第52話 罠
森の中に狼の遠吠えが響いた。
無論、本物ではなく見張りについていた兄弟からの合図である。
ついに〈犬〉達を追っていた騎馬傭兵たちが追い付いて来たのだ。
〈犬〉の隊は森の縁に拵えた簡易陣地で奴らを待ち構えている。
彼らはその簡易陣地で少しばかり抵抗をした後、「防柵を突破されて敗走した」という態で俺たちのいる待ち伏せ地点まで後退してくる、という算段である。
やがて鬨の声が上がり、戦闘が始まった。
そう遠からず〈犬〉が後退を開始するはずだ。
「おい、炉に生木をくべろ」
「へい!」
窪地の底に設えられた例の炉に生木がくべられ、もうもうと煙を吐き出し始めた。
既に炉の中は炎が燃え盛っており、生木を放り込まれた程度ではその火勢は衰えない。
元々煙で薄っすらと曇っていた視界が、瞬く間に白く染まっていく。
「ゲホッ! ゲホッ! こりゃひでえ!
お頭! もう縁に上がっていいですか!?」
煙を起こすために残っていたビルとセシルが涙を流しながら悲鳴を上げた。
「まだ待て。最後にもう一仕事残ってるんだ」
「ゲヘッ! 目が、煙が、目に染みるっ!
勘弁してくださいよう」
程なくして、足音と共に煙の向こうにいくつかの人影がぼんやりと浮かび上がった。
〈犬〉たちだ。
「よし、薬草の袋を放り込め!」
俺の合図に、ビルとセシルが生乾きの薬草が詰まった袋を炉の口に押し込んだ。
すぐに〈犬〉の隊の連中が次々と煙に突っ込んでくる。
「煙を吸い込むな! 上がれ! 上がれ!」
兄弟たちを登り口に誘導しながら煙を吸わぬように警告する。
炉の中で燃える薬草がすでに酷い臭いを発し始めていた。
「お頭! 俺が最後です!」
最後尾についていた〈犬〉が俺の脇を駆け抜けていく。
「おう!」
そのすぐ後ろに見えた人影に向けて銀の斧を投げ放つ。
ギャッという悲鳴を背に、俺は〈犬〉の後を追って一目散に斜面を駆けあがった。
「怯むな! 火計なら引き離された方が危険だ!」
そんな声が背後から聞こえてくる。
果敢かつ冷静。確かに厄介な奴らだ。
事前に設定されたルートに沿ってロープを避けながら、無事に斜面を登り切る。
上がった先では一足先にたどり着いた〈犬〉が這いつくばって呻いていた。
「うげぇ……頭がクラクラする……。
お頭、なんすかこれ……」
「だから煙を吸うなって言ったろう。薬草の効果だよ」
一度だけ、森婆がこんな風にあの薬草を使うところを見たことがあったのだ。
あれは確か、村一番のおしどり夫婦として有名な二人が痴話喧嘩の仲裁を求めてきた時だったか。
そいつらがあんまり激しく言い争い続けるので、森婆は埒が明かぬとこの薬草を囲炉裏に放り込んだのだ。
過ぐに嫌な臭いのする煙が上がり、程なくして俺も夫婦もそろって頭がくらみだした。
その後すぐに俺は小屋を追い出されたから、森婆がどうやって彼らを仲直りさせたのかまでは知らない。
だが、ともかく件の夫婦は足をふらつかせながらも仲睦まじく村に帰っていったのは覚えている。
そうしたわけで、この薬草には頭をぼんやりさせると同時に闘争心を抑える効果もあるのではないかと踏んだのだ。
果たして効果は抜群だった。
敵は次々と煙を飛び出してきたが、その足元はおぼつかず簡単に縄に足を取られて転倒していく。
そしてその殆どが立ち上がることすらままならない有様だ。
待ち構えていたウィルとエルマーが兄弟たちと共に一方的に矢と槍の雨を浴びせる。
程なくして、〈犬〉を追ってきた騎馬傭兵の一隊は壊滅した。
「もういい、射ち方やめ!」
もはや動く者がなくなったことを確認し、射撃を終了させる。
「いいか、煙が晴れるまでは窪地に降りるなよ」
「へい」
まだ煙が抜けきってないらしい〈犬〉が、少しばかり足をふらつかせながら言う。
「今のうちに森の外に人を回して、こいつらの馬と荷物を回収しましょう。
食料があれば上出来です」
流石だ。
こんな具合の時ですら、こいつは抜け目がない。
「そうだな。お~い、〈狐〉! 頼めるか?」
「へい!」
〈狐〉はすぐに手近な兄弟たちを十人ばかり集めて森の外へと向かう。
それを見送りながら〈犬〉に声をかける。
「お前はしばらく休んどけ」
「へえ、そうさせていただきます……」
窪地に溜まった煙がすっかり吹き払われるのを待ってから、敵の生き残りを回収するため底に降りた。
やはりと言うべきか、しっかりと防具を着込んだ騎士崩れどもは何か所も鎧を射抜かれながらもまだ息があった。
が、煙の効果もあってかどいつもこいつも朦朧としている。
その様子をみて〈犬〉が言った。
「あの薬草がなけりゃ、もうちょい被害が出てたかもしれませんな」
「かもな」
実際のところは分からんが、効果があったなら何よりだ。
*
奴らは森の外に繋いだ馬を守るため少数の見張りを残していたが、彼らは〈狐〉たちの姿を見つけるとすぐに本隊の敗北を悟って逃亡した。
残された馬は実に三十七頭。
〈犬〉が言うにはいわゆる軍馬はおらず、このあたりが騎士ならぬ騎馬傭兵の限界とのこと。
その他に騎士崩れの捕虜が五人。
彼らが持っていた食料に、弩、その他武器に防具、金銀宝石。
大収穫である。
俺達はこれらの戦利品を馬の背に積み込み、悠々と後退を開始した。
翌日の夕方になって、ようやく俺達は味方の軍と接触することができた。
遭遇したのは、ホースヤード伯の旗印――馬の背に乗る烏――を掲げた騎馬斥候らしき一隊である。
こちらは見てすぐに味方と見分けることができたのだが、あちらにとってはそうではなかったのだろう。
彼らはしばらくこちらの様子を観察している様子だった。
こちらは一旦停止し、敵意がないことを示すため、俺一人が前に出て手を振って見せた。
すると、斥候の内の一騎が隊列から離れて俺達に近づいてきた。
「貴殿らはいずれの軍勢なりや!」
騎士らしきその男がこちらに向かって誰何する。
「こちらはウェストモント公が配下、〈木こりのジャック〉の隊です。
アンディカ伯軍の進軍を遅滞する任務に就いておりましたが、
彼の軍勢が前進してきたため、やむなく後退してまいったところにございます」
すると、その騎士は兜を脱いで大きく手を振ってきた。
「おお! ジャック殿か!」
誰かと思えば、以前にホースヤード伯の息子を訪ねた際に天幕を守っていた老騎士だった。
こちらを知っている相手であったのは幸いだ。
これで面倒な符牒のやり取りを省略できる。
「これはお久しゅうございます!
あ、えっと……」
と、ここにきて緊急事態である。
この老騎士の名前を思い出せない。
いや、そもそも聞いてないんだったか?
「ははは、そう言えばまだ名乗っておらなんだか。
私は名をヒューバートと申す。以後よろしく頼む」
「大変失礼をいたしました、ヒューバート様。
こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「うむ」
老騎士は上機嫌で俺の謝罪に応じると、俺の背後に控える兄弟たちと戦利品を見てニヤリと笑った。
「それにしても随分と戦果を挙げられたようだな。
さすが我が殿が見込んだだけのことはある。
ここを少しばかり戻ったところに我らの野営地がある。
情報交換も兼ねて、貴殿らをお招きしたいがいかがか。
無論、晩の食事も提供いたす」
「よろしいのですか?」
「遠慮することはない。
ジャック殿がもたらす情報にはそれだけの価値がある。
それどころか安いぐらいであろう」
こちらとしては願ってもない申し出である。
「それではよろしくお願いします」
「うむ」
俺の返事をきいたヒューバート殿は振り返ると、背後にいた騎馬斥候達に合図を出す。
それを受けて、彼らは一騎を残しどこかにかけ去って行った。
おそらく、斥候の続きに向かったのだろう。
残った一騎はヒューバート殿のところに駆け寄り、何かしらの指示を受けてきた道を駆け戻っていく。
それからヒューバート殿がこちらに向きなおって言う。
「それでは、私についてきてもらおうか。
野営地まで案内いたす」
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