸話だけど、教えてあげない)


 ──知りたくもございません。今は、そのことはお忘れになって。右足の次に左足を出せば、あっという間に玉座です。


(しかたない。行くわよ!)


 ──はい、参りましょう。


 大広間から一段高いところに玉座が設えてある。

 玉座の向こう側には両開きの扉があり、まっすぐにレッドカーペットが敷かれている。そのレッドカーペットの左右には多くの人びとが立っていた。


「この人たちは? マルキュス」

「わが国の大臣および貴族の方々とそのご家族にございます」


 玉座の前に来ると、執事長が高らかに再び名前を告げた。


「カテリーナ・ブローズグフレイ妃さま」


 レッドカーペットの左右に立つ全員が腰を折って敬意をあらわした。着席すると、彼らは顔を上げた。よく訓練された軍隊のように、動きは整然として厳粛な雰囲気だ。


「ご来賓の方々、ご入場」と、執事長が告げる。


 正面にある華美な扉が大きく左右に開かれた。

 扉から二列に並んだ列席者が、レッドカーペットの上をゾロゾロとこちらに向かってくる。

 だいたい二十数名ってところか。それほど多くはない。帰国した人もいるのだろう。


「タシュテン王国のニルス王子さまとその奥方さま」と、マルキュスが耳元で囁いた。


 タシュテン王国って、あの地図によれば大河の南にある王国だ。

 王子と呼ばれた青年は、背が低くがっちりした体格、その上、鼻が上向きのイノシシだった。


(この人種は何なの? カテリーナ)


 ──お姉さま、ドワーフ族よ。わたくしもはじめて拝見したわ。


(ドワーフ? すっごく強そうね)


 ──体力なら、どの人種にも負けない種族ですわ。小柄だけど侮れない。怒らせたら怖いです。短気ですから、お気をつけて。


「お美しい姫君、お会いできて光栄だ。いつか、わが国にもご招待したいものだ」


 ──お姉さま、ほほ笑んで。さ、早く、マルキュスがやきもきしているわ。


 異様な姿にびっくりしたけど、さあ、ここからがわたしの腕の見せ所ね。


「お越しいただき感謝しております。え〜〜っと、え〜〜、次に何を言うんだっけ。姿が異様で名前を忘れたけど。わたし、ドアーフって、はじめてなのよ。なんか特技はあるの?」


 ──お姉さま、な、なにを言いだされたの。


(これでいいのよ。嫌われて厄介払いされる、ハーレムの嵐作戦、略してハーセンをはじめたのよ)


 ──た、確かに、マルキュスが青ざめていますけれど、危ない橋を渡ろうとなさっているわ。


(ふん、本来ならわたしだけじゃなく王だって出席すべきでしょ。欠席している時点で、この国は他国を属国扱いして軽んじているのよ)


 ──そう言われれば、そうでしょうけど。


 ドアーフのニルス王子は、小さな目をぱちくりしている。怒るべきか、笑うべきか、理解できなくて、大きな頭をボリボリとかいた。

 隣りに並ぶ、ドアーフ的美女が口もとを引き上げた。


 怒った?

 そう思ったとき、ドアーフ王子が吹き出した。


「ブハア! こいつは面白い妃だ。その可憐な姿形からは想像もできない庶民的な態度。いや、面白い」


 あれ? 受けちゃっている。

 そこは、怒ってもらう場面だから。


「さっきのは社交辞令だったが、今度は本気でわが国にお招きしよう」

「え? そんな」


 意図と違うから。怒ってよ。


 彼らの次に現れたのは、背の高いひょろっとした男性だった。肌が白すぎる上に耳が尖っている以外は人類とそっくり、それも限りなく美しい。


(この種族は?)


 ──エルフ族です。お姉さま。


(エルフなの。ねぇ、カテリーナ、あんたの耳が尖っていたら、限りなくエルフ族に近い容姿よね)


「ウルバム王国のエドヴァルト宰相さま」と、耳もとでマルキュスが伝える。

 

 声が緊張している。もしかして、わたしの意図を悟ったのかもしれない。さすが、できる秘書マルキュス。


「なんてお綺麗な方なの。もう帰られるの? しばらく、王国に滞在なさいませんか? わたしとアバンチュールなんて、うっふん、人生が楽しくなりそう」


 サラッとしたプラチナブロンドの髪を流したエルフの宰相は、尊大な視線でこちらを見ている。この姿からして、カテリーナの美しい容姿にも免疫ができてそうだ。


「嬉しい、お言葉ですな」

「お国では、あなたのような美形ばかりいるんでしょう?」

「いかがでしょうか」

「うっふん」


 マルキュスが袖を引いているけど、無視した。

 さらにエルフの宰相を誘惑しようとしていると、心のなかでカテリーナの悲鳴が響いた。


 ──お、お姉さま。


(どうしたの?)


 ──フィー、フィヨル、フィヨルさまがいるのです。ど、どうか、そのエルフに対する態度をおやめください。彼が誤解します。


(誤解も六階も、どうでもいいんだけど。フィヨルがいるの?)


 ──はい。あ、あの、この行列に紛れています。



 

(つづく)

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