第28話 王の箱庭
「いやまったく、ジャック殿はよい時機にきてくれたものだ」
俺達の任地とやらに向けて進む途中で、ダニエルと名乗ったその騎士は朗らかに言った。
「よい時機? 幽霊森に何かあったの?」
ダニエルの言葉に応えたのは、何故かしれっとついてきている我らがお姫様である。
先程の王族然とした仮面は城に置いてきてしまったらしく、昨日までの気安い調子に戻っている。
この幽霊森と言うのが俺の任地とされている森の名だ。
なんでも、彼女の名目上の領地の一部であるらしい。
名目上と言うのは、実質的な統治は弟のスティーブン殿下がしているからだとか。
俺はこの森の森林管理官、つまりは森番として雇われることになっていた。
俺には森林管理官としての給与が与えられ、その給与で手下たちを養っていくという形だ。
しかし、よりによってまあ、この俺が森番とは。
なんとも皮肉な話だ。
「はい、殿下。
実はあのあたりに盗賊どもが住み着いてしまったのです。
前任の森番たちも彼の者らに皆殺しにされてしまいました」
「まあ! ハリソン達が!?」
「ええ、実にむごたらしい有様で……。
森に近い民家も度々襲撃を受けています。
殿下も兵を差し向けて討伐を試みましたが今のところ成果は挙がっていません」
どうやら知り合いだったらしい者の訃報を知り、姫様は酷く痛ましい顔つきになった。
ダニエルはそんな姫様から目を逸らし、こちらに向けて言った。
「そういうわけで、貴殿らにはその盗賊の討伐を期待している。
本来ならば我々が果たすべき仕事ではあるんだがな。
実に狡猾な奴らで手を焼いているのだ。
貴殿らなら、同じ――ああっと……うん、まあ、ああいった手合いを狩るには向いているかもしれん」
同じ盗賊、とでも言いかけたんだろう。
「お気遣いなく、ダニエル殿。 我々が盗賊だったのは確かですから。
ただ、盗賊狩りに関しては我々も経験があります。
そこにいる〈犬〉は追跡の名人ですから、きっとお役に立てますよ」
ダニエルは俺の視線の先に目をやり、そこにいる男を見て怪訝そうな顔を浮かべた。
「犬? ああ、二つ名か。
〈犬〉殿、名をたずねてもよろしいか?」
ダニエルに問われた〈犬〉が不愛想に答えた。
「ご勘弁を、騎士殿。
古い名はもう捨てたんでね。
殿もいらねえ。ただ〈犬〉と呼んでくれれば結構でさあ」
誰に対しても飄々とした態度を崩さない〈犬〉にしては珍しいことだった。
ダニエルはそんな〈犬〉の態度に少しばかり怯んだ様子だったが、肩をすくめるとこちらに向きなおって話をつづけた。
「まことに頼もしいことだ。
実のところ、近頃余り状況がよくない。
幽霊森に限らず、ウェストモント全体で盗賊の侵入が相次いでる。
貴殿のことは森林管理官の名目で雇い入れてはいるが、当面はあちこちで盗賊狩りの任についてもらうことになるだろう」
「承りました、騎士殿」
俺がそう答えたところに、また姫様が横から口を挟んできた。
「盗賊狩りをやらせるなら、最初から兵としてジャック達を雇えばいいじゃない。
私は私の近衛として彼らを迎えたかったのに」
ずいぶんとガラの悪い近衛兵ですね、と軽口を叩きかけて、慌てて口をつぐむ。
背後からマーサ婆さんの刺すような気配が飛んできたからだ。
だが、姫様はあの時の約束をちゃんと覚えていてくれたらしい。
ダニエルがなだめるようにして姫様に事情を説明する。
「はい、殿下。
しかしながら、スティーブン殿下はむやみに兵を集めれば、
国王陛下よりあらぬ疑いを招きかねないと考えておられるようです」
それを聞いて姫様は不満そうに口をへの字に曲げた。
これは少しばかりフォローしてやらなきゃならないだろう。
「殿下、我々といたしましては、こうして領内に受け入れて頂けただけでも十分に嬉しく思います」
実際の所、『疑いを招きかねない』どころの騒ぎじゃないのだ。
何しろ俺たちは王を――正確にはその代官を――批判しながら王領を荒らしまわった反逆者の集まりだ。
王位に興味がない王子殿下の立場からすれば、とんでもなく厄介な存在に違いない。
それをこうして匿ってくれただけでもまったくもって頭が上がらないぐらいの大恩である。
「ま、貴方がそれでいいならいいですけど」
俺が不満を示さないので姫様は拗ねてしまった。
会話が途切れたので、俺は風景に目をやった。
ウェストモントは、俺の故郷や王領と違い山がちな土地だった。
どこもかしこも山と谷でできていて、人々は谷底の狭く貴重な平地に麦を植え、自身は斜面にへばりつくように家を建てて暮らしていた。
なんなら、その斜面すら畑に変えているところもちらほら見える。
俺の目には到底豊かな土地には見えなかった。
この貧相な地に盗賊どもが跳梁しているという。
大きな平野にあれだけ畑が連なっていた王領ですら人々は貧乏暮らしをしていたのに、果たしてこんなところで盗賊稼業が成り立つのだろうか?
また一つ、小さな村が見え始めたところでダニエルが村長に話を通すために列を離れて先行していった。
姫様の旗を掲げているとはいえ、どこからどう見ても盗賊にしか見えない一団である。
きちんと説明しておかないと村民を無駄に不安がらせることになる。
その背を目で追いながら姫様が口を開いた。
「ねえ、ジャック。あの話は本当なの?」
「あの話とは?」
「貴方が、泉の精に嘘がつけない呪いをかけられたって話よ」
俺は呻いた。
その話は誰にもしていないはずだ。
俺にとって弱点になるのが明らかだからだ。
「……殿下、その話をどこで聞きました?」
「貴方が自分から話してたじゃない。
ステフにお酒を飲まされながら」
言われてみれば朧気ながら心当たりがあったので、俺はもう一度呻いた。
「で、どうなのよ」
「本当ですよ、殿下」
仕方がないので俺は正直に答えた。
まあ、これはこれでよかったのかもしれない。
知らずに冗談で「そこの崖から飛び降りて」なんて言われたら一大事である。
だがこの姫様なら、俺の事情を知ってさえいればそんな無茶は言わないだろう。
「ふーん、そうなの」
ところが、何が気に入らなかったのか姫様はまた不満そうにむっつりと黙り込んでしまった。
少し間をおいて、姫様がまた口を開く。
「じゃあ、その呪いが無かったらあの時私を見捨てていたのかしら?」
なるほど。俺はその瞳に不安げな色があるのを見て姫様の不満の原因を察した。
俺は忠誠を誓った自身の言葉に強力に縛られている。
おそらく彼女は、そんな俺に不本意な危険を押し付けたのではないかと気に病んでいるのだろう。
しかしまったく難儀な性格だな。
そんなことを気にするぐらいなら、最初から人を騙したりしなければよいのだ。
まあそれはそれとして、俺は質問の答えについて考えた。
多分、呪いが無くても戦っていたはず、だと思う。
だけど、どうしてだろう。
少しだけ考えて、妙にくすぐったい気持ちになったので俺は思考を打ち切った。
そして姫様の質問には答えず、慎重に言葉を選んだ。
「……無意味な仮定です、殿下。
呪いが無ければ、殿下とお会いすることもなかったでしょう」
その場合、俺は今でも何の変哲もない鉄の斧で薪を作り続けていたに違いなかった。
平和だが、あまり希望のない人生ではあっただろう。
「そりゃそうでしょうけど……」
当然と言えば当然だが、姫様はまだ不満そうな顔をしている。
さすがに少しかわいそうに思えて、言葉を足した。
「そもそもの話、呪われたこの身で気軽に忠誠を誓ったりはしませんよ。
危険は覚悟の上です。
殿下が気に病まれる必要はありません」
「じゃ、じゃあ、どうして、その、私に忠誠を誓ってくれたの?」
これについては答えは明確だった。
「我々を救ってくれたからですよ、殿下。
あのままではいずれ本物の討伐軍が送り込まれ、我々は兎のように狩られていたことでしょう。
そんな私たちに、殿下は救いの手を差し伸べてくれたのです」
実際の所は、今だって俺たちは危険な立場のままではある。
スティーブン殿下の意向次第では、国王に身柄を差し出されてしまう可能性だってなくもない。
だけど、必ずそうなると決まったわけでもなかった。
この簡単明瞭な説明に、なぜか姫様はまた残念そうな顔をした。
いったい彼女は俺に何を求めているんだろうか?
とはいえ、一応納得はして貰えたらしく、それ以上何か聞かれることはなかった。
*
日もだいぶ傾き始めたあたりで、峠を一つ越えた。
峠の先は小さな盆地になっていて、その奥には山に向かって広がる森とまばらに散らばった民家が見えた。
いい加減、野営についても考えなきゃならないだろう。
あそこに見える放牧地は借りられるだろうか?
まあ、今回は案内人のダニエルがついているからそういった交渉事は任せておけばいいだろうが――
「やっとついたわね」
「え?」
俺は耳を疑った。
「ここが私の領地よ、ジャック」
そう言って姫様はいたずらっぽく笑う。
「意外そうね。
貴方が考えてること、当てて見せましょうか?
一国の王女の化粧領にしては随分と貧相だな、といったところかしら?」
「申し訳ありません」
嘘はつけないが、かといって肯定するのも憚られたので謝ることにした。
そんな俺を見て姫様がクスクスとかわいらしく笑う。
「貴方きっと、呪いがなくても嘘がつけないタイプよね?」
「昔から、顔に出やすいとは言われております」
「でしょうね。
ま、気にしなくていいわよ。半分は事実だもの。
ここウェストモントはどこもこんな感じよ。
山がちで貧しく、気難しい人々の土地として知られているわ。
実際、過去には何度か大規模な反乱が起きてもいる。
エリック叔父様は、私たちが力をつけることを警戒しているのよ。
だから、こんな土地を与えて私たちの力を削ごうとしている」
そんな仕打ちに怒っているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。
その時、俺の背後で話を聞いていたらしいビルが口を挟んできた。
「でもよー、姫様。
さっきの村にゃ重量犂がありましたよー。
ありゃあ結構いい値段がするはずですよー。
貧乏人が気楽に買えるもんじゃないでしょう?」
「よく気付いたわね。
その通り。この土地が貧しかったのは昔の話よ。
例えば今見えているこの盆地が何と呼ばれているか、知っているかしら?」
知っているわけがない。
俺達は首を横に振って続きを促した。
「〈王の箱庭〉よ。
もとは瘦せ谷と呼ばれていたらしいけど、今では誰もそんな風には呼ばないわ。
お祖父様とお父様は、偉い学者や技術者を何人も雇い入れて、この国を豊かにする方法を研究させていたの。
そうしてその実験台として、この土地に最新の農法や設備を惜しみなく導入してきた。
この一見貧相な盆地は、今やこの国でも有数の豊かな領地よ。
少なくとも、面積当たりでみればね。
そしてステフは、この土地で成果を上げた方法を、ウェストモント全体に広げ始めている」
姫様の顔には何かいたずらを成し遂げた時のような楽しげで、誇らしげな色が浮かんでいた。
「でも、エリック叔父様はそのことを知らない。
知っていたら、この土地を私たちに与えたりしなかったでしょうね。
陛下ももう少し国内のことに興味を持っておられたら、こんな失敗はしなくて済んだでしょうに」
陰り始めた太陽の光が姫様の顔に当たった。
その赤味のある光のせいか、彼女の笑顔がいつもより温かみを帯びているように見えた。
「私は、このやり方を国中に広めて、全ての人がこの谷の人たちのように豊かに暮らせるようにしたいの」
「そうなりゃ素晴らしいですなー」
ビルがのんきに答える。
「ええ、そうでしょうとも。
だから、なんとしてでも叔父様から王権を取り戻さないと!」
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