第20話 王女

 季節は秋に差し掛かりつつあった。

 俺たち〈兄弟団〉の規模はますます拡大し、すでに百人を超えていた。

 そんなある日のことだった。


 その日は襲撃の予定もなく、俺たちは拠点でのんびりと過ごしていた。

 最も俺自身はのんびりとはいかなかった。

 近頃では、こういう空いた時間に〈犬〉から文字やら乗馬やらを教わるのがお決まりになっていたからだ。

 乗馬は分かる。馬に乗れれば移動距離は伸びるし逃走するにも便利だ。

 何より、馬に乗って駆けまわるのは楽しい。

 しかし、文字は解せなかった。盗賊にお勉強なんて必要ないように俺には思えた。


 だが〈犬〉が言うには、これは大変便利なものだから覚えていて損はないとのことだった。

 これが使えれば離れたところにいる仲間とも情報交換ができるし、奪った手紙や書類の類から情報を集めることも可能になるという。

 その上、字が書けるというだけで周囲から一目置かれるようになるのというのだから、なるほどいいことづくめだ。

 字を覚えるのが大変に退屈かつ苦痛であるという一点を除いて、だが。

 そうしたわけで俺はその日、文字の練習をさせられていた。

 〈犬〉の監視は厳しく、容易にさぼることはできない。

 こいつは盗賊なんかじゃなく、盗賊を取り締まる側にいるべき人間なんじゃないかと思うことがたまにある。


 そんな時、見回りに出ていた兄弟・・たちの一人が俺のところに報告にやってきた。


「お頭、あの、妙な女がお頭に会わせろって……」


「女だぁ? いったいなんの用だって?」


 近頃では、この森に堅気の衆が『お願い』をしにやってくるのは珍しいことではなくなっていた。

 もちろん女が来るなんてのはめったになかったが、それでも前例がないわけではない。

 

「それが俺たちが訊ねてもお頭に直接話すの一点張りで一向に喋ろうとしないんで」


「ふむ」


 俺は少しばかり思案した。

 以前に俺の女房になりたいとかいう女が押し掛けて来たことがあったのだ。

 顔立ちは悪くなかったが、なんだか非常に危険な気配を感じて丁重にお帰り願ったものだった。


 まあ、あんなのは後にも先にも一度きりだ。

 女一人がわざわざ危険を冒してまでこんな無法者の巣窟を訪ねてくるからには、何かよほど切羽詰まった事情があるに違いない。

 そんなご婦人を無碍に追い返しては義賊としての評判に傷がつく。

 正直、俺自身はそんなたいそうなものとは思っていないのだが、今となっては半ばその評判で食っているようなものなのだから仕方がない。

 まずは話を聞いてみることにした。


「よし分かった。話を聞くからいつもの場所に連れてこい。

 くれぐれも失礼のないようにな」


「へえ、わかりやした」


 その兄弟はそう答えると、勢いよく森の中へ駆け戻っていく。

 俺はその背を見送りながら〈犬〉に声をかけた。


「おい、そういうわけだから今日はここまでだ。

 後は頼むぞ」


「仕方ないですな」


 それから、俺は周囲で退屈そうにしていた兄弟たちに呼びかける。


「おい、面会に行くから何人かついてこい」


「へい! お頭!」


 俺は応えた兄弟たちと一緒に大急ぎで身支度を整えると、面会用の岩場へと向かった。



 面会用の岩場は、拠点とは少しばかり離れたところにある。

 そこは少しばかり木々の開けた広場で、中心には上面が平たく削られた円盤状の岩がドッシリと据えられている。

 周囲には奇妙な形の柱状の大岩がいくつも転がっていて、それらがまるで境界線のように森から広場を切り取っていた。


 わざわざ拠点から離れたこの場所で面会するのには理由が二つあった。

 第一には拠点の位置を隠すためである。

 見知らぬ連中を迂闊に案内すれば、代官やその他俺たちを目の敵にしている連中にたれこまれないとも限らないからだ。

 ちなみに、以前にウィルたちを拠点に連れ帰った時には〈犬〉にぐちぐちと小言を言われたものだった。

 

 もう一つは、この岩場の奇観を利用するためだ。

 こういう場所で面会してやると、森の外に住む人々は何か特別な人間と出会ったような気になるらしい。

 これは、ただの木こりに過ぎない俺を少しでも偉そうに見せるための〈犬〉の涙ぐましい努力の一つだった。

 何とも無駄なことにも思えたが、奴が言うにはこういう印象一つで人間の扱いというのは随分と変わるのだそうな。


 ともかく、俺はきっちりと身支度を整えてから、武装した兄弟たちを従えて広場の真ん中の円盤の上に腰を据えた。

 丁度頃合いよく太陽が真上まで登ってきており、丸くあいた空から暖かな日差しが円盤に差し込んでいる。


 程なくして先程の兄弟が女を連れて広場にやってきた。

 なるほど「奇妙な」女である。


 真っ先に目を引いたのはその美貌だ。

 年の頃は十五、六と言ったところだろうか。

 よく整った端正な輪郭の真ん中に、つんと澄ました非の打ちどころない可愛らしい鼻。

 その下には淡いピンクの唇がキリッと引き結ばれている。

 瞳は青く澄んでいて、冬の冷たい青空を思わせた。

 怜悧な眼差しは寒風のように鋭く、その年頃に見合わぬ風格を醸し出していた。


 その肌は透き通るほどに白く体つきも華奢ではあったが、それでいて血色がいいせいか不健康な印象はない。

 服はと言えば、装飾こそ少ないものの質の良い布がふんだんに使われている。

 腰の曲がった老侍女を従えているところからして恐らくは貴族だろう。


 それがこんな森の奥、それも盗賊に会いに来たというのに護衛の一人もつけないというのはどういうわけか。

 女は俺のすぐ目の前に来ると、にこりと笑う。

 それから、鈴が転がるような可愛らしい声で傲然と言い放った。


「そこを退きなさい」


 それを聞いた兄弟の一人が女に食って掛かる。


「なんだと、このアマ!

 たとえお貴族様だろうがこの森の中では――」


 そう言いながらお姫様に手を伸ばした瞬間、そいつは広場の入り口まで吹っ飛ばされた。

 腰の曲がった老婆の仕業である。

 外見からは想像もできない恐るべき身のこなしだった。

 なるほど、ちゃんと十分な護衛を連れてはいたらしい。


 俺は素早く思考を切り替えると、岩から立ち上がり女に場所を譲った。


「これは失礼いたしました。

 か弱きご婦人をいつまでも立たせておくなどあってはならぬこと。

 どうぞこちらにおかけください」


 力に屈したのではなく、女性に対して親切に振舞ったという態である。


 ここのところ場数を踏んだおかげか、以前よりも相手の強弱が分かるようになっていた。

 ここにいる面子ではあの婆さんに勝つのは難しいだろう。

 だったら恥の上塗りなどするべきではない。


「あら、ありがとう。親切なお方」


 お姫様はさっきまで俺が座っていた岩に腰掛けると、眼前に跪く俺を見下ろしながら満足げに言った。

 ありがとうも何も、お前が命令したんだろうと突っ込みたくなったが内心に抑えておく。

 相手はわざわざこちらの下手くそな芝居に付き合ってくれたのだ。

 下手に出ている限りは、一応こちらの顔も立ててはくれるらしい。


 彼女はこちらを見下ろしながら改めて笑みを浮かべた。


「貴方が〈木こりのジャック〉で間違いないわね?」


 さて、どう答えたものか。

 もちろん、嘘は言えない。

 俺に選べるのはどういう態度で応じるかだけだ。


「……いかにも私が〈木こりのジャック〉にございます」


 まあ、力による格付けは済んでしまっているのだから、このように振る舞う他はないのだが。


「ふーん、〈木こり〉だなんて名乗っているからどんな粗野な男かと思ったけれど、ちゃんと礼節はわきまえているのね」


 ちなみに、この手の言葉遣いは文字と同様〈犬〉に叩きこまれた。

 近頃ではお貴族様をとっ捕まえて身代金をとる機会も出て来たためだ。

 貴族というのも案外単純な連中で、こちらがしかるべき礼を示せば無駄な抵抗などせず、大人しく指示に従ってくれることが多かった。

 話の通じる相手だと信じさせるのが身代金交渉のコツだ、とは〈犬〉の弁である。


「お褒めに与り光栄であります。

 しかるに、貴女の……、えっと、ご、ごそ……」


 だが所詮は付け焼刃である。

 こうして言葉に詰まってしまうことも度々であった。


「ご尊名、かしら?」


「そうです、それです。

 貴女のご尊名をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 これは失態であったが、どうやらそれがかえってお姫様のお気に召したらしい。

 彼女はクスリと笑ってこちらへの態度を少しばかり軟化させた。

 ように見える。多分。


 背後に控えていた老侍女が音もなく前に出てきた。

 そして曲がっていた背筋を伸ばし、すうっと息を吸い込む。


「控えおろう! ここにいるお方をどなたと心得る!」


 予想外の大音声に、老侍女の一番近くにいた兄弟がひゃあと間抜けな声を上げた。

 それから侍女は周囲でぼんやりと立ち尽くしていた兄弟たちをぐるりと睨め回すと、再度怒鳴り声をあげた。


「頭が高い! 皆、こぞってこのお方の御前にいでよ!

 そして跪け! 頭を垂れよ! 不敬の罪に問われたくなければ急ぐがよい!」


 そのあまりの迫力に兄弟たちは飛び上がり、俺の背後に駆け込んで跪いた。

 この場にいた全員が頭を下げたのを確認すると、老侍女は厳かに女の名を告げた。


「こちらにおわすお方は先王ロベールの娘、ヴェロニカ殿下にあらせられる」


「王族だあ!?」


 思わす俺は顔を上げて女の顔を凝視した。

 さすがに冗談が過ぎると思ったのだが、老侍女の言葉を否定する要素はひとつも見つからなかった。

 堂々とした立ち居振る舞いといい、なるほど王族とはこういうものかと思わせるだけの風格がある。

 が、次の瞬間老侍女が手にしていた杖で俺は頭を打ち据えられた。


「不敬ぞ! 頭を垂れよ!」


「へ、へえ!」


 俺は慌てて頭を下げた。


「ご、御拝謁に与かり誠にきょ、きょ、えっと……」


「恐悦至極」


 老侍女が教えてくれた。


「そ、そうだ、恐悦至極にございます。

 それで、その、王女殿下におかれましては、我々に何のご用でしょうか?」


 それに応えて、自称お姫様ことヴェロニカ殿下は不敵な笑みを浮かべて堂々と言い放つ。


「単純な話よ。私は貴方達を討伐しに来たの」

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