第25話 殿下と木こり
私たちはリチャードおじ様の軍勢を見送った後、森へ取って返して出立の準備にかかった。
彼らが倉庫と呼んでいた穴倉から次々と持ちだされる物資の量に私は目を見張った。
麦の詰まった袋に、酒樽、干し肉、塩漬け肉、燻製肉、腸詰肉、チーズに布に銀貨に宝石、その他色々。
これだけあれば、何もせずともこの百人からなる集団を数か月は維持できるだろう。
あれだけ盛大に貧民たちに施しをしてもなおこれだというのだから驚くばかりだ。
この略奪品の山は彼らの「慈善活動」の活発さとともに、富める者がいかに多くの財産をため込んでいたかを物語る。
ここにあるのはそうして国中に貯めこまれている財のほんの一部に過ぎない。
この国全体を見ればどれ程の財貨が死蔵されているのだろうか?
そしてそれらが皆を豊かにするために使われていれば、今頃どれだけこの国が豊かになっていたことか。
なにより、と私は海の向こうに思いをはせた。
大陸での戦に費やされたあの膨大な銀貨と物資と人とがあれば、どれだけの人が救われたのだろうか?
私が物思いにふけっているわずかな間に、彼らはそれらの物資を手際よく荷車に積み、馬やロバ、そして牛の背に載せていく。
「まさか、脱出訓練とやらが本当に役に立つたあなあ」
「だからお頭を信じろって言っただろう。
あのお方が言う事にゃ間違いなんてないんだよ」
「お前だって訓練の時にゃブーたれてたろうが」
近くを通った森の兄弟たちがそんな言葉を交わしているのが耳に入った。
どうやら、彼らは私たちが来るよりずっと以前から拠点を捨てることになった場合を想定し、かつ備えていたらしい。
盗賊らしからぬことだ。
私はジャックという男の評価をまた一段上げた。
見かけは粗野だが、おそらく中身は違う。
あるいは。
私は、〈犬〉と呼ばれている男に視線を移す。
彼は森の兄弟たちに細かな指示を出し続けていた。
これも奇妙な男だった。
盗賊らしく振る舞っているが、生まれついての立ち居振る舞いというのはそうそう隠しきれるものではない。
時折見せる所作や言葉遣いからは、どこかできちんとした作法や武術を身に着けた人間の気配が感じられた。
察するに、元はどこかの領主に仕える騎士だったのではないか。
嘆かわしいことに、身を持ち崩して盗賊に身を落とす騎士はそう珍しくない。
ここの実務を取り仕切っているのがあの男なのは間違いなかった。
これだけの規模の集団を実際に維持しているのだから、有能なことに疑いはないだろう。
そのような男が、あの明らかに卑しい身分の出に違いないジャックを決して下に置かぬ扱いをしている。
少なくとも表面上は。
ジャックに言葉にしがたい魅力があるのは間違いないけれど、それだけだろうか?
なにか腹に一物を抱えていそうな気配もする。
だけどそれが何かは分からない。
本当にこの〈森の兄弟団〉は分からないことだらけだ。
しばらくして、ジャックが〈犬〉を従えて私のところにやってきた。
「殿下、出発の用意が整いました」
私は疑問を脇に置いて立ち上がり、背筋を伸ばす。
「ご苦労様。馬をここへ」
「はい」
〈犬〉が手近な兄弟に合図を送り、馬を曳いてこさせた。
私はそれにまたがると、号令を発した。
「それでは皆さん、出発しましょう。
目指すはウェストモント! 全隊、西へ!」
*
轡をとって、歩きながら私の話し相手をしていたジャックが、ゴツンと頭を殴られた。
凶器は固い杖。
下手人はマーサだ。
「言葉遣いがなっておりませぬ」
「しょうがないだ……あ~、仕方ないでしょう。わたくしは、元はといえば一介の木こりに過ぎないのですから」
すまし顔のマーサに、ジャックが不満げに抗議する。
正式に私の家臣になってからというもの、彼もできるだけ丁寧な言葉遣いを心がけてはくれている。
だけれど、少し気が緩むとついつい慣れた言葉遣いが飛び出してしまうらしい。
「学ぶ機会がなかったことを責めはいたしません。
しかしながら、今や貴方は殿下にお仕えする身なのですから、
早急に正しい言葉遣いと作法を身に着けて頂かねばなりません。
このままでは貴方自身が軽んじられるのみならず、殿下の評判をも傷つけることになってしまうのですよ」
心底から私に忠実なマーサは「そのようなことに耐えられないないでしょう?」とでも言いたげな顔だ。
ジャックはそんなマーサを理解できないといった目つきで見ている。
彼の表情はクルクルと変わるので見ていて飽きない。
表情を取り繕うという発想がないのだ。
多分、嘘をつくのも苦手だろう。
「すっかりマーサに気に入られたみたいね」
私がそう言うと、ジャックは眉間にしわを寄せてこちらを見上げた。
「これが?」
思わずそう口に出してしまった彼は、またマーサに杖で殴られた。
普段の彼女はこんな風に誰かを指導したりはしない。
彼女の前で無作法をしたところで普段であれば何も起きない。
よほど目に余る場合でもせいぜい一睨みされるだけだ。
もっとも、そんな風に睨まれた人はたいていの場合、二度と私の前に現れることはないけれど。
「このような時は『はい、光栄にございます』と言うのです。
主の言葉を否定してはなりません」
マーサの指導は続いている。
ジャックの表情を見れば、彼が考えていることは手に取るように分った。
大方、「こんなお婆さんに好かれてもなあ」とかそんなところだろう。
「いいのよ、マーサ。
そういうところも気に入ってるんだから」
「それは喜ばしいことにございます、姫様。
しかしながら、せめて人前ではさせぬようにせねばなりませんよ」
「分かってるわ。
だけど、今ぐらいいいじゃない」
宮廷にいた頃に比べて、ここでの会話のなんと気楽な事か!
あそこではわずかな失言も命取りになる。
誰もがとり澄ました笑顔の裏に本音を押し隠し、それでいて互いに腹の内を探り合っていた。
私にとっては、息の詰まる気持ちの悪い世界だった。
宮廷の人たちが皆、このジャックのようにあけすけに本音を晒していたら――まあ、それはそれで醜悪な欲望の坩堝と化していだろうから、あれでよかったのかもしれない。
私が黙り込んだからか、ジャックは会話の矛先を変更したらしかった。
「それにしても、マーサ様はどこでその身のこなしを学ばれたのですか?」
「修道院にございますよ、ジャック殿」
マーサはそう言ってニコリと笑う。
それを聞いてジャックがひどく驚いた顔をした。
「じゃあ、修道女の方々は皆マーサ様のようにお強いのですか!」
それを聞いて私は思わず吹き出してしまった。
「真に受けちゃだめよ。
マーサがいた修道院は、普通のところじゃないんだから」
「はい、おっしゃる通り修道女に武術を教える修道院はあまりございません。
ですが、姫様。
あそこは言うほど特別なところではございませんでしたよ。
私が教えを学んだのは北方宣教修道会といいましたが、
基本的な教えは他と変わりはありませんでしたから」
視界の端で黙々と歩いていた〈犬〉が、北方宣教修道会と聞いてビクリと身を震わせた。
マーサの言う北方宣教修道会は、何十年も前に解体された組織だ。
その名に反応するということは、古い世情にもある程度通じているか、あるいは武術についての知識があるということだ。
「元はと言えば、ここより北、寒海の入り組んだ入り江の奥に住まう人々に、我らが神の教えをもたらすことを目的に設立された善男善女の集いでございました。
旅というのはそれ自体が危険をはらむものではございますが、宣教のため神の威光の届かぬ地を回るとなればなおのこと。
そこで、私どもは神の教えと共に身を守るための術を学び研鑽していったのでございます。
しかし、あの聖堂も、修行を重ねた稽古場も今ではもう見ることは叶いません。
まことに惜しいことでございます」
ジャックはと言えば、マーサの嘘ではないが真実とも言えない説明を聞いてなるほどといった顔をしている。
これが普通の反応なのだ。
「あの、マーサ様……」
「何でございましょう?」
「その……例のえいっと投げるあの技、あれも稽古で身に着けたのですか?」
「左様にございます。
こう見えましても、昔の私は全く非力な乙女に過ぎなかったのですよ」
今でも見た目だけなら非力な老婆に見えるでしょうけど。
「ということは、その、自分のような者でも稽古をすればあれができるようになるんでしょうか?」
「もちろんですとも」
「私に、それを教えて頂くことはできますか?」
ジャックがそう口にした途端、マーサの眼がギラリと光った。
止めてあげた方がいいかしら?
北の荒海で鍛えられた北方宣教修道会の修業はとても過酷なことで知られていたらしい。
実際、過去にマーサの噂を聞きつけて手ほどきを受けに来た騎士たちは皆三日も持たずに逃げ出していた。
でも、まだいいか。本当の意味でマーサのお目に適うかは分からないんだし。
「教えることはできます。
しかし、何のためですか?」
マーサが努めて抑えた声でそう問いかける。
対するジャックは、少しだけ迷うような表情を浮かべた。
だけど、すぐに口元をキリッと引き締めると、真剣な目でまっすぐマーサを見つめ返した。
「そ、その……先の決闘で、自分の、力不足を感じまして……。
今のままでは殿下を、その、お守りすることができないのではないかと……」
決闘を止めようとする私を遮った、あの時と同じ目付きで彼は言った。
マーサの口元がニッと吊り上がる。
どうやらジャックの態度は彼女を満足させることができたらしい。
「良き心がけにございます。
少しばかり厳しい修行が必要になりますが、よろしいですか?」
「もちろんです。よろしくお願いします」
あーあ、やっちゃった。
とは言えあの真剣な顔を見た後では、軽い気持ちで止めに入るのも憚られた。
何よりも、ただ強くなりたいというだけでなく、私を守るためと言ってくれたのが少しだけ嬉しかった。
ジャックが、ふと視線を上げてこちらをみた。
そして私の顔つきを見てとったのか、「あれまずかったかな?」というような色を浮かべる。
残念。もう手遅れみたいよ?
「それでは、ウェストモントに到着しましたら早速稽古をいたしましょうか」
そう言うマーサの顔つきこそにこやかではあったけれど、その目には決して逃がさぬという強い意思が見て取れた。
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