正直な木こりと嘘つき王女

ずくなしひまたろう

正直な木こりと嘘つき王女

第1話 泉の精

 森の奥にある小さな泉は、俺のお気に入りの昼寝スポットだった。

 清らかな水のせせらぎは耳に心地よく、ごろりと横になれば少し湿った苔が柔らかく体を受け止めてくれる。


 この泉にはたいそう美しい精霊がいるというのがお調子者のトムの主張だった。

 なんでも、それは美しく素晴らしい体つきの精霊が、泉の上を優雅に舞っているのを確かに見たのだという。

 残念ながら俺は精霊なんて一度も見たことがなかった。

 木こりとしてこの森の中で暮らしているのにもかかわらずだ。

 この森の中での出来事について、森の外の住人であるトムが知っていて俺が知らないなんてことはあってはならない。

 なにより、その精霊は全裸で舞っていたのというのだからこれはもう見に行かないわけにはいかなかった。


 泉のほとりに通っては待つこと三日。

 ここにきてようやくトムに担がれていた可能性に気づいた俺は、腹立ちまぎれに泉ほとりにあった古い石の祠めがけて商売道具の斧を振り抜いた。

 ところが、斧は俺の手からすっぽ抜けて泉の中に飛び込んでしまい、その波紋も収まらぬうちに驚くべきことが起きた。

 なんと水の中から恐ろしい顔をした爺さんが立ち現れたのである。


 爺と聞いて枯れ枝のようなひ弱な姿を想像したなら大間違い。

 輝かんばかりの禿頭に、白く長い髭。その肉体は筋骨隆々。

 俺も商売柄体格には自信のある方だが、それでも取っ組み合いでは到底勝てそうにない。

 せめて斧があれば……と思ったが、残念ながら先ほど手からすっぽ抜けた俺の斧は、今は爺さんの頭に刺さっている。


 どうやら俺は彼の昼寝を邪魔してしまったらしい。

 爺さんが頭に斧を生やしたまま憤怒の形相でこちらを睨みつけてきた。

 そのとても人間とは思えない恐るべき眼力に射抜かれて俺は死を覚悟した。


 こいつがただの爺さんでないことはあの力の権化のような筋肉を別にしても一目瞭然だ。

 だいたい普通の老人は水中で昼寝なんかしないし、なにより斧で頭をかち割られて生きていられるはずがない。


 どう見ても勝ち目はなし。


 短慮は俺の欠点だが、即断即決はまた俺の長所でもある。

 俺は即座にその場に平伏すると、全身全霊を込めた土下座を敢行した。


「大変申し訳ありません!

 こちらの泉には精霊がおられると聞いて一目見ようと待っていたのですが、泉の精は一向に姿を見せず、それで気晴らしに木でも切ろうと斧を振りかぶったところでうっかり手が滑ってしまい、そのまま斧が泉の中に飛び込んでしまったのでございます」


 少しばかり事実とは違うが、まあいいだろう。

 この嘘で不幸になる奴はいないし、正直に話して幸せになる奴だっていないのだ。


「ほう」


 俺に敵意がないということが伝わったのだろうか。

 老人の憤怒に満ちた表情がわずかに緩んだ。

 ……ような気がする。

 ホッとしたのもつかの間。爺さんの口からとんでもない言葉がまろびでてきた。


「では、汝はこのワシに会いに来たということか。感心な事である」


 多分、爺さんは俺の話を聞き間違えたのだろう。

 老人というのは皆、耳が遠いものなのだ。

 俺は顔を伏せたまま訂正を試みた。


「い、いいえ。

 私が見たかったのは泉の精でして……」


「いかにも、ワシこそがこの泉の精である」


 その衝撃的な発言に俺は思わず顔を上げて老人をガン見してしまった。

 確かにこいつは全裸だし、体つきも素晴らしい。

 なるほど、トムの奴も嘘を言ってはいなかったようだ。

 だけど覚えてやがれよ。

 この場を生き残ることができたらならきっと地獄を見せてやる。

 俺はトムへの復讐を誓いつつ、この場を切り抜けるために上げたばかりの顔を地面にこすりつけながらもう一度平伏した。


「は、ははあ! お目にかかれて光栄にございます」


「人の子らはワシのことなど忘れてしまったものとばかり思っておったぞ。

 まことに嬉しい限りだ」


 憤怒の表情は相変わらずだが、その声はずいぶんと柔らかくなっている。

 もしかして元の顔つきが怖いだけで、実は怒ってなどいなかったのだろうか?


「さて、斧を落としたということであったな。

 ワシが拾ってきて進ぜよう。ありがたく思うがよいぞ」


「あ! お、お待ちを――」


 止める間もなく老人は泉に微かな波紋を残して姿を消してしまった。

 この泉はたいして深くもなければ広くもない。

 わざわざ泉の精の力なんて借りるまでもない。

 それ以前に泉の中で斧が見つかるわけがない。


 しばらくして、泉の精が再び姿を現した。

 相変わらず凄まじい憤怒の形相を浮かべてはいるが、その眉が少しだけ申し訳なさそうに下がっていた。


「すまぬな、人の子よ。

 泉の底をくまなく探したのだが、汝の斧を見つけることはかなわなんだ」


 そりゃそうだろう。俺の斧はあんたの頭に突き刺さってるんだから。

 だが、それを指摘するには少しばかり勇気がいる。

 この森の怪異を怒らせたが最後、俺はこの場で八つ裂きにされてしまいかねない。

 もしもまだ気づいていないのなら、そっとしておくべきじゃなかろうか?


「さりとて、久方ぶりの客人を手ぶらで帰すわけにもいかぬ。代わりにこの銀の斧を受け取るがよい。

 これは魔法の斧ぞ。

 投げれば届く限り、そして目に映る限り必ず命中する。

 戦場いくさばに出ればきっと役に立つであろう」


 そう言って差し出された手には、鏡のように輝く白銀の斧が握られていた。

 斧頭はもちろん柄まで銀でできていて、斧腹から刃にかけては人の手によるとは思えぬほど精緻で複雑な文様が彫りこまれている。

 仮にこれが鉄の斧に銀箔を施しただけの物だったとしてもずいぶんと高値で売れるに違いない。

 まして、言葉通りに全てが銀でできていた日には!


 手を伸ばしかけたところで、ふと森婆もりばあが言っていたことが脳裏をよぎった。


『よいか、ジャックよ。古の神々は時おり人や動物の姿で現れては、通りすがりの人間を試すことがあったのじゃ。

 神々に気に入られれば良し、さもなければ神罰により酷い目に遭うであろう。

 もしそのようなモノに行き会ったのなら、決して誘惑に乗ってはならんぞ。

 常に善良であれ。それが自身のためになるのじゃ』


 その時は説教臭い老人のたわごとだとしか思わなかったが、もしかしてあれは本当のことだったのではあるまいか?

 だとすれば、今がまさにその時である。

 俺は伸ばしかけていた手を引っ込めて、恐る恐る答えた。


「あ、あの、これは頂けません……」


「さて、銀の斧では不足であったか。

 よかろう、ならばこの金の斧を授けよう。

 この魔法の斧で切りかかれば、たとえ鉄であろうと易々と断ち切ることができる。

 汝の仕事もずいぶん楽になろうぞ」


 いつの間にか、老人の反対の手にはまるで太陽のようにまぶしく輝く黄金の斧が握られていた。

 斧腹には先と同じく精緻な彫刻が施されているばかりか、ところどころに色とりどりの宝石まで嵌め込まれている。

 そのあまりの輝きに目をくらまされそうになった俺は老人から目を逸らしながら答えた。


「ですから――」


 もう一度断りの言葉を口に出そうとした瞬間、あたりの空気が一気に冷え込んだ。

 あまりの恐ろしさに身がすくみ、息すらまともにできない。

 喉からはヒューウと奇妙な音を立てたっきり、出かかっていた言葉は霧散してしまった。


「さては欲深き者よ!

 たかが鉄の斧の代償というのにこれでもまだ足らぬと申すか!

 ならばこの両方を受けとるがよい!

 よもや不足とは言わせぬぞ!

 それでも受け取らぬと言うのであれば、汝はその欲望にふさわしき報いを受けることになるだろう!」


 恐るべき気迫だ。

 老人が一言発する度にあたりの空気がびりびりと震え、俺の鼓膜を打ち据える。

 最初から平伏していなければ、俺はあおむけにひっくり返ってしまっていただろう。

 これはまずい。受け取らねば殺される。

 だが同時に俺の直感が告げていた。

 この斧を受け取ってはならない。受け取れば身の破滅が待っている。


 どうにかして声を上げ、お代わりを要求しているのではない、本当にどちらもいらないのだと伝えねばならない。


 俺はもう一度断りの言葉を述べるべく大きく息を吸い込んだが、その試みは失敗した。

 俺の喉はヒューヒューと奇妙な音を立てるばかりで、空気は喉を震わすことなく素通りしていく。

 さらにもう一度息を吸い込もうとして激しく咽た。

 そうしている間にも、老人からのプレッシャーはますます強くなっていく。

 もはや呼吸すらままならない。

 斧を受け取らなければ破滅以前にこの場で死ぬ。

 俺は悟った。目の前にいるのは断じて泉の精なんかじゃない。

 かつてはそこかしこにいて人と戯れていたという古の神々でもない。

 コレはもっと巨大な何かだ。

 その真の大きさは夜空のごとし。

 きっと、老人の体の奥には広大な闇がぽっかりと口を開けている。


 おもわず気が遠くなりかけた。

 それでも俺は残る気力の全てを振り絞って指先を伸ばす。

 そうして老人の頭を指さし、ようやくの思いで肺の底から最後の一息を押し出した。


「お、斧は……そこに……」


 蚊の鳴くような細い声ではあったがどうにか老人の耳に届いたらしい。

 自称泉の精は憤怒の表情をゆがめて不気味な笑い声をあげはじめた。


「グ、グブフ、ブフフフ……。

 面白いぞ、実に面白い!

 大人しく褒美を受け取っておけばよいものを、我が神威に抗ってまで何を言うかと思えば。

 グフフフフ! よもやそのようなことを気にしておったとは! グハハハハ!」


 老人はもはや堪えられぬといった様子で大笑いしている。

 それから俺の顎をつかんでグイと己の方に引き寄せると、じっと俺の眼を覗き込んできた。


「グフフ。

 なるほど、とるに足らぬ小物と思うておったがこうしてじっくり見てみると中々面白い面構えをしておる。

 いいだろう、気に入った!

 斧は二本ともお前にくれてやろう」


 どうやら気に入られたらしいが、状況は何も変わっていない。

 この老神はどうあってもこのキンピカ斧を俺に押し付ける気らしい。


「い、いえ、私は自分の斧さえあれば……」


「なに、遠慮はするな……む、斧に破滅の未来を見ておったか。

 なるほど、ますます面白い。

 安心せい、もはや汝の運命に干渉はせぬ。

 グブブ、そのようなことはせぬ方が面白いものが見られそうだ。

 だが、どうしても受け取らぬと言うのなら――」


 老人は俺を突き飛ばすと、両手に持った斧を振り上げた。


「グフフ、人の子よ、常に正直であれ。

 いずれ常世に帰り来たならば我が館を訪れるがよい。

 歓迎して進ぜよう。

 グフフ、さぞ心躍る土産話が聞けるだろうて。

 それではさらばじゃ!」


 老人はそういうと、俺目掛けて二本の斧を振り下ろした。


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