第21話 降伏

「単純な話よ。私は貴方達を討伐しに来たの」


 討伐。その言葉が俺の胸の奥底まで重く響く。

 とうとう来るべきものが来たのだ。


「貴方達、やり過ぎたのよ。

 被害も、規模も、いかに国王陛下が寛大なお方でも、もはや捨て置くことはできないわ。

 そこで、王位継承順位第二位である私がその役目を仰せつかったってわけ」 


 なるほど。

 だが、明らかに異常な話だ。

 本気で討伐しようというなら、何もこんなところに王女様が一人でやってくる必要はない。

 黙って軍勢を送り込めばいい。

 もしかして、この女は一人で俺たちを殲滅できるぐらいに強いのだろうか?

 そうは見えなかった。

 華奢で、小柄で、まともに戦えるとは到底思えない。

 あの老侍女にしたって、強いことは強いだろうが、この森の中で俺たち全員を相手にできるほどではなかろう。


 俺は女の顔を窺おうとチラリと視線を上げた。

 女は不敵な表情でこちらを見下ろしている。

 目が合った。

 何か言ってやろうと口を開きかけたその時、背後から誰かが近づいてくる足音に気づいた。

 いったい誰かと振り返ると、拠点で留守番をしていたはずの〈犬〉がいた。

 なぜかは知らないが酷く慌てた顔をしている。こいつにしては珍しいことだ。

 〈犬〉は、俺や兄弟たちががなぜか揃って女の前にひれ伏している光景を見て一瞬だけ足を止めたが、すぐに気を取り直して俺の傍にやってきた。

 そしてこちらに耳を寄せて小声で言う。


「お頭、緊急の報告です」


「なんだ」


「こちらに軍勢が向かっています。

 規模は騎兵五十、歩兵二百」


 かなりの規模である。

 森の中でなら戦えなくもないが、大きな損害が出ることは必至だ。

 俺は一縷の望みをかけて〈犬〉に尋ねた。


「代官が兵を集めたのか?」


 代官の呼びかけに応じた、寄せ集めの軍勢であればよい。

 まとまりのない連中であればいくらでも手はある。

 しかし、〈犬〉はゆっくりと首を振った。


「いいえ、違います。

 先頭には『塔を崩すグリフィン』の紋章が掲げられていたとのこと。

 恐らくはローズポート伯の兵でしょう」


「誰だそれは」


「東にある大きな港町ローズポートとその周辺を支配する大貴族です。

 国王の腹心であると同時に、猛将としても知られています」


 俺たちがひそひそ話をしていると、自称王女様が割り込んできた。


「あら、リチャードおじ様がもう到着なされたのかしら?」


「……あんたの軍勢か」


「そうよ。

 ちなみに、貴方たちが見たのはその先遣隊ね。

 本隊が到着すれば、総勢は二千を超えるわ」


 流石に俺達でどうこうできる数ではない。

 どうする? 逃げるか?

 だが、逃げたところでどうなるっていうんだ。

 たかが盗賊相手に二千もの兵を動員する時点でもはや遊びではない。

 この森から逃げ出したところで、奴らはどこまでも追ってくるだろう。

 国内にはもうどこにも逃げ場はないといっていい。

 そしてなお悪いことにこの国ウェンランドは島国で、周囲を海に囲まれている。


 〈犬〉がいかにも盗賊らしい獰猛な目つきで自称王女様を睨みつけながら凄んだ。


「……おい、嬢ちゃん。あんたを人質にするって手もあるんだぜ」


 もちろん、あの〈犬〉ともあろう男がそんな手で状況を打開できるなんて本気で考えているはずがない。

 きっとこれは駆け引きの一種だ。

 相手をビビらせて、少しでもこの場を有利にしようという心づもりに違いない。


 しかし、対する王女様も余裕の態度を崩さない。


「あら、それも楽しそうね。

 猛り狂ったおじ様を見てみたいなら試してみるといいわ」


「随分とそのおじ様とやらを当てにしているみてえだがな、その軍勢がこの森の奥に達するまでにどれだけ時間がかかると思う?

 まして、俺たちを探し当てるのにどれだけかかるやら。

 おい、その間そこの婆さん一人で嬢ちゃんを守り切れると本気で思っているのか?」


「別に構わないわ。気に入らないなら殺せばいいじゃない。

 だけど、その場合あなた達だって楽には死ねないわよ。

 陛下は地の果てまでだってあなた達を追い詰めるわ」


「女にゃあ死ぬよりつらい目もあるんだってことを教えてやらあ。

 この森にゃあ百人からなる荒くれ者がいるんだ。

 こんだけ時間がありゃあ全員で三回ずつ楽しんだって――」


「もういい。やめろ」


 俺は立ち上がって〈犬〉を止めた。

 王女様がちっともビビる様子を見せないからだ。

 元より俺は気の長い方じゃない。

 効果もないのにつまらないやり取りに付き合い続けるのはもううんざりだった。


「おい、王女様。

 わざわざ危険を冒してまでで森の奥まで来たからには俺たちに用事があるんだろう?

 さっさと用件に入ってくれ」


 口調もいつも通りでいいだろう。もう態度を取り繕うのも面倒だ。

 侍女の婆さんが動きかけたが、王女様はさりげない仕草でそれを止めた。


「つまらない人ね」


 その言葉とは裏腹に、王女様の口元は少しだけ綻んでいた。


「まあいいわ。貴方の流儀に付き合ってあげる。

 私は降伏を勧告しに来たの。

 大人しく武器を捨てて私についてきなさい」


「降伏だあ?

 どうせ盗賊は縛り首だろうが。

 だったらダメ元、一戦交えた方がまだチャンスがあらあ」


「無罪放免にしてあげる、と言ったらどうかしら?」


 俺は耳を疑った。

 これだけやらかしてきた俺たちを無罪放免だって?

 そんなうまい話があるはずがない。

 そうでなくとも、盗賊なんて他にできることもない奴らの吹き溜まりだ。

 放免したところですぐに別なところでやらかすに決まってる。

 生かしておくメリットなんてありはしないのだ。


「そんなことを言って俺たちを騙すつもりだろう。

 武器を捨てたところで皆殺しか?

 そっちは仕事が楽になって嬉しいだろうな」


 俺は王女様に向けて腕を伸ばすと、その眼前で金の斧を出して見せた。

 この奇妙で美麗な装飾が施された斧は、その魔法の効果を知らずとも相手をビビらせるだけの迫力がある。

 それを突き付けながら告げる。


「交渉は終わりだ。

 たった二人でここまで来た度胸に免じて今日は見逃してやる。

 さっさと帰れ」


 だが、王女様は全てを切り裂く金の斧を目にしてもまるで臆する様子を見せない。

 それどころか、その不敵な笑みをますます深めた。


「あら、盗賊らしくないわね。

 私を『お楽しみ』しなくていいのかしら?」


「口が減らねえ奴だ。

 まだ条件があるならさっさと言えよ。

 つまらねえ駆け引きはなしだ」


「はいはい、分かったわよ。

 もちろんただで放免してあげるわけじゃない。

 盗賊をやめて私に仕えなさい。

 それが条件よ」


「仕えるって、要は家来になれってことか?」


「そうよ。私に忠誠を誓い、私の手足となって、私のために戦いなさい。

 その代わり、貴方たちを取り立てて正式な王家の兵士にしてあげる。

 ただの兵士じゃないわ。私を守る近衛兵よ」


 近衛兵、と聞いて、顔を伏せたまま聞き耳を立てていた兄弟たちが少しばかりざわついた。

 貴族ならざる身にとって、それは大変に立派で名誉ある地位だ。

 通常であれば戦場での武功はもちろん、平民ながらも信用のある古い家柄でなければその栄誉に与ることはかなわないという。

 まして盗賊風情が!

 もはや条件なんて呼べるものじゃない。あまりに破格すぎる。

 普通ならば。 

 俺にとっては違う。

 嘘をつけない呪いをかけられた俺にとって、忠誠を誓うってのは、文字通り生殺与奪の権を渡すに等しい。


 かといってこれを嘘と決めつけるのも早計だ。

 事実軍勢がこちらに迫っているのだし、むやみに蹴っていい話でもない。


 慎重に判断しなければならない。

 俺のことはさておいても、兄弟たちの命がかかっている。


「……何の冗談だ。話がうますぎる」


「疑ってるの?」


「当然だ」


 不意に、王女様の顔から先ほどのまでの不敵な笑みが引っ込んだ。


「笑わないで聞いてもらえるかしら?」


「お、おう……」


 その声がまたひどく真剣だったので俺は戸惑ってしまった。

 どうせ適当にはぐらかされるとばかり思っていたのだ。


「私は、今の世の中が正しいとは思っていないの。

 王は外での戦に明け暮れて、国のことはほったらかし。

 善良な人々は搾取され、王の不在をいいことにそこかしこで不正がはびこっている。

 弱い人が、ただ弱いというだけで踏みにじられるなんて間違ってるわ。

 私はこの国を変えたいと思っている」


 王女様はそこで言葉を区切ると、覗き込むような目つきで俺の眼を見つめてきた。

 その晴れた冬空色の瞳は吸い込ままれそうなほどに澄んでいた。


「だけど、私一人ではどんなに頑張ったって世の中を変えたりはできない。

 一緒に戦ってくれる人が必要なの。

 あなた達のような人が。

 弱い人たちのために戦う人が。

 志を同じくする仲間として、私に力を貸してくれないかしら?」


 なんてこった。この王女様はとんでもない勘違いをしているらしい。

 俺は別に、世のため人のためなんて大それたことは考えちゃいない。

 自分ではどうすることもできないまま、ただただ流されるままにこの場にいるに過ぎないのだ。


 だというのに、彼女の蒼い瞳には期待の色が宿っていた、

 寒空のような色をしているくせに、微かな熱を帯びているような気さえする。

 そんな視線にいたたまれなくなって、俺は目を逸らして兄弟たちを振り返った。

 するとどうしたことか、兄弟たちまでもが俺に期待を込めた視線を向けてきているではないか!


 なるほど、義賊の評判を聞きつけて一団に加わったような奴らならわかる。

 だが、この場にはロバート親分の頃から盗賊をやっていた奴もいるのだ。

 そんな古参盗賊ですら俺に熱のこもった目で俺を見ているのは一体どういうことか。


 どうやら、彼らですら俺のことを本気で正義の義賊であると信じているらしいことに気づいて、俺は慄然とした。

 嘘がつけないはずの俺が、どうしてこれだけの人間を騙しおおせているのか。

 何たる皮肉。まったく世の中は不可解である。


 でもまあ、たぶん〈犬〉のせいだろう。

 俺は余計なことを考えるのをやめ、目の前の問題に対処することにした。


「少し、考えさせてくれ」


 俺がそう告げたとたん、彼女の瞳が揺れる。


「もちろん構わないわ。じっくりと考えなさい」


 先程までと変わらない尊大な声ではあったが、目には明らかに不安の色が浮かんでいた。

 そのことで、俺はなぜか胸の奥にチクりと痛みを感じた。


 その奇妙な感情を脇に置いて俺は考えをまとめる。

 罠である可能性もある。

 だが、この話を蹴ったところでどうなる?

 どのみち、この盗賊団の行く末はどん詰まりだったのだ。

 ならばこの機に賭ける他はない。


 俺は〈犬〉に視線を送り確認をとる。

 彼は仕方がないとでも言いたげな顔で頷いた。


「よし、分かった。

 だが一つだけ約束してくれ」


「なにかしら?」


「配下につくのはいい。

 危険な仕事を押し付けられるのも仕方がねえ。

 だが、手下たちをむやみに磨り潰すような真似はしてくれるなよ。

 それだけは約束してほしい」


「もちろんよ。

 大事な家臣だもの。

 無駄死になんてさせないわ」


 それを聞いて俺は王女様の前に跪き、頭を下げた。

 〈犬〉が俺の半歩後ろにやってきてそれに倣う。


 ええっと、こういう時は何といえばいいんだっけ?


「この〈木こりのジャック〉、不肖の身なれどもヴェロニカ殿下のため、

 力を尽くさせていただきます」


 〈犬〉が小声で言うべき言葉を教えてくれたので、それを繰り返す。


「それではジャック、たった今からあなたは私の家臣よ。

 頭を上げなさい」


 言われて顔を上げれば、いつの間にやら王女様の顔が目の前にあった。


「そして、受け入れてくれて、ありがとう」


 彼女は満面の笑みを浮かべていた。

 それはあまりにも無防備で、つい先ほどまでこの場の空気を支配していた王女様と同一人物とは思えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る