第27話 シルフィニ城

 ウェストモントの入り口だという関所を抜けて、さらに谷道を登っていく。

 遠く山の頂に城が見えた。


 高く重厚な城壁に幾つもの塔を連ねた、それ自体が巨大な岩山であるかのような威容だった。

 あれが〈犬〉の言うところの本当の城というやつなのだろう。

 なるほど、あれと比べれば以前見たオクスレイ城などは確かに張りぼてとしか言いようがない。


 しばらくすると、城の方から数騎の騎馬がこちらに向かって駆けてくるのが見えた。


「警戒しなくていいわ。

 さっき関所から早馬が出たから、城が迎えを出してくれたんでしょう」


 なるほど。

 が、迎えが近づいてくるにしたがって姫様の眉間に少しずつ皺が寄っていく。

 何事かと思ったがその理由はすぐに分かった。

 先頭を進む騎手の顔が姫様にそっくりだったからだ。


「姉上!」


 王子様は近づいてくるなり嬉しげに叫んだ。

 姫様と同じ寒空色の瞳とキラキラと輝く金色の髪。

 顔立ちもよく整ってはいるが、さすがに我らが姫様と比べるとその表情は幼く、無邪気にすら見える。

 互いに騎乗していたのでなければ、そのまま姫様に飛びついていたんじゃなかろうか。


 そんな王子様に我らが姫様が苦言を申し上げた。


「ああ、ステフ!

 貴方は王族なんだからこんなに軽々しく動いてはだめよ」


 それから、王子の背後に従う二人に向けて


「貴方たちも!

 ちゃんとステフを止めてあげて。

 万が一のことがあったらどうするの!」


 言っていることはもっともだが、お前が言うのかと突っ込みたくなる。


 マーサ婆さんが澄まし顔で黙っているのがまたなんとも。

 これが忠臣というものか。

 俺も彼女に倣い、笑いをこらえることにした。


「申し訳ありません姉上。

 久方ぶりに家族に会えると思うと居てもたってもいられず……。

 どうか、彼らの事は責めないであげてください。

 私が無理を言ったのです」


 王子様はしょんぼりと項垂れながら家来たちをかばう。


「しかし姉上、確か修道院へお入りになると聞いていたのですが」


「気が変わったの」


 それを聞いて、王子様の顔が今度はポカンとした間抜け面に変わる。

 それから、少しばかり悲しげに眉を下げた。


「なんともったいない。

 許されるのならば、私も修道院に入りたいところなのに。

 きっと、あそこには心の平穏があることでしょう」


「ステフ、貴方まだそんなことを言っているの?

 貴方は次の王になる身よ。

 もっとしっかりしなさい」


 王子様はそう言われて今度は曖昧な笑みを浮かべる。


「嫌ですよ姉上。

 王だなんて私には荷が重すぎます。

 叔父上が引き受けてくださるというのなら任せておけばいいのです」


 王様にすらなりたくないなんて、この王子様の怠け者っぷりは本物だな。

 俺はそんな彼の態度に好感を覚えた。

 しかし姫様にはそれが不満であるらしい。


「叔父様に任せられるならこんな話はしないわ」


「ならば、姉上ご自身が王になればよろしいのです」


「で、できるわけないじゃない、そんなこと」


「できますよ。何しろ姉上の王位継承順位は第二位なんですから」


「……こ、この話は、ここまでにしましょう」


 よく分らないが、どうやら我らがお姫様はやり込められてしまったようだ。


「ところで」


 と王子様が俺と、その背後に従うならず者の集団に目を向けた。


「この者たちは何者でしょうか、姉上?」


 ローズポート伯と反応が全く同じだ。

 問われたお姫様は気を取り直すように咳ばらいを一つすると、俺たちを紹介した。 


「貴方もきっと耳にしたことがあるはず。

 彼らは〈ノドウィッドの森の兄弟団〉。

 王領で貧しい人々を助けて回っていた義賊たちよ。

 そして私の轡をとっているのが、首領のジャック。

 またの名を〈木こりのジャック〉と言うわ。

 私たちの理想を実現するため、配下に加わってくれたの」


 王子様は少しばかり疑いの気がある視線をこちらに向けてきたが、俺の誠実そうな顔つきを見てかすぐに考えを改めたらしい。

 彼はこちらに向きなおると、王族らしからぬ軽さで頭を下げた。


「どうやら姉がご迷惑をおかけしたようで……」


「どういう意味かしら、ステフ」


「ジャック殿の疲れた顔を見れば、何があったかは凡そ察せられます。

 人を騙すのは程々にしておきませんと、いずれ本当に必要な時に信用が得られなくなりますよ」


「騙すなんて人聞きが悪いわね。

 彼は本当に私たちの理想のために――」


「姉上の、でしょう?

 王位簒奪の陰謀に私を巻き込まないでくださいよ。

 まあ、詳しい事情はおいおい聴かせていただくとして、客人を待たせて立ち話に興じるわけにもいきません。

 一度皆様を城へ招待いたします。

 ささやかですが食事も用意いたしますので、ゆっくりとお話を聞かせてください」


 というわけで、俺たちは揃って城に招待されて王子様の晩餐に与かることになった。

 ここ数日は半ば追われながらの行軍であったから、温かい食事と言うだけでもありがたい。


 ところが、いざ城の大広間にはいってみると、用意されていた食事はささやかどころの騒ぎではなかった。

 なんと城の大広間の真ん中に大きな炉が据えられていて、その上ではよく太った大きな牛が丸ごと焙られているではないか!

 炉を囲む長机には果物が山と盛られており、各々の皿の横には塩がたっぷり入った小壺までおかれていた。

 聞けば、この塩は自分で好きなだけかけていいらしい。

 俺たちにとっては信じられないぐらいの御馳走である。

 

 給仕たちが炉の上でジュウジュウと音を立てる牛から大きな肉の塊を切り取ると俺たちの前に次々と並べていく。

 早速自分の分を切り取ろうとしたところ、王子様に止められた。

 さては、これは俺たち庶民が手を出してはいけなかったのだろうか。

 しょんぼりとしていたところ、王子様が笑いながらそれを食べやすい大きさに切り取って俺の皿に載せてくれた。

 俺が皿の肉を平らげるたびに王子様がまた肉を切り分けてくれる。

 親切はありがたいが何ともまだるっこしい。


「姉上とはどのように知り合ったのですか?」


 王子様が肉を切り分けながら俺にそう尋ねて来た。

 反対隣に座っていた姫様が肘で俺を小突いて来たが、俺としては正直に答える他はない。


「ヴェロニカ殿下が私どもの住む森に尋ねてこられたのです。

 そこで殿下は私に向かって『貴方たちを討伐しに来た』とおっしゃられまして――」


 俺たちを騙して丸め込んだ姫様の手口を聞きながら、王子様がクスクスと笑う。

 姫様が俺の方を睨んでいるが、呪いに比べれば欠片も怖くない。


 王子様が手ずから俺の盃に酒を注ぎつつ、目をキラキラさせて続きを促してくる。

 王子様の酌で飲むなんて贅沢なんてものじゃない。

 俺はすっかりいい気分になってぺらぺらとしゃべり続けた。


「では、貴方の方からあのリチャード卿に決闘を挑んだというのですか!?」


「おうともよ」


「客人を疑うのはよくないとは思うのですが、にわかには信じられません。

 姉上、これは本当なのですか?」


「本当よ。ジャックは、本当に私のためにリチャードおじ様と戦ってくれたんだから」


「あのリチャード卿に! なんと勇気のあるお方でしょう!

 怖くはありませんでしたか?」


「そりゃ怖いけどさ、守るって言っちまったからな。

 約束しちまったらもうどうしようもないから……」


「約束とはいえ、命をかけてまでそれを守れる方はそうはいませんよ。

 おや、盃が空になっていますね。

 さあ、どうぞもう一杯……」


「お、おう、ありがとう」


「それで、リチャード卿にはどのようにして勝ったのですか!?」


「いや、それが殿下がうまいこと伯爵を丸め込んで、

 なんやかんやの間に対戦相手はその息子が――」


 王子様の反応は素直で、いくらでも楽しく話をすることができた。

 悪い地主たちを懲らしめる話に喝采し、悪徳代官の城に潜入する手口に感心し、

 いかにも強そうな盗賊の親分との決闘にゴクリと唾を飲み、親友との別れのくだりには涙まで流して――



 気が付いたら朝になっていた。多分朝だ。

 石造りの見知らぬ部屋である。おそらく城内だろう。

 窓はなく、ベッドの向かいの壁に頑丈そうな扉が一枚あるきりだ。

 まるで牢獄である。


 昨晩の醜態をおぼろげながら思い出し、ぶるりと震えあがった。

 そういえば、一緒に席についていた御家来衆がひどく苦々しい顔で俺を睨んでいたような気がする。


 まずは落ち着け。

 俺は大きく息を吸い込んだ後、それをゆっくりと吐き出した。

 大丈夫。

 今俺が寝ているこのベッドは藁がぎっしりと詰まっていてとても寝心地がいい。

 かけられていた毛布も柔らかで温かい。

 おまけに部屋には蠟燭まで灯されている。


 ここが牢屋ならこうはなるまい。

 いやどうだろう。

 王族ともなれば牢屋だって立派なものを備えていてもおかしくない。


 俺がくだらないことをぐるぐると考えていたところで、扉がコンコンと音を立てた。

 きちんと中の人間を気遣った丁寧な音である。

 やはりここは牢屋ではなかったらしい。

 扉の向こうから声が聞こえた。


「ジャック殿、起きておられますか」


「おう――、いや、はい」


 ついいつもの調子で返事をしかけたが、昨晩の御家来衆の眼つきを思い出し、慌てて改めた。

 このお城の中ではお行儀良くしておいた方がよさそうだ。


 俺が応えると、水の入った桶と布を持った少年が扉を開けて入ってきた。

 多分王子様の小姓か何かだ。

 この小姓だって、王子様付きともなれば俺よりずっと身分が高いに違いない。


「スティーブン殿下が御呼びです。

 くれぐれも失礼のなきよう、よく身支度を整えてからお出でください」


 くれぐれも、の部分に少しばかり棘があるように感じたが、まあ彼らにしてみれば仕方がないことだろう。

 自分たちの親分に、どこの馬の骨ともわからない盗賊がなれなれしくしていたら誰だって腹が立つはずだ。


 とは言え、俺の荷物は全て城の外の宿営地――晩餐に招かれる前に俺たち一党のために割り当てられた空き地――に置いてきてしまっている。

 仕方がないので、受け取った水桶と布で身を清め、よれた服を可能な限りきっちりと整えた。

 小姓は何か言いたげな顔をしていたが、部屋の中に荷物一つないのを見るとため息を一つき、「案内いたします」とだけ言った。


 俺がいたのはお城の主塔の一室だったらしい。

 小姓に案内されて狭いらせん階段を下る。

 通された先は昨日俺が酔態を晒したあの大広間だった。


 今はもう机も椅子も床に放られた食べ残しもすっかり片付けられて、昨晩のにぎやかな晩餐は見る影もない。

 すっかり空っぽになった大広間の奥には白い布で覆われた大きな椅子が据えられていて、王子様が背筋を伸ばしてそこに腰掛けていた。

 我らがお姫様もその傍らに控えている。

 小姓殿が囁く。


「ジャック殿、ひとまず私に従ってください。

 それから、一言もしゃべってはなりません。

 殿下への受け答えは私がいたします」


 俺が粗相をしないようにとの配慮だろう。

 実にありがたい話だ。

 俺が頷くのを確認すると、小姓は殿下の前に進み出た。

 俺もその後に続く。

 彼が片膝をついて頭を下げたので俺もそれに倣う。


「殿下、〈木こりのジャック〉殿をお連れいたしました」


「うむ。面を上げよ」


 頭上で響く王子様の命令に従って俺が顔を上げると、姉弟が二人揃って冬空色の冷たい瞳をこちらに向けていた。

 あの眼付きには見覚えがあった。

 お姫様に初めて出会った時の眼だ。

 あれは公の場に立つときの顔なのだろう。

 彼らはきっと、こんな風に自由に仮面を付け替えることができるのだ。


「さてジャック殿、我が姉を無事に送り届けてくれた事、礼を言わせてもらう。

 また、昨晩の宴の席でのことについては無礼講につき不問とする」


「は、殿下の寛大なるお心に感謝いたします」


 答えたのは俺ではなく小姓である。

 殿下は俺と小姓に向けてウムと鷹揚に頷いてから言葉を続けた。


「ついては、貴殿に褒美をとらせようと思う。

 何か願いはあるか?」


「そのようなお言葉をいただけるだけでも身に余る光栄です。

 我が願いはただ一つ。

 この身を殿下に捧げ、お仕えする。ただそれだけでございます」


 重ねて言うが、答えているのは例の小姓である。

 元々王家の兵隊として雇って貰うって話だったんだから異論はないが、それはそれとして俺の意思はどこへ行ったんだ。


「うむ、貴殿のような勇士を家臣として迎え入れられることは私にとっても大いなる栄誉である。

 貴殿には私の所有する森林の警護役を与えよう。

 忠勤を期待する。下がってよいぞ」


「ははあ」


 小姓が再び頭を下げたので、俺もそれに倣う。

 殿下が席を立つ気配。

 二人分の足音が遠ざかっていき、最後に扉が閉まる音。


「ジャック殿、もういいぞ」


 頭上から、さっきの小姓とは違う成人した男の声。

 顔を上げると若い騎士が一人、にこやかに立っていた。


「私の名はダニエル。騎士として殿下にお仕えしている身だ。

 任地の森までは私が案内するよう仰せつかっている。

 配下ともども、出立の準備をしていただこうか」

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