王宮文書庫の暗闇



 ──お、お姉さま、フィヨルさまが、フィヨルさまとお話ししたい。


(そんなことをすれば、彼との関係がバレてしまう。その場合、たぶんだけど、あなたは罰則で済んでも、フィヨルは処刑されるわよ)


 ──え?


(今は彼のことを我慢しなきゃいけない。自分のためじゃなく、最愛の彼のためによ。愛ってのはね、求めるんじゃなくて、与えるものよ。今の状況で、あなたが与えられるものって何か考えて)


 恋愛映画の受け売りみたいなセリフで照れるが、案外と真実が含まれていると思う。ただ、これを正面きって言うのはこそばゆい。女子高生の恋バナでも、こんな話はしないだろう。


 ──彼が、あの方が、フィヨルさまが処刑される……。


(そうよ)


 ──どうして、そう決めつけるのですか? 


(決めつけることができるのよ。実は話してないけど、わたしには特殊チート能力があるの。未来が見える。そもそも、あなたの中にいることだって異様でしょう。未来のひとつやふたつ、簡単に占えるわ)


 カテリーナが息を呑んでいる。

 この手の人に理論的な説明をしても時間の無駄だ。

 インチキ占いやら、インチキ霊能力やら、普通なら引っかからない詐欺案件に、すぐ騙される。おそらくカテリーナは、元値千円の壺を百万円で買ってしまうようなタイプだ。


 それで、悲しくなってきた。

 現代で、わたしはモテなかった。その理由がちょっとだけ理解できた気がした。


(ともかく、フィヨルの将来が絶望的になるかならないか。カテリーナ、わたしたちにかかっているのよ。この子、けっして、あなたから離れようとはしないから、あなたが大人になるの)


 この人生はカグヤの罰転生。彼女が欲望で動けば、間違いなく最悪の未来が待っている。

 この転生も失敗になるということだ。 

 そんなことはさせない。

 永久に、こじらせ女の罰人生に付き合うなんて、考えただけでも気が滅入ってくる。それを繰り返せば、わたしも彼女といっしょに、『わたくしなんて、どうせ、何をやってもダメダメなのよ』と思い込んでしまう。


 今も、フィヨルは子犬のように期待を込めた視線で、わたしを見つめている。青く澄んだ瞳は、なんの汚れもないようだ。


 勘のいいマルキュスは何を考えているのか、その表情だけでは推し量れない。

 マルキュスとフィヨルの姿を交互に眺め、それから、わたしは厳かな声を出した。


「マルキュス、この王宮にも歴史書が残っているでしょう。その資料をこれから調べたいの。どこへ行けばいい?」

「この者もいっしょにですか?」

「人手がいるのよ。従兄弟はそういうの得意なの。そうでしょ、フィヨル」

「おまかせください」


 キラキラした瞳でフィヨルが返事をした。

 子犬が尻尾を振っているような素直で純粋な態度だから、マルキュスも嫌味を言えない。


「では、王宮文書庫に参りましょう。東棟にあります。まだ、管理官が残っているといいのですが、鍵が必要ですから」

「あの場で調べ物をしたい理由を、寒期だとか、悪鬼襲来とか説明しないほうがいいわ」

「さようにございますな。噂になっては困りますから。あの、ところで、フィヨルさまは従兄弟ということですが、つまり、王族のお一人でしょうか」


 マルキュスは切れ者だ。一を聞いて十を知るタイプで多くを説明しなくても理解してくれる。

 だからこそ、彼のツッコミも痛い。

 そこを聞くかという点をつつくのは、彼なりの理由があるのだろう。おそらく、フィヨルについて全く責任を取るつもりはないという、これは言質だ。


 従兄弟だという言い訳を疑問も持たずに聞き入れた。いやに簡単だったことが逆に不可解だ。

 彼が信じたとは思えないのだが、しかし、今は二つの案件が重なっている。この厄介な王国の趨勢を支配しかねない悪鬼襲来とフィヨルだ。


 そう考えればフィヨルのことは、マルキュスが考えるトリアージ(優先順位)的には、もっとも軽い青色案件になると思う。


 優先順位なら、悪鬼と寒期は最優先の赤色案件だ。マルキュスもわたしと同様に、そう結論を下したにちがいない。

 ならば、返事はきまっている。


「従兄弟だから、従兄弟よ。でも、今は青色案件は後回しで」

「それは、どういう意味でしょうか」

「優先順位の色よ。この子はもっとも優先順位の低い青色、そして、寒期の件は最優先の赤色、ちがう?」


 いつものように眉を上げると、マルキュスは、返答もせずにくるりと背を向けた。


 文書庫には誰もいなかった。「鍵を手配してきます」と告げてマルキュスが去り、しばらく、フィヨルとふたりきりになった。


(カテリーナ、変わるわ。フィヨルと話しなさい)


「フィヨル。どうして、なぜ? ここは危険なのよ。なぜ国に帰らなかったの?」

「カテリーナさま、自殺未遂をなさったあなたが心配で。どうか、僕をあなたの警護として、お側においてください」

「フィヨル、嬉しい」

「カテリーナさま、何があっても、僕はあなたを守ります」


 二人の甘い会話の途中で、ラッキーなことに、いや無粋にも、マルキュスが戻ってきた。


「お待たせしました、コハルさま。中に入りましょう」

「ええ、そうね。とっとと入りましょう」


 マルキュスが重い扉をギイイっと開けると、文書庫内から独特な匂いが空気にのって漂ってきた。

 多くの古い蔵書が多い図書館と同じ、インクや、カビやホコリが醸し出す独特の匂い。


「どのような文献を探せばよろしいのでしょうか」

「ともかく、当時の人が書いたものよ。どんなふうに彼らが攻めてきたのか。知能はどのくらいなのか。あるいは、弱点とか。なんでもいいわ。とくに悪鬼についての情報は貴重よ」


 マルキュスは書棚を超えて文書庫の奥に向かう。

 さらに重そうな扉があり、施錠されているので普段は解放されていないのだろう。


「こちらの書庫には、機密にあたる文書が集められています。もしかすると、二百年前の詳細について、書かれているかもしれません」

「じゃあ、ここから探しましょう」


 内部は薄暗かったが、カーテンを開けると、星明かりが室内に入り、その光に埃りが舞う。ついでマルキュスが燭台に火を灯すと、窓の外は暗くなり、窓ガラスにわたしたちの姿が鏡のように映った。


「さあ、調べましょう。一刻ごとに寒さが増している。もう余り時間がないわ」


 燭台の下で、わたしは過去の記録を読み耽った。

 読めば読むほど、当時の絶望的な様子がわかった。悪鬼にも弱点がある。火にも弱いし、剣に刺されても、殴られても死ぬようだ。

 問題は、その数だろう。

 勝ち目などない多さ。

 これを覆す方法を見つけなければ活路は開けない。

 次から次へと悪鬼がわいてくると、古い歴史書には書いてある。


「悪鬼の数は、おおげさじゃないのね」

「どの文献を読んでも、それが事実のようです。圧倒的な数で、容赦なく攻撃してくるのです」

「まるで、イナゴの大群ね。でも、なぜ寒くなると襲ってくるのかしら。海が凍って道ができるにしても、暑い日々に、まったくその兆候がないってのは、奇妙でしょう」

「これを見てください」


 フィヨルが羊皮紙の束を持ってきたのは、かなり遅い時間だった。


「オンニ候が書かれたものです。悪鬼について調べていると、彼の名前をよく見ます」


 確かに、そうだ。

 悪鬼の襲撃が終わったのち、北側の高い城壁を建設した責任者は、初代オンニ候だったと書いてある。


「城壁についても、そうだけど、最近の文献にも彼の名前がある。こと悪鬼について、このオンニ侯という人が専門家かもしれないわ」

「オンニ侯は、この王国では有名な人です。今の当主は、確か、エドワルディさまでしたね。エドワルディ・オンニ侯爵さま」

「そうなの」

「変わり者一族とも噂されていますが、王さま直属として、代々、悪鬼について研究しているのです」

「彼に会うことはできるの?」

「あまり公には出てこないので、それは、わかりません」


 悪鬼のことを知ることも大事だが、まずすべきこともあった。この城での防衛体制だ。街の人口を調べ、食物の流通など、悪鬼防衛の仕組みを作ることだ。


(カテリーナ、この世界を救うわよ)


 ──わかりました、お姉さま。


 戦いがどれだけ続くかわからない、まずは食料の確保や武器の調達。城に到達するまでに、悪鬼をいかに減らすか、その策も必要だろう。


 なにより、あの逃げることしか考えていない大臣たちを説得するのが最優先かもしれない。



(つづく)

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