第36話 孤児と盲者
幸いにも、姫様に遅刻を咎められることはなかった。
実に寛大なことである。
しかし、俺としては姫様には館の中で寛いでお待ちいただきたかった。
その方がこちらとしても気を遣わずに済む。
教会への道すがら、姫様に〈兎〉と〈梟〉を紹介した。
「殿下、こちらの二人は私どもの一党で情報収集を担当している者です。
森をお尋ねいただいた折には別行動をとっていたためご挨拶が遅れましたが、改めて紹介させていただきます。
年を取った盲目の男が〈兎〉、若い方が〈梟〉。
以後、お見知りおきをお願いします」
俺の紹介を受けて二人はピタリと揃った動きで一礼する。
流石、吟遊詩人に扮して貴人の宴にも紛れ込めるだけあって彼らの動きは洗練されている。
これにはマーサ婆さんもニッコリだ。
「こちらこそよろしくね」
姫様は微笑みながら応じ、〈兎〉の持っていた竪琴に目を止めた。
「貴方、楽器を持っているようだけれど演奏もできるの?」
「如何にも。こう見えましても竪琴の腕に関してはウェンランド一と自負しております。
こちらに控えております〈梟〉の声はそれに輪をかけて素晴らしく、大陸領を含めても右に出るものは一人としていないでしょう」
彼らの演奏と歌が大層上手いのは本当だが、この国で一番とは大きく出たものだ。
俺にはマネができないが、まあ、こういうのは言った者勝ちなんだろう。
「あら、それはちょうどよかったわ。
これから子供たちに会いに行くところなの。
貴方たちもついてきて、皆を楽しませてやってくれないかしら」
「はい、喜んで。
しかしながら殿下、一つお願いしたいことが」
「なにかしら?」
首を傾げる姫様に、〈兎〉は声を潜めて告げる。
「私共は役目柄、普段は正体を伏せて行動しております。
皆の前では、私の事は琴弾きのアルフ、〈梟〉のことは歌い手の二コラとお呼びください」
それを聞いて姫様はニヤリと笑った。
「お安い御用よ。それになんだかワクワクするわね」
姫様は子供たちを喜ばせる出し物を手に入れて上機嫌だ。
教会に到着すると、姫様は早速子供たちを礼拝堂に集めて二人を紹介した。
「さあみんな、今日はこの国で一番の吟遊詩人を連れて来たわよ!」
どうやら小さな子供たちは姫様の嘘には慣れていないらしく、この国一の詩人の登場に目を輝かせた。
もう少し年かさの子供たちは二人のみすぼらしい恰好を見て半信半疑といった顔つきだ。
が、それも演奏が始まるまでの間だった。
〈兎〉が粗末な竪琴ををそっと撫でればえもいわれぬ美しい音色がこぼれだす。
それに合わせて〈梟〉が甘やかな声で歌うのは、魔法の力を持ったお姫様の物語だ。
子供たちは瞬く間にお姫様と小人たちが織り成す愉快な冒険譚の虜になった。
歌がめでたしめでたしで終りを迎えると、子供たちは二人に喝さいを浴びせた。
素直な反応に〈兎〉たちもまんざらではない様子だ。
「それではもう一曲聞かせてあげようかね。
さて、何を――」
彼はそこで何かに気づいた様子で言葉切った。
そうして、礼拝堂の隅に顔を向ける。
「坊や、そんなところでどうしたのかね?
こっちへおいで」
〈兎〉が呼び掛けた先に子供が一人、皆から離れてうずくまっていた。
なんとも存在感薄い子供で、〈兎〉がそうして呼びかけるまで俺は彼の存在にまるで気づかなかった。
姫様も同様に彼の存在に気づいていなかったらしい。
「さあおいで、近くで聞いた方が歌ももっとよく聞こえるだろう」
〈兎〉がもう一度声をかけたが、その子は顔を伏せたまま身じろぎ一つしない。
「ごめんなさいね、あの子は目が見えないのよ。
私が連れてくるわ」
姫様はそう言ってその子の所に行くと、その肩にそっと手を置いて語りかけた。
「さあエディー、行きましょう?
私が手を引いてあげるから大丈夫よ」
ところが、その子は姫様が手を差し伸べてもまるで動こうとしない。
教会の神官が声をかけても反応なしだ。
〈兎〉はそんな彼らの声をしばらく聴いていたが、やがて立ち上がって言った。
「やれやれ、それじゃあこちらから行くとしようかね」
〈梟〉が先導しようと手を伸ばしかけたが、〈兎〉が軽く手を振ったのですぐに引っ込めた。
〈兎〉は杖で足元を探りながら礼拝堂の隅へ行き、その子の前にしゃがみこんで話しかけた。
「やあ、坊や。こんにちは。
私は竪琴弾きのアルフという者だ。君の名前を教えてくれないか」
俺はその声色にひどく驚いた。
こいつがこれほどまでに優しい声を出せるとは。
なんせこう見えても盗賊団の一員で、可能であれば人を殺すことだってまるで厭わない男なんである。
しかし子供は頑なに顔を上げようとはしなかった。
〈兎〉がもう一度その子に話しかける。
「少しだけでいいから、声を聞かせてはくれないかね。
実は私も目が見えないのでね、声を聴かないことには相手の人となりがまるで分らないのだよ」
しばらくの沈黙の後、彼は顔を伏せたまま小さな声で答えた。
「……エディー」
それを聞いて、〈兎〉はにっこりと笑う。
「そうか、エディーというのか。
その眼は生まれつきかね」
「はい……」
「そうか。では、身の回りのことはある程度自分でできるね?」
「はい」
今度は、いくらかはっきりとした返事が返ってきた。
それを聞いて〈兎〉の顔つきが満足げなものに変わる。
「なるほど。
君は実によい声をしている」
〈兎〉は少しだけ手を彷徨わせてエディーの頭を探り当てると、それを優しく撫でながら言った。
「きっと君は立派な吟遊詩人になれることだろう。
どうだね、私の弟子にならないかい?」
エディーがここで初めて頭を上げた。
目は閉じたままだったが、そこにははっきりと驚きの表情が浮かんでいた。
「えっと、あの、その……」
「ダメよ!」
割って入るように声を上げたのはもちろん姫様だ。
〈兎〉は姫様に向かって姿勢を正すと一礼し、頭を下げたまま口を開いた。
「何がダメでございましょうか、殿下」
「ダメに決まってるわ!
危ないじゃない!」
「もちろん、この稼業に危険はつきものでございます。
旅暮らしともなれば辛いことも山ほどございましょう。
雨空の下、木の洞で震えて越す夜もあれば、寒風吹く中を空きっ腹抱えて歩く日もあります。
心無い者からの罵声や嘲笑を受けることだってあります。
それでも、人々の喜ぶ声を聴けば自身も喜びに満たされます。
喝采を浴びれば天にも昇る心地を味わえるでしょう。
なにより旅の自由はここにいては決して味わえぬ素晴らしきものにございますよ」
「ダメったらダメ!」
姫様は〈兎〉の言うことに耳を貸す気はさらさらなさそうだ。
その時、エディーが唇をギュッとかむのが俺の眼に入った。
仕方がない。少し助け舟を出してやろうか。
「殿下、まずはエディーの意見を聞いてみてはどうでしょう?」
「貴方は黙っていて!」
残念ながら、俺の小船は一撃で沈められてしまった。
「ここの子供たちは私のものよ。
確かに私がお腹を痛めて生んだわけではないけど、
それでも本当の子供のように大事に思ってる。
この子たちの事に口を挟まないでちょうだい」
姫様は思った以上に頑なだった。
何しろ言い出したらきかない人だからな。
これは諦めざるを得ないだろう。
と、俺はそう思ったが、〈兎〉はなおも口を開いた。
「もちろん、殿下のご慈愛の心を疑うつもりは私にも毛頭ございません。
もし殿下が、この子に立派な将来を考えておられるということであればそれに越したことはございません。
しかし、もしこの子をただ保護し続けることをお考えならば、
どうか、この子自身に道を選ぶ機会を与えてやってください。
人は、植物の様にはまいりませぬ。
ただただ与えられて生きるだけでは誇りを持つことができません。
誇りが無ければ、その魂はいずれ根から腐ってしまうことでしょう」
姫様の冬空色の目がスッと冷たくなった。
彼女は立ち上がって背筋を伸ばすと、〈兎〉の頭上から言葉をかけた。
「旅芸人のアルフよ。
あなた、自分が誰に向かって口をきいているのかわかっているのでしょうね?」
その声色は冷たく、峻厳だった。
しかし〈兎〉怯むことなく、むしろ斬ってくれと言わんばかりに頭を深く下げて首筋を晒して見せた。
「勿論にございます、殿下。
これは我が命を賭しての忠言にございます。
どうかお聞き届けいただきたく」
しばらくの間、沈黙が場を支配した。
マーサ婆さんや神官はもちろん、いつも騒がしい子供たちですら、物音一つ立てずに成り行きを見守っている。
やがて姫様がため息を一つついた。
「分かったわ。この子の意見も聞いてみましょう。
だけど、最低三日は待つこと。
熱に浮かされて決めるべきじゃないもの。
落ち着いて、じっくりと考える時間が必要よ」
「有難き幸せ」
〈兎〉はそう言うと、改めて姫様に深く頭を下げた。
「……空気がすっかり重たくなってしまったわね。
アルフ、なにか楽しくなる曲をやって」
「お任せあれ」
〈兎〉の指が弦を弾くと、テンポの速い楽し気な曲が流れ始めた。
併せて〈梟〉が軽快なステップを踏みながら歌い始める。
春の女王と間違えられた村娘が魔術師に追いかけまわされる滑稽な歌だった。
先程までの重苦しい雰囲気はどこへやら。
エディーや子供たちはもちろん、姫様まで笑い転げていた。
次いで子供たちが知っている曲を一緒に歌い、最後に一つ落ち着いた曲を〈兎〉自身が歌ってお開きになった。
それは、旅の詩人が冬空に向かって旅の苦労を嘆く歌だった。
が、その歌には不思議と希望が満ちていた。
*
帰り道、俺は〈兎〉に尋ねてみた。
「なあ、あの子供、そんなにいい声なのか?」
「ええ、もちろん。
あの子は間違いなく〈梟〉に匹敵する歌い手になりますとも」
応えながら〈兎〉が薄く笑った。
「何より、気配の消し方がうまい。
あれはよい隠密になれますよ」
これも〈兎〉の言う通りではあった。
こう見えても一応、姫様と一緒の時は護衛のつもりで周囲を警戒しているのだ。
なのに、部屋の隅でじっとしていたためとはいえ、俺は彼の存在をまったく探知できなかった。
姫様に至っては、子供の数が足りないことにすら気づいていなかった。
いなければならぬはずの者がいない、そんな異常が起きていることそのものに気づかせない。
そんな技を自然に身に付けたのならたいしたものである。
「姫様が怒るぞ」
「ヒヒヒ、そりゃあ怖い。
ですがね、お頭。あの子にだって決して後悔はさせませんよ。
私の培ってきた技の全てを伝授するんですからね」
俺は数歩後ろを黙って歩いている優男に聞こえぬよう、少し声を潜めて訊ねた。
「〈梟〉じゃダメなのか?」
「小声で言っても無駄ですよ。私ほどじゃないですが、あいつも耳がいい。
とは言えあいつは目明きです。目暗にしかできねえ技つうもんがあるんですよ。
それにね、本当にあの子のためでもあるんです。
あの子だって、姫様のお役に立ちたいに違いないでしょうからね。
姫様だって、役に立つ家来が増えりゃ嬉しいでしょう」
なるほど、誰も損はしないわけだな。
「だけど、まだ子供だぞ」
「今はね。でもいつまでも子供じゃいらませんや。
だったら早い方がいい。その方が早く技が身につきます。
どうです? いいことずくめでしょう?」
どうにも釈然としないが、しかし俺にはこれ以上反論は思いつかなかった。
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