第50話 薬草
「こりゃあ無理ですね」
森の縁から街道を眺めながらウィルがぼやいた。
視線の先にいるのは敵の徴発隊の荷車と、その護衛の行列である。
俺たちが襲撃を成功させるたびに護衛の数が増やされてはいたのだが、今日はまたドドンと増えてその数は百人に届こうかという勢いである。
その上、馬に乗った騎士が複数ついている。
恐らく、複数の徴発隊を一つにまとめて護衛の数を増やしているのだろう。
「だな、数が多すぎる。今日は見送るぞ」
「へい」
奇襲に成功して敵を潰走させることができたとしても、あれだけ数が多くては到底殺しきれない。
生き残りが俺たちの位置を知らせれば、すぐにガチガチの戦闘部隊が送り込まれてくるに違いない。
そうなればもうお終いである。
いつまでも顔をだしていて見つかってしまっては元も子もない。
俺たちは最低限の見張りだけ残して森に引っ込むことにした。
「あら、随分早く戻ってきたわね」
ゾロゾロと戻ってきた俺たちを見て、姫様が声をかけをかけて来た。
「敵が多すぎた。手が出せねえ」
「そう。それは賢明な判断ね」
姫様は血の付いた麻布を揉み洗いしながら言った。
最初の襲撃で捕虜にした騎士に巻いていたものである。
清潔な布できちんと覆うのが傷を早く治す秘訣であるというのが師匠の主張だった。
「それより、騎士様の容態はどうだ?」
俺は少しばかリ離れたところに寝転んでいる騎士殿に目をやりながら訊ねた。
騎士殿が苦し気に呻く。
彼は捕虜になって以降、ずっとこんな感じである。
逃げ出される心配がないのは楽でいいが、おかげでまだ彼の名前も聞けていない。
「あまりよくないわね。
だいぶ熱も出てきているわ。
痛みのせいかあまりよく眠れてないみたい。
そのせいで体力が落ちてるんじゃないかって」
「ふーむ……」
意識の有無と睡眠はまた別問題ということらしい。
ともあれ、これはよくない状況だ。
身なりのいい騎士だったから、それなりの身代金がもらえるのではないかと期待していたのだ。
死なれてはそれもフイになってしまう。
「ま、今日は少し余裕ができたからな。
あとで痛み止めの薬草でも探してみようか」
「貴方、薬草の事なんてわかるの?」
姫様は半信半疑の様子である。
「大丈夫、森婆仕込みだ」
「森婆って、あなたの故郷の森にいた魔女だったかしら?」
「そうそう。まあ任せておいてくれよ。
そうでなくても森暮らしは長いんだから」
ハンス爺さんがまだ生きていた頃は、時折森婆に呼び出されては薬草探しを手伝ったものだった。
おかげで、その手の知識は人並み以上にある。
姫様はまだ疑わしそうな目で俺を見ているが、まあいいだろう。
俺は敵の行列が十分に遠ざかるのを待ってから薬草を探しに行くことにした。
*
痛み止めの草はすぐに見つかった。
日当たりのいい場所によく生えるので、生えてさえいれば見つけるのはさほど難しくはない。
茎の部分はいらないので、ひとまず葉っぱだけむしって持ち帰り、師匠に渡した。
「さすがはジャック殿です。
ところで、この薬草はどう使えばよいのでしょうか?」
師匠にそう尋ねられて、俺は首をひねった。
森婆に頼まれて薬草を集めることはたびたびあったものの、その使い方まではさっぱりだったからだ。
「師匠はご存じありませんか」
「ええ、残念ながら」
これは困った。てっきり師匠なら知っているとばかり思っていたのだ。
「ねえ、森婆って人はこの草をどうしてたの?」
姫様に問われて俺は必死に記憶を探る。
「たしか、まずは家ん中に吊るして乾かしてたな……」
「今から乾燥させたんじゃちょっと時間がかかるわね」
「とりあえず、そのまま磨り潰して飲ませておけばいいんじゃないか?」
「う~ん……それって大丈夫なの?」
「やらないよりはましだろう」
どうせ死ぬならイチかバチかだ。
そうした訳で、俺達はさっそく草をすり潰し、それを水で溶いて騎士の口に流し込んだ。
潰した薬草から立ち上る独特の香気に姫様が顔をしかめる。
騎士はしばらくの間苦しそうに顔を歪ませていたが、しばらくするとその顔つきもとろんと緩んでいき、やがてスウスウと安らかな寝息を立て始めた。
「……効いたわね」
「そうみたいだな」
これでこいつも持ち直してくれればいいんだが。
師匠が俺に訊ねてきた。
「見事な効果にございますね。
ジャック殿、この薬草はまだ手に入るでしょうか?」
「はい、まとまって生えてたからいくらでも。
しかし、森の縁の方に生えておりますので、
多くを採るにはもう少し暗くなってからにした方がいいでしょう」
「それでは、撤収の直前にでも皆様で集めて頂けますと助かります」
「分かりました」
幸いにも今のところ兄弟たちに大きな怪我をした者はいない。
しかし、今後もずっとそれが続くとは限らないのだ。
そう考えれば、薬草のストックは俺たちにとっても必要なモノだろう。
*
翌日も、敵は俺達には到底手が出せない規模でやってきた。
「ダメだな。今日も見送るぞ」
「へい」
そう答えた〈狐〉の腹がぐうと鳴った。
「へへ、これはお恥ずかしい」
〈狐〉はそう言って照れるように笑ったが、実のところそう笑ってばかりもいられないんである。
なにしろ、先日も襲撃を見送ったのは先に述べた通り。
その上、その前の日も、そのさらに前の日も待ち伏せが空振りに終わっている。
つまり、俺達はここ四日間ほど食料の補給に失敗しているのだ。
荷車を使えない俺達が携行できる食料は馬の背に乗せる分を合わせてもあまり多くない。
節約してもあと三日といったところだろう。
俺は隊の主だった連中を集め、〈犬〉と合流する旨を告げた。
「異議はありません」
とウィル。
「食料が心もとないですぜ。
今から合流地点に向かったとして、〈犬〉の兄貴を待ってる間に食料が尽きちまいます。
せめてもう一度ぐらいは襲撃を……」
と、これはエルマー。
それに対し、〈狐〉が唸るように応じる。
「今後は護衛が増えることはあっても、減るこたあねえ。
どうやったって徴発隊への襲撃は無理だろう。
だが、兄貴の隊と合流できりゃまだ見込みがある」
「それまで食料が持たねえって話をしてるんだろうが」
これについてはどちらの言うことももっともである。
撤退の決断が遅れた俺が全面的に悪いのだ。
だが、そんなことを言っても始まらない。
エルマーと〈狐〉の言い争いが続く。
「だからってお前、あの護衛隊に突っ込むつもりか?
できるわけねえだろうが。ちったあ物事を考えてから言いやがれ、この馬鹿」
「なんだとう! 馬鹿はお前だ、食い物足りねえんだから襲うしかなかろうが!」
この二人、普段はどちらかと言えば仲のいい方なんである。
やはり腹が減って気が立っているのだろう。
「二人ともよさねえか。
喧嘩したって余計腹が減るだけだ」
「そりゃそうですけどよう……」
俺が二人の間に割って入ったので、エルマーが不満げに口を尖らせた。
〈狐〉はといえば、気を静めるためか腰に吊るした皮袋を口に押しあててゴクリと喉を鳴らす。
それから、それをエルマーにも押し付けて飲むように促した。
エルマーも渋々と言った様子でそれを受けとり、同じように口に当てた。
そんなやり取りを黙って見守っていたウィルが、ボソリと呟く。
「そこら辺の村を襲うわけにはいきませんか」
途端にエルマーが咽た。
その正面にいた<狐>は水しぶきを浴びて心底嫌そうに顔をしかめている。
「ダメだ」
俺は即座に却下した。
「姫様に約束しちまった。知っての通り俺にとって約束は絶対だ。
だから許可できない」
ウィルが続けて提案する。
「だったら、対価を払えばいいでしょう。
幸い、死体から剥いだ小銭の類ならたっぷりあります。
足元は見られるでしょうが、数日分の食料なら調達可能かと」
これは検討に値する案だ。
しかし問題がないわけじゃない。
この辺りの村は既に徴発隊に搾り上げられた後か、これから搾り上げられるところだ。
俺達に渡せるような余分な食糧があるかどうか。
対価を払うとは言っても、限りなく脅迫に近いやり方にならざるを得ない。
なによりも、だ。
「その場合、俺達の存在を住民に通報される可能性がある。
出来るだけやりたかないが、最後の手段として検討はしておこう」
「わかりました」
ウィルはそう言うと、エルマーの手から皮袋をひったくり、中身を飲み干してから〈狐〉に返した。
「ひとまず、合流地点まで後退する」
〈犬〉とは、こういう場合に備えていくつかの合流地点を事前に示し合わせてある。
「へい」
「〈犬〉に伝令を送るぞ。
〈狐〉は〈獣〉連中から気の利いたやつを選べ。二人ずつで二組。併せて四人だ」
「分かりやした」
こうして俺達はこれ以上の襲撃を切り上げて、合流地点へと移動を開始した。
その翌日、〈犬〉から送られてきた伝令がこちらに合流してきた。
こちらの伝令はまだあちらにはついていないはずだから、恐らくは行き違いになってしまったのだろう。
彼が言うには、既に〈犬〉の方も合流地点への移動を開始しているとのことだった。
「へえ、ここのところ護衛が増えてきたんで、そろそろ潮時かなあなんて話をしてたんですがね。
その日は弓組の一人がしくじりやがって、不意打ちに失敗しちまいまったんですよ。
どうにか敵兵どもは追い散らしたものの、何人もやられた上に騎兵を取り逃がしちまって……。
それでいつ増援が来るかもしれねえ、もうこれ以上は無理だってんですぐに移動することになったんです」
どうやら〈犬〉の方では損害が出たらしい。
「で、いったい何人やられたんだ?」
「五人です。
なにしろ慌しかったもんで、埋めてやることもできませんでした……」
なるほど。致命的と言えるほどの損害があったわけではないようだ。
俺はひとまずほっと一息ついた。
もっとも、これも数日前の情報なので、現状までは分からないのだが。
「そうか……なるべく早く合流したいが……」
俺がそう漏らすと、一緒に伝令の話を聞いていた〈狐〉に窘められた。
「焦っても仕方ありませんぜ。
それでこっちまで敵の巡回に見つかっちまったら元も子もねえです。
ま、〈犬〉の兄貴なら大丈夫ですって」
「……まあ、そうだな」
〈狐〉の言うとおりである。
あいつは俺よりもずっと老獪な盗賊なんである。
きっとうまいこと切り抜けてくるだろう。
*
翌日、俺達は無事に合流地点に到着した。
街道からはだいぶ外れた、森に囲まれた小高い丘が目印だった。
目のいい者を丘の上に配置して周囲を警戒しつつ、丘の麓にキャンプを張る。
残念ながら、〈犬〉の隊はまだ到着していなかった。
彼らは街道を挟んだ反対側で活動していたから、到着に時間がかかるのも道理である。
とは言え、先の伝令の報告は既に知れ渡っていたこともあって、皆の表情は暗い。
おまけに急ぎの移動でくたびれているし、食料を切り詰めているから腹も減っている。
その上、その切り詰めた食料も残り少ないときた。
かといって、この湿っぽい空気を放っておくのはどうもよくない。
俺はすくと立ち上がって、へばりこんでいる皆を見回した。
そして、注目が集まるのを待ってから口を開いた。
「よーしお前ら! 腹を空かせているところを悪いが、もう一働きしてもらうぞ」
一働きと聞いて、皆の視線が一層疲れたものに変わった。
「ちょっときつい作業になるが、まあ聞いてくれ。
俺は〈犬〉の奴をぜひともびっくりさせてやりたいんだ」
「あの兄貴がそう簡単に驚きますかね」
〈狐〉が話に乗ってきてくれた。
「たいていの事なら驚かんだろうさ。
だが、煙も立てずに熱いスープが飲めるとなったらどうだろうな?」
熱いスープと聞いて、疲れ果てていた一同が少しばかり色めき立つ。
「わはは、あれを見ればさすがの兄貴も驚くでしょうなあ」
〈狐〉がわざとらしく笑い声をあげた。
その周囲の奴らがつられて愛想笑いをする。
それがさらに周囲に伝播して、場の空気が微かに明るくなった。
「よし、話は決まりだな。それからウィル」
「へい」
「スープに入れる具が欲しい。
弓組を連れて狩りに出ろ。森からは出るなよ」
火があれば狩りの獲物を調理できるんである。
ウィルはニヤリと笑って応じた。
「お任せを。びっくりするぐらい太った猪を仕留めて見せます」
「さあ、もうひと頑張りといこうじゃないか!」
「おう!」
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