第45話 ドラ息子

 トムとの再会の翌朝、また殿下からの使者に呼びつけられた。

 俺たちの任務について説明するから、殿下の天幕の前に急ぎ来るようにとのことである。


 〈犬〉と一緒に行ってみれば、強面の厳つい野郎どもが十人ばかり集められていた。

 どいつもこいつも、人殺しに何のためらいも覚えなさそうな顔つきをしている。

 まあ、よそから見れば間違いなく俺も同じ面をしているだろうから文句はない。


 天幕の前に置かれた大きな机の上に、一枚の地図が広げられていた。

 その机を挟んだ向こう側には騎士のダニエルがでんと構えている。

 どうやら、彼が俺たちに任務の内容を教えてくれるらしい。


「よし、全員揃ったな。

 これより、貴様たちに今回の任務を伝える」


 ダニエルがいつになく威嚇的な態度で口を開いた。

 普段はもっとこう、偉ぶらずに付き合いやすいお人なんだが、こんな荒くれどもを前にしては厳つい態度をとらざるを得ないんだろう。

 まったくご苦労なことだ。


「いいか、今回の遠征の目的はここ、メイン伯領の主都ウッツの奪還にある」


 そう言って彼は地図上の内陸の一点を指した。

 そこには大きな街らしき城壁が描かれている。

 そこから彼は北へと指を動かし、今度は海岸線上に描かれた港町を指す。


「そして我々の上陸地点はここ、カチュエだ。

 上陸と同時に国王陛下率いる軍主力は南下し、ウッツの包囲を目指す。

 対するパリシア軍は、東からは王軍が、南西からはアンディカ伯軍がそれぞれ救援を派遣してくるだろう。

 そこで、我々ウェストモント軍は南西方向に進軍し、アンディカ伯軍に対処する。

 諸君らは、ウェストモント軍主力に先行し、敵勢力の集結及び進軍の妨害に当たってもらう。

 橋を含む交通路の破壊、食糧収集の妨害等、手段は問わぬ。

 ここまでで何か質問はあるか?」


 すると、ひときわ人相の悪い傭兵がニヤニヤ笑いながら言った。


「もちろん、敵から奪ったモノは俺たちの懐に入れていいんでしょうな?」


 ダニエルが少しばかり顔をしかめながら頷く。


「……無論、それは諸君らの権利である。

 また、任務の遂行にあたって行われた行為について、諸君らが罪に問われることは一切ない。

 これは地上の法、神々の法、双方において保証される」


「へへへ、そう来なくっちゃ」


 それを聞いて傭兵たちは揃って獰猛な笑みを浮かべた。

 ここにいるのは略奪目当ての、戦士というよりは盗賊に近い素性の連中なのだろう。

 恐らく、傭兵としての雇賃よりもそちらが主な収入源というわけだ。


 それから、細かな進軍ルート、それぞれの隊が担当する範囲、敵味方を確認するための符牒や細々とした約束事――味方の支配域では略奪してはならない等――の説明を受け、解散となった。


「諸君らには本隊に先じて大陸に渡り、進軍を開始してもらうことになる。

 乗船は明日早朝。各自、野営地に戻り次第準備せよ。

 以上である。解散」


 何ともまあせわしないことだ。張ったばかりの天幕をもう畳まなきゃならんのか。

 周りはどうかと見まわしてみると、他の傭兵隊長はすぐにでも出発したそうにソワソワとしていた。


 その帰り道。


「これがお前が言っていた『盗賊にふさわしい戦い方』ってわけか」


 俺はあの場にいた傭兵隊長達の顔ぶれを思い出しながら〈犬〉にぼやいた。

 どいつもこいつも、ロバート親分を思い起こさせる面構えだった。


「まあ、そうすねないでくださいよ」


 〈犬〉が宥めるように言う。

 彼の表情から察するに、俺はずいぶんと不機嫌な声を出していたようだ。

 どうも、俺は自覚している以上に姫様の影響を受けていたらしい。

 俺はつまらない考えを振り払って、〈犬〉に尋ねた。


「一応、理由は聞いておきたいな」


「ありていに言って、カネです。

 殿下からの給与がありますから食うには困りませんが、

 武装集団を率いるからには食う分だけでは足りません。

 武器の手入れや防具の補修、矢の補充にと、とにかく金がかかります。

 姫様のお役に立とうと思えば、規模を拡大していく必要もあるでしょう。

 拠点だってもっと強化していきたいところです。

 まだまだ資金が必要です。

 今となっては無暗に金持ちを懲らしめるわけにもいきませんからね。

 稼ぎ時は逃せません」


 なるほど。

 〈犬〉の言うことはもっともだった。

 盗賊狩りなんかもしているが、奴らは大した金にならない。

 金を持っている奴らは盗賊なんてする必要がないのだから当然だ。

 俺たちの稼ぎどころは、もはや戦場をおいて他にないのだ。


「なにより、本隊の統制を離れて自由に行動することができます。

 うまくすれば、名のある騎士を捕虜にする機会を得られるかもしれません」


「名声なんぞ腹の足しにはならんだろ」


「それもありますが一番の目的は身代金ですよ。

 こいつは馬鹿にならない稼ぎになりますし、何より合法です」


 身代金なら王領にいた頃に何度かとったことがある。

 当然のことながらあれは非合法だった。

 だが、戦場でやる分には合法らしい。


「そううまくいくのか?」


「まあ、戦列に押し込まれて窮屈にしているよりは可能性があります。

 それに合戦場じゃ上の指揮官に手柄を横取りされますんでね。

 そういう意味でも、単独で行動できるメリットは大きいです」


「道理で傭兵隊長達が楽しそうにしていたわけだな」


「でもまあ、言うほど楽な仕事じゃございませんよ。

 先ほど顔を合わせた連中だって半分はもう顔を合わせることはないでしょう。

 ハイリスクハイリターンってやつです」


「……だろうな」


 本隊から遠く離れて敵地に侵入しようというのだ。

 俺達だってどうなるかは分からない。


 ま、他ならぬ〈犬〉の事だ。

 ちゃんと勝算があっての事だろうからあまり心配しなくていいだろう。


「戦のやり方は分からん。

 頼りにしてるぞ」


「へへ、お任せを」


「そう言えば」


 俺はふと思い出したことがあった。


「なんでしょう?」


「伯爵様が、息子のところに挨拶に行っておけとか言ってたよな?」


 なんでも、本隊の先陣は伯爵の息子殿が務めるとのことだった。

 何かあれば頼ることにもなるであろう相手だし、仲良くしておくに越したことはあるまい。


「ああ、そうでしたな」


 〈犬〉は伯爵と聞いて一瞬だけ複雑な表情を浮かべたが、すぐにいつもの飄々とした顔つきに戻った。


「それでしたら、今日の内に行っておかにゃあなりませんな。

 出発の準備もせにゃあなりませんので、私はそちらの指揮を執ります。

 ご子息殿への挨拶はお頭にお願いできますか」


「おう、任せとけ。早速行ってくらあ」


 そう言ってその場で〈犬〉と別れようとして、しかし引き止められてしまった。


「お待ちを。手土産の一つも持って行かなきゃ叱られますぜ」


 なるほど、そういうものなのか。



 一度野営地に戻る。

 手土産には、そこそこに高級な酒と姫様の好物である村の特上チーズが選ばれた。

 この高級な酒は、元はと言えば姫様のために用意されたものだった。

 戦についてくる気満々だった姫様は、俺たちの荷物にしれっと自分用の嗜好品を混ぜ込んでいたのだ。

 今は宙ぶらりんになってしまったこれらの品を有効活用するのである。


 それからトムを通じて伯爵様に仕える騎士に渡りをつけて貰った。

 面倒な話だが、こういう伝手を辿らなければ、偉い人には会えないんだそうである。

 トムの上官だというその騎士が親切にもつけてくれた案内の兵士の後を追い、ホースヤード伯の本陣を目指す。

 驚くべきことに本陣の周囲には空堀と柵が巡らされていた。

 何とも周到なことだが、まだ国内にいるうちからこんな備えをする必要があるのだろうか?


 俺は柵の内側に整然と並んだ天幕の一つの前に連れていかれた。

 案内についてくれた兵士が口上を述べる。


「ジェラルド様、ウェストモント公が配下、〈木こりのジャック〉と名乗る者が訪ねてまいりました。

 露払いを務める傭兵隊の一員として、先陣を務めるジェラルド様にお目通り願いたいと申しております」


 それを聞いて天幕の入口を守っていた老騎士が渋い顔をした。


「ジェラルド様は現在お取込み中であられる」


 ご子息殿は忙しいらしい。まあ、約束もなしに押し掛けたのはこちらであるから仕方がない。


「分かりました。それでは――」


 俺が出直そうと口を開いたところで天幕の内側から声がかかった。


「構わん、通せ」


 おや、どうやら会ってもらえるらしい。

 ところが喜んだのもつかの間、先ほどの老騎士は渋面をますます渋くして天幕の内に応えた。


「し、しかし若、今は……」


「構わないと言っているだろう。いいから連れて来い」


 中からの不機嫌な声を受けて、老騎士はため息をついた。

 それから、どういうわけかこちらに申し訳なさそうな視線を向けながら言った。


「主はお会いになると仰せである。

 どうぞこちらへ」


 そう言って、丁寧に入口の垂れ幕をめくってくれた。


「ありがとうございます」


 俺は老騎士に一礼し、垂れ幕をくぐる。

 天幕の奥には野営地に相応しからぬ大きな寝台が置かれていた。

 その寝台に、天幕の主が腰かけていた。

 俺とそう変わらない年の、見目の良い色男である。

 どういうわけか腰布を一枚巻きつけたきりの半裸の態である。

 なるほど、先の老騎士が渋っていたのはこれか。

 騎士身分ならぬ下郎にはこれでも構わないと、こいつは考えているのだろう。


 それ自体はよい。

 お貴族様なんてそんなものである。

 だが、寝台の奥をみて俺はいっぺんにこいつの事が嫌いになった。

 そこに居たのは全裸の女だ。よほど強く顔を殴られたのか、元の顔が分からないほど膨らんでしまっている。

 そんな女が、ぐったりと上を向いたままシクシクと泣いているのである。


 どうにかしてやりたいがどうにもならない。

 俺は黙って息子殿の前に膝をついた。


「よく来てくれた、ジャック。顔を上げろ。

 お前の噂は父から聞いているぞ。王領では随分と暴れまわったらしいじゃないか」


 息子殿は上機嫌で話しかけてきたが、俺としては後ろの女が気になってそれどころではない。

 彼はすぐに俺の視線に気づいたらしく、ニヤリと笑って言った。


「ああ、この女か。狩りの獲物だ。

 少しばかり生意気だったものでな、ちょうどいま躾けていたところさ。

 おい、たまってるんなら一発貸してやろうか?」


「いえ、結構です」


 狩りの獲物だって?

 いったいどこから連れてきやがったのか。


「ふん、そうか。そういや、お前さんは姫殿下の愛人だったか?

 それじゃあ、あまり羽目を外すわけにもいかないな」


 思わず斧を出しかけたが、すんでのところで思いとどまった。

 こちらに反応するかのように背後から殺気が飛んで来たからである。

 殺気の主は先ほどの老騎士であった。


 彼は俺に向けてガンガンに殺気を飛ばしながら、同時に主を諫めた。


「若、客人を侮辱するのは騎士にあるまじき振る舞いにございますぞ」


「うるさい、黙れ」


 息子殿がそう言ってぞんざいに舌打ちするのを見て、俺は悲鳴を上げそうになった。

 こんなおっかない爺さんになんて態度をとりやがるんだ。

 この冷え冷えとした殺気に気づいてすらいないのか、あるいは自分に向けられたものではないからと高をくくっているのか。

 どちらでも構わないが俺を巻き込まないでほしい。


「まったく、興が削がれた。

 おい、ジャックとやら。さっさと用件を言え」


「は、はい。

 この度、ジェラルド様が先陣をお務めになると聞き、一度ご挨拶をと……」


 そう言って俺は手土産の入った篭を差し出した。


「ああ、そうだった、それで父上に言われて来たんだったな」


 そう言いながら、彼は篭の中身を確認して顔をしかめた。


「酒はともかく、なんだこの貧乏くさいチーズは。

 もう少しましなモノを用意しろ」


 それは姫様の好物なんだぞ、とは口に出さないが、こいつを嫌いになる理由がまた一つ増えた。


「まったく老人の社交辞令を真に受けおって。俺は忙しいのだ」


 女を殴るのにそんなに時間が必要か?

 そんな皮肉を頭の隅に押しやり、代わって〈犬〉と師匠に叩き込まれた社交辞令を返す。


「申し訳ありません。下賤の出ゆえ、貴顕の方々のやりようには疎いのです」


「ならばこれでわかっただろう。

 さっさと出ていけ」


「は、それでは失礼いたします」


 俺は立ち上がって、息子殿に背を向けた。

 その直前にチラリと女に目をやったが、厚く腫れた瞼のせいで視線の先すら定かではなかった。

 天幕を出たところで、先ほどの老騎士が俺に詫びてきた。


「面目ござらん。若が大変なご無礼を……」


「いえ、大したことでは……」


 既に殺気はしまい込んだと見えて、先ほどのような威圧感は欠片もない。

 落ち着いてみれば、実直で穏やかそうな老人である。

 それが当人には非のないことで平民なんぞに頭を下げなければならないんだからかわいそうな話だ。


「若には私からよく話をしておく故、今後についてもどうかご心配はなさらぬよう」


「お気遣い、ありがとうございます」


 俺はもう一度礼をして、ホースヤード伯の野営地を出た。

 ともあれ、これで面倒事が一つ片付いた。

 明日には船に乗り、戦場へ渡るのだ。

 そうすりゃ、貴族様やらゴロツキやらがひしめくゴミゴミとした野営地とはおさらばである。


 幾分か足取りも軽く自分の野営地に戻ると、今度は困り果てた顔つきの〈犬〉が俺を出迎えてくれた。


「お頭、ちょうどいいところに。

 実はどうしても判断を仰ぎたいことがございまして……」


 その言葉に俺は眉を顰めた。

 我らが一党を実質的に動かしているのはこの〈犬〉なんである。

 その彼に判断できないことなんてまずありえない。

 つまりは、余程のトラブルということだ。


「なんだ」


「あちらに……」


 〈犬〉が視線で示した先には、修行中の神官であることを示す灰色のローブを羽織り、フードを目深に被った尼さんが二人。

 顔が見えないからはっきりとは分からないが、多分、一人は年寄りでもう一人は若い。

 神官の中には修行と称して軍隊の後ろをついて回る者達がいる。

 怪我人を治療し、あるいは死者を看取ることで徳が上がるのだという。

 基本的にはありがたい存在ではあるが――


「尼さんか。だが女だと少しばかり面倒だな。お引き取り願え」


「いえ、そうではなくてですね――」


 俺の声が耳に入ったのか年をとったほうの尼さんがこちらに顔を向けた。


 師匠だった。


「おや、隊長さん。お戻りになられたのですね」


 師匠が気持ちの悪い猫なで声を出しながら手招きする。

 師匠が一人でこんなところに来るわけがない。


 若い方の尼さんが、目深に被ったフードの端を少しだけ持ち上げた。

 そこから覗く冬の青空のような瞳を見て、俺はがっくりと膝を落とした。

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