第30話 稽古

「まずは足を揃えてお座りください」


 言われた通りにする。

 マーサ婆さんの稽古を受けるにあたって、一つだけ条件を付けられていた。

 それは稽古中は何を言われようと服従すること、だった。


『必ず私の指示に従ってください、ジャック殿。

 ああ、答える必要はありません。

 呪いによって従ったのでは意味がありませんからね。

 これは、心を養う訓練の一環でもあるのです』


 とのことである。


「それではそのままゆっくりと体を後ろに倒してください」


 従う。


「背中が地面についたら、両手で地面をたたいてください。

 いえ、そうではなく腕は少しだけ開いた形で――はい、それぐらいでよろしい。

 では思い切り地面をたたいてください」


 びたーん。


「よろしい」


 褒められた。

 腕自慢の騎士すら三日で逃げ出したと聞いていたから、どんな恐ろしい修行なのかと思っていたが拍子抜けだった。


「では上半身を起こして、もう一度。

 体を後ろに倒しながら、地面を叩く」


「はい」


 びたーん。


「では、もう一度」


 びたーん。


「もう一度」


 びたーん。


「もういち――」


「あ、あの」


 ポカリ。

 口を開きかけた途端いつもの杖でぶん殴られた。


「疑問を持つことを、今は許しません。

 それはもう少し先に進んでからでございます。

 もう一度」


 びたーん。


 晩飯の支度が整い、稽古の時間が終わりになるまでそれを続けた。



 翌日、〈犬〉と一緒に館に出向く。

 姫様達に、拠点の建設計画について説明するためだ。


 通された先には、姫様と騎士ダニエル、それからこの領地の代官であるエドワードの三人が待ち構えていた。

 ダニエルはスティーブン殿下の代理人であり、建築に必要な費用を得るにはこの男を納得させねばならない。

 土地についてはエドワードの許可がいる。

 姫様は飾りだ。


 同じくお飾りである俺は、〈犬〉が二人を説得する様子をぼんやりと眺めていた。

 すると、姫様の後ろからスルリとマーサ婆さんが現れた。


「ごきげんよう、ジャック殿。

 退屈でしたら、少しばかり稽古でもいかがですか」


 俺はちらりと〈犬〉の様子を窺った。

 どうやら彼は、ダニエルたちを相手に優勢に話を進めているように見える。

 俺が口を出す必要はなさそうだ。


「はい、マーサ殿。

 よろしくお願いします」


 俺たちが連れ立って館の庭に出ると、姫様もついて来た。

 やはり彼女も退屈だったのだろう。

 最も、稽古なんぞ眺めたところで退屈には変わりないとおもうんだが。


「それでは、昨日の続きから参りましょう。

 姿勢は覚えておられますか?」


 俺は黙って、教えられたとおりに両足を伸ばして座った。


「それでは、同じように」


 上半身を倒し、びたーん。


「もう一度」


 びたーん。

 以下繰り返し。


「腕が開きすぎです」


 びたーん。


「もっと強く」


 びたーん。


「早すぎる」


 びたーん。


「もっと腕全体で地面を叩く」


 びたーん。


 ひたすらこれである。

 最初は何かを試されているのかと思っていた。


 要するに、婆さんの指示に従う気があるかだとか、飽きっぽい性格じゃないか、とかそういうことをだ。

 だが、こうして細かな指摘が入る所を見るにそうではないらしい。

 何かは分からないが、きっと彼女には俺が身に着けるべき理想の動きが見えているのだろう。

 それが何かはさっぱりわからないまま、延々これが続くのである。

 屈強な騎士が三日も立たず逃げ出したという話だったが、これと同じことをしたのなら逃げ出したのではなく見切りをつけたと言った方が正確なんじゃなかろうか。


 しばらくして、交渉を終えたらしい〈犬〉が館から出てきた。

 表情を見るに、こちらの要望はおおむね通ったらしい。


 彼はびたーん、びたーんと続ける俺にチラリと眼をやった後、婆さんに向き直って言った。


「マーサ殿、私どものお頭を返していただいてもよろしいでしょうか?」


 〈犬〉の口ぶりときたら、俺に対するより、下手をすれば姫様に接する時よりも丁寧である。

 婆さんが礼儀にうるさいせいもあるだろうが、果たしてそれだけだろうか?


「ようございますよ。

 ジャック殿、今日はもう終わりにいたしましょう」


 婆さんの許しが出たので、俺は立ち上がって土を払う。


「さあ行きましょう、お頭。

 忙しくなりますぜ」



 木の幹に向け、斧を振り下ろすようにして斜めに切り込む。

 角度が何より重要だ。深く切り込み過ぎてもいけない。浅くてもダメだ。

 次いで、水平に斧を打ち込んで切れ目を入れた箇所を切り飛ばす。

 金の斧は切れ味がよすぎて力加減が少しばかり難しい。


 そうしてまた斜めに、今度はそぎ落とすように斧を入れ、その次はまた水平に。

 それを交互に繰り返しながら、出来上がった切欠けを拡大していく。

 

 切り口の線を、倒したい方向にきっちりと揃えるのが木こりの腕の見せどころだ。

 幹の半ば手前ぐらいまで切欠けを広げたら、反対側に回って同じように木を伐り削っていく。

 この際、少しだけ前よりも高い位置に切欠けを作るのが確実にあちら側に倒すコツである。


 うまくすれば木は自重を支えきれなくなって勝手に倒れてくれるが、いつもそんな風に完璧にできるわけではない。

 倒れなかったときには、細い木であれば手で押してやってもいい。

 太くて大きな樹であれば、事前にかけておいたロープで引き倒すことになる。


 しかし、切欠けの大きさや角度、深さ、そして高さの調整を見誤れば木は予想外の向きに倒れてしまう。

 倒れた先で他の木の枝に引っかかってしまえば厄介なことになるし、他の人間が下敷きになってしまえばもちろん大惨事だ。

 木こりと言うのは単純そうに見えて、知識と経験を要する奥深い仕事なんである。


 そんな俺の仕事ぶりをしばらく興味深げに眺めていた姫様が口を開いた。


「ねえ、ジャック。

 貴方の斧ってなんでも切れるんでしょう?

 一気にスパって切るわけにはいかないの?」


「はい、姫様。確かにこの斧は素晴らしい切れ味を持ちます。

 しかし――」


 俺は答えながら金の斧の刃の部分を指し示した。

 いわゆる戦斧と呼ばれる類の斧で、俺の木こり用の鉄斧より大分刃幅が広い。


「この幅よりも広いものは一度には切れません。

 なにより、その様なやり方では倒れる方向が制御できず危険なのです」


 以前、刃幅に収まる細い木で試してみたのだ。

 スパンと斜めに斬り落としてみたはいいモノの、木はそのまま断面に沿って滑り落ち、すとんと地面に突き刺さってからあらぬ方向へ倒れてしまった。

 他にもいろいろ試しては見たが、結局この昔ながらのやり方が一番安全だという結論に落ち着いたのである。


「案外不便なのね」


「はい、殿下」


 そう答えはしたものの、やはりこれは便利な代物ではある。

 なにしろ、切れ味がいい。

 力はほとんどいらないし、普通の斧よりもずっと多く木片を切り取れるから何倍も早く切り倒すことができる。


 他に数人木こり仕事の経験がある兄弟たちがいて俺と同じように木を切り倒している。

 残りの兄弟たちは倒れた樹や切り株の始末に汗を流していた。

 この調子なら、拠点の建設予定地となっているこの台地を丸裸にするのにそう日数はかからないだろう。



 仕事から戻ると今度はマーサ婆さんの修行だ。

 しばらく昨日と同じようにビターンビターンとやったところで、マーサ婆さんが口を開いた。


「そろそろ、次の段階に進みましょうか」


 正直なところ、ほっとした。

 とてもじゃないがこんなことを続けたところで強くなれるとは思えなかったからだ。


 実際婆さんはこの方法で強くなったのだろうし、俺を騙しているとも思えない。

 きっと何か理由があるのだ。

 そういう理屈で飲み込んではいるが、心底納得できているわけではないのだ。


「それではジャック殿、その場にしゃがんでください」


 言われた通りにする。


「そのまま後ろに転がってください」


 ゴロリ。


「そして地面を打つ」


 びたーん。


「よろしい」


 同じじゃねえか!


 そう思ったが、もちろん口には出さない。

 そういう約束だ。


「ではもう一度」


 びたーん。


「背中を丸め、顎を引きなさい」


 びたーん。


 しばらくそれを続けている間に、いつの間にやら俺の周りには人だかりができていた。

 退屈した兄弟どもが稽古を見物しに来ているのだ。

 衆人環視の中でこの意味不明な動きを続けるのは流石に気恥ずかしかったが、婆さんは容赦なく続きを促す。

 ひたすらその動作を続けていると、兄弟の一人が婆さんに声をかけた。

 この一党の中でも一番体格がよく力も強い、〈熊〉と呼ばれている古参盗賊だ。


「あ、あのう、マーサ様……」


 この男は一度婆さんにぶん投げられたことがあるので、声のかけ方も恐る恐るといった様子だ。


「なんでしょう、〈熊〉さん?」


「あの、お頭は一体何をやっているんで?」


 おお! ガタガタと震えながらよく言ったぞ、熊!

 俺もそれが知りたかったんだ。


 婆さんは少しだけ首を傾げた後、わけを知ろうと聞き耳を立てていた俺にチラリと眼を向けた。

 心なしか視線が鋭い気がする。

 いや、待ってくれ、別に俺が指示を出して聞かせたわけじゃないぞ。


 俺の誠実な内心をくみ取ったのか、婆さんは得心した様子で〈熊〉に向き直る。


「なるほど、疑問に思うのもごもっともです。

 では、お目にかけましょうか」


 言うが早いか婆さんは〈熊〉の前に立つとその胸をトンと軽くついた。

 随分と体格差があるというのに、たったそれだけで〈熊〉がぐらりと後ろに傾く、と同時に婆さんがよろめくその足をごく自然に払った。

 恐るべき早業だ。

 速さもさることながら、その動きは無駄なく、淀みなく、流れるように美しい。

 足を払われた〈熊〉がどうと倒れた。

 〈熊〉は背中と後頭部を強く打ち、しばらくむせながら後頭を抱えて転げまわった。


「ではジャック殿、お立ちください」


 嫌な予感がしたが逆らうわけにはいかない。

 そうでなくとも、ここで渋るのはあまりにみっともない。

 言われた通りに立ち上がると同時に、婆さんがツツツと寄ってきて俺の胸を突いた。

 そのまま抵抗する間もなく足を払われる。

 何をされるか、事前にわかっていてすらなんの手立ても打てなかった。


「いまです」


 視界が傾く中で、婆さんの声が耳を打つ。

 とっさに背中を丸め、顎を引いた。

 丸めた最中が地面につくと同時にびたーんと地面を叩く。


 おぉ!?


 驚くべきことに、ほとんどダメージがない。

 まだ後ろ頭を押さえて呻いている〈熊〉を尻目に、俺はひょいと立ち上がった。

 それ見た婆さんが満足気に目を細めた。


「見込んだ通り、中々に筋がよろしい」


 それから婆さんは起き上がろうともがき始めた〈熊〉に手を差し伸べながら言った。


「ごらんのとおりです。

 強くなるには、まず身を守る術を身に着ける必要があるのです。

 あれはそのための修業です」


「へ、へえ……わかりやした」


 婆さんはいまいちわかってなさそうな〈熊〉を助け起こすと、野次馬どもに呼びかけた。


「たったこれだけの事にも思えるかもしれませんが、

 戦場においてはそのわずかな差が生死を分けるのは皆さまもご存じの通り。

 それだけではございません。

 私の手ほどきを受ければ、かようなひ弱な身ですら屈強な大男を転がす術を身に着けることができます。

 もちろん、それに対抗する技も教えます。

 さあ、今ならこのお手軽な修行で強さを手に入れることができますよ。

 どうです、ジャック殿と共に修業に励もうという方はおられませんか?」


 んなわけあるか。

 絶対、あのびたんびたん以上の事もさせる気だろう。

 そうは思ったが、兄弟たちの生存率が上がるのはありがたい事なので口は出さずにおく。


 婆さんの呼びかけに、数人の兄弟が恐る恐るといった感じで前に出てきた。

 〈熊〉も自分がどうやって転がされたのか興味があるらしい。


 こうして俺と一緒に修行する仲間が増えた。

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