第51話 歓迎の支度

 〈犬〉が合流地点にやってきたのは、その翌日のさらに明け方になってからであった。


「お頭、なんですかこりゃあ」


 彼は開口一番、森の中に立ち込める煙に顔をしかめながら言った。


「これか?

 師匠に教わった煙の上がらない炉だ。

 すごいだろう」


 俺は〈犬〉に答えながら、煙の吹き出し口を指した。

 そこからはもくもくと煙が噴き出し続けていたが、普通のそれとは違い高く上がることなく霧のように木々の間に漂っている。

 高く上がらないのはいいのだが、風が吹かなければこのように周囲に濃く立ち込めてしまうのが欠点と言えば欠点だった。


「いや、確かに森の奥に来るまで煙にゃ気づきませんでしたが……こりゃ驚いたなあ」


 〈犬〉があんまり素直に驚くので俺は嬉しくなってしまった。


「ふふん、まあ作るのにはちょっと労力がいるんだけどな」


「あとで作り方を教えて下せえ。

 こんだけ濃い煙が出るなら、目くらましなんかにも使えるかもしれませんな」


 なるほど、さすがは〈犬〉だ。目の付け所が違う。

 食べ物の事しか考えなかった俺とは大違いだ。


「何はともあれ腹が減ったろう。

 お前らのために熱いスープも用意しておいたんだ。

 まずはこいつを腹に収めて体を休めろ」


 俺は手近な兄弟に頼んで大きなお椀にたっぷりのスープを注がせると、それを〈犬〉に差し出した。

 ちなみにスープの具はウィルたちが仕留めて来た鹿である。


「はい……それにしても敵地のど真ん中でまさか熱い飯が食えるとは……本当に有難てえ……」


 〈犬〉は湯気の立つスープをうまそうに一口啜ってそう言うと、後は口もきかずにがつがつとかきこんでいく。

 残りの兄弟たちにもどんどんとスープを配らせる。

 みな温かい食い物には飢えていたと見え、うまいうまいと言いながらスープを飲みほした。

 その数は分かれる前に比べるといくらか少ない。


 食事がひと段落するのを待って、俺は〈犬〉に尋ねた。


「そっちは大変だったみたいだな。

 いったい何人やられたんだ?」


「……十人です。

 ジミー、トレバー、毛むくじゃらのショーン、グレッグ、大きい方のジョン――」


 〈犬〉が倒れた仲間の名を次々とあげていく。〈獣〉の名はない。

 倒れたのはいずれも比較的後の方に仲間に加わった経験の浅い者たちだ。


「聞いてたよりも多いな」


「はい、最初の失敗のお陰で厄介な奴らに絡まれちまいました。

 合流が遅れたのも、そいつらを撒くのに手間取ったせいでして」


「なんだ、厄介な奴らって」


「騎馬傭兵です。

 アンディカ伯が俺達みたいな連中を狩るために雇った兵隊どもです。

 騎士ってわけではないんですが、馬に乗っているから足が速い。

 追跡にも慣れている。

 装備だって普通の傭兵と比べりゃずっといい。

 かなりしつこい奴らでして、何度振り切っても食い下がってきます。

 今も、俺たちの臭いを嗅ぎまわってることでしょう。

 いずれ追いついてくるはずです」


「数は」


「遠目に見た感じでは、五十騎ばかり。

 弩持ちが十人は混ざってます。

 それから騎士崩れも五人程。

 こいつらは鎧を着込んで武芸も達者ですから、戦闘となれば非常に厄介です」


 さてどうしたものか。

 こちらの数は合わせて七十人。

 数で押し切れるほどの差はない。

 というか、馬鹿正直に殴り合えば間違いなくこちらの負けだ。


 幸い、味方の先鋒もそう遠くないところまで来ているはずだ。

 尻尾を撒いて全力で逃げにかかれば、捕捉される前に友軍と合流することも可能だろう。

 だがその場合、あのホースヤード伯のドラ息子に助けを求める形になるかもしれない。


「……面白くねえな」


 俺の呟きに、〈犬〉が獰猛な笑みを浮かべて応じる。


「やりますか」


「ああ、仲間の仇をとってやらないとな。

 なにより、姫様の目的を考えればもう一手柄は欲しいところだ」


 姫様は名声を欲している。

 そしてそれは俺たちが手柄を上げれば上げただけ多く手に入る。


「如何にも。

 小勢をちまちま狩っただけじゃあ、ケチをつける奴らも出てくるでしょう。

 ですが格上相手の華々しい勝利があれば、誰も文句は言えますまい。

 騎馬傭兵とくればうってつけです」


「できるか?」


「任せてください」


「よし、一応姫様にもお伺いを立てるぞ」


「はい」


 〈犬〉と二人連れ立って姫様の所へ向かう。

 姫様はいつも通り捕虜の看病をしていたので、一応話が聞こえないところまで連れ出した。

 話のあらましを聞いて姫様は言った。


「別に、無理はしなくてもいいのよ?」


 その声はどことなく不安そうである。

 〈犬〉が応じて言う。


「確かに戦えば損害が出るでしょう。

 しかし、しっかりと準備をしてさえおけばおそらく勝てます。

 それに、相手は騎馬兵です。

 全力で逃げたところで捉まっちまう可能性が高い。

 その場合、不利な地形で何の準備もなしに戦う羽目になるでしょう。

 そうなればもう勝ち目は完全にありません」


「……勝てるならいいわ。

 戦のやり方にまでは口を出しません。

 存分に戦いなさい」


「はっ!」


 姫様の御前を辞し、早速戦の準備に取り掛かる。

 まずは兄弟たちを休ませて、〈犬〉と一緒に周囲の地形の確認を行う。

 歩きながら〈犬〉に訊ねる。


「お前は休まなくて大丈夫なのか?」


「正直つらいところではありますが、まあ多少の無理はききます。

 ま、後で皆が働いている間にでも休ませてもらいますよ」


 なるほど。


「基本の戦い方はいつもと変わりません。

 森の中に引きこんで、囲んで叩きます」


「乗ってくるか?」


「おそらくは。

 さもなきゃわざわざ追ってこないでしょう。

 お頭と合流したと気付かれてりゃ話は別ですが。

 ま、乗ってこなかったら来なかったで、そのままここに潜んでりゃいいんです」


「ふむ」


 しばらく歩き回った末に、枯れ沢の先に見つけた窪地を待ち伏せ地点とした。

 そこは枯れ沢側が開いたC字型になっており、ここに誘い込めれば窪地を囲む三方の斜面から優位に射ち降ろすことができる。

 また、囮部隊も枯れ沢に沿って移動すればいいため、慣れない森の中でも迷うことなく敵を誘引可能だ。


「そんじゃあ、準備といきましょうか」


 〈犬〉の指図で、兄弟たちが働き始めた。

 まずは斜面の藪や灌木の小枝を払って視界を確保。

 大きな枝は葉のみ払ってそのまま障害物にする。

 それから開けた個所には斜面に杭を打ち、先ほどの残した枝や灌木との間に縄を膝から腰の高さで張り巡らせた。

 こうすることで敵が斜面を登るのに手間取り、その間こちらが一方的に矢を射ち込むことができるようになる。


 もちろん、囮部隊が逃げられるよう隙間も作っておくのは忘れない。


 さらに今回は〈犬〉の提案でもう一工夫凝らすことにした。


「さっき見せて貰った、煙の上がらない炉があったでしょう。

 あれを窪地の底に作って煙を溜めておけば、誘い込まれた敵は状況の把握がしづらくなります。

 弩持ちの兵と射ち合いになってもより優勢に戦いを進められるはずです」


 なんと悪辣な事か!


「相変わらずひでえことばっか考えるな」


「俺たちゃ騎士様とは違いますんでね。

 命のためならなんだってやりますよ。

 お頭はどうです?

 なんかいい考えでもありませんか」


 考えるのは苦手なんだよなあ。


「うーん……そうだなあ……

 落とし穴でもついでに掘ったらどうだ?」


「ああ、それはなかなか良い考えで。

 あの煙を出す溝を深めに掘れば、そのまんま落とし穴にもなるかもしれませんぜ」


「あとはそうだな、炉にくべる木を生木にすれば、目が痛くなるような煙がたくさん出るかもしれない」


「流石お頭! 悪の天才ですな!」


 俺は〈犬〉に煽てられてスッカリ嬉しくなってしまった。

 こんな悪戯じみたものでいいならいくらでも出てくる。

 なにしろ、村一番のいたずら小僧と呼ばれていたこの俺だ。


「それから、この間集めた薬草も火にくべようぜ」


「何が起きるんです?」


「あれは本当に酷い臭いがするんだ。

 なによりあの薬草は――」


 子供の頃を思い出しながら、俺は次々とアイディアを披露した。

 いが栗、刺付き振り子、滑り泥、蛇団子――

 〈犬〉はしばらく黙って聞いてくれていたが、やがてあきれた様子で俺の口を遮った。


「もうわかりました、お頭。

 しかし全部は準備できません。できる範囲にしましょうや」


「ん、まあそうだな」


 蛇団子なんて蛇を集めるのに数日かかったもんな。

 その上、大した効果があるとも思えない。


「とりあえず、斜面の藪払いからですかね。

 次いで杭打ちと縄。

 それから炉を作って――」


 〈犬〉がどんどんと作業計画を組み立てていく。

 まったく頼りになる男だ。

 皆の努力もあって、翌日までにはすっかり歓迎の支度が整った。

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