第24話 決闘


「覚悟決めて我がまま押し通しやがれ!

 命令しろ!

 私のために戦えってな!」


 お姫様は一瞬だけ言葉に詰まった様子だったが、それでもすぐに応じてくれた。


「ジャック! 我が親愛なる家臣!

 私のためにその者を打ち倒しなさい!」


 そのやり取りを見ていた伯爵が、場違いなほど嬉し気な声を上げる。


「殿下! 善き家臣を持たれましたな!

 だが惜しいかな。貴殿の命もここまでだ。

 さあ尋常に勝負!」


 最高に盛り上がってきたぜ!

 伯爵の体が何倍も大きく膨れ上がったように見える。

 もちろん錯覚だ。その体が発する闘気とでも呼ぶべきモノがそう見せているのだ。

 これが奴の、歴戦の猛将の本気か。

 正直なところ勝ち目は見えなかった。

 だがそれでも、今なら何も怖くない。

 相手がどれほど恐ろしい戦士だろうが俺は戦える。


 魔法の斧を呼び出そうと右手を意識したその時。


「その勝負待った!」


 背後から大音声が響き、やる気満々だった場の空気が吹き飛んだ。

 マーサ婆さんが発したものである。


 水を差すなと怒鳴りつけてやろうと思ったが、振り返った瞬間伯爵以上に鋭い視線に射抜かれて俺は竦みあがってしまった。

 この婆さん、本当に何者なんだ?

 場が静まったのを確認した婆さんは瞬時にその殺気をしまい込むと、何事もなかったかのような穏やかな声で言葉を続けた。


「私は無力な老婆にすぎませんから、殿方に決闘するな等と言うつもりはございませぬ。

 しかしながら、老婆心から忠告させていただきます。

 決闘とはただの闘争にあらず。

 闘いを通じて神々に正義を問う神聖な儀式にございます。

 双方、きちんと己の要求と勝敗の条件を明らかにした上で、しかるべき作法に則って行われるべきでございましょう」


 ただ止められたのであれば伯爵も反発したろうが、ひどく筋の通った話しぶりであったので俺たちは揃って納得せざるを得なかった。

 ついでに、先の一喝で互いの闘志がそがれてしまってもいる。


 決闘は一時中断され、ヴェロニカ殿下と伯爵とで話し合いが始まった。

 こちらが勝ったら伯爵は兵を引きそれ以上追跡を行わないこと。

 あちらが勝ったら殿下は大人しく修道院に入ること。

 また、その場合でも〈森の兄弟団〉への攻撃は行わないこと。


 そんな条件が次々と決められていくのをぼんやりと眺めていると、マーサ婆さんが俺の傍にツツツと寄ってきた。


「よくやりました。中々の機転でございます。

 場の流れをうまく読み、伯爵を乗せたその手並みには感服するばかり。

 おかげで、殿下の危険は最小限となりました」


 まあ、これならたとえ負けても死ぬのは俺だけで済むからな。


「身を挺して殿下を守るその覚悟も見事なものでございます。

 しかしながら、ご自身までもがその流れに飲まれてしまったのはいただけません。

 これからはもう少し冷静さを保ち続けるようお気をつけなさいませ」


「お、おう」


 叱られるものと思って身構えていたのに、逆に褒められたので拍子抜けしてしまった。

 その上、忠告まで貰えるとは。

 そうこうしている内に、話し合いを終えた殿下が戻ってきた。


「出番よ。勝ちなさい」


 そっけない口ぶりだったが、その、なんと言うか、俺の思い上がりでなければなんだが。

 これまでになかった類の信頼の様なものが滲んでいる気がした。

 どうなんだろう? 気のせいか?

 そう思ってマーサ婆に視線を向けると、意味深な微笑みが返ってきた。

 さっきまでの熱気が、少しだけ俺の内に戻ってくる。


 さて、相手側を見ると対戦相手が伯爵のお供の若い騎士に変わっていた。

 あの程度の下郎を相手にしては勝っても伯爵の恥になるから、と言うのが理由らしい。

 伯爵は不満そうな顔をしていたが、一度冷静になってしまえばそうした理屈を無視することができなかったのだろう。

 正直なところほっとした。

 あの伯爵に勝つ筋がどうやっても見えなかったからだ。


 ともかく、俺たちは前に出て向かい合った。

 向かい合った双方が己の要求を述べ、互いにその遵守を神々に誓う。

 細かな作法は省略されているらしい。

 これは俺がその手のことに疎いせいだろう。


 さて、と俺は新しい対戦相手を見やった。

 年の頃は俺と同じか、少し上ぐらいだろう。

 立派な鎧を着こんで全身はくまなく守られている。

 まあ、俺の金の斧を使えば鎧そのものは問題にならない。

 相手が余計な重りをまとっていると思えばこちらに有利ですらある。


 しかし、それを勘定に入れてもなお、あの伯爵ほどではないにせよ、手ごわい相手であることは疑いない。

 構えにも隙はなく、真正面から斬りかかってもおそらく勝てないだろう。


 かといって、奇策で挑むには限界がある。

 これはご立派な騎士様を相手にした正式な決闘である。

 やり過ぎれば、決闘の無効を主張されてしまうかもしれない。


「双方武器を構えよ!」


 闘士から立会人に立場を転じた伯爵が号令をかける。

 相手は脇に抱えていた兜をかぶり、剣を抜き、盾を構えた。

 視界をよくするためだろうが、兜の面防は上がったままだ。


 対する俺は背中の雑嚢に手を突っ込み金の斧を取り出した。

 最初から金色にしたのはなるべく魔法を見せないため。

 途中で色が変わったりすれば相手は確実に警戒する。

 直接手に呼び出さなかったのも同様の理由。


 相手はギラギラと光る斧を見て一瞬だけ怪訝そうに眉を寄せたが、すぐに軽蔑の色を浮べた。

 盗賊風情が悪趣味な装飾を、とでも考えているのだろう。

 それでいい。


 俺は若い騎士に向けてその悪趣味な斧を突き付けた。


「おい、気をつけろよ。

 この金の斧には魔法かかっている。

 あんたのその立派な鎧も日に焼けたボロ布みたいに引き裂けるぜ」


 彼は俺の脅し文句を聞いても顔色一つ変えなかった。


「戯言を。そのようなはったりに騙されるとでも思ったか」


 馬鹿め。俺は内心でほくそ笑んだ。

 信じないのは計算づくだ。そのためにわざとチンピラめいた口もきいた。

 だが、俺は確かに言ったぞ。

 後から聞いていないなんて言っても受け付けないからな。


「始め!」


 伯爵の号令とともに若い騎士が突っ込んできた。

 速い。

 鎧を着ているにしては、だが。

 初手の突きを、体を横に開いて躱す。

 それでもギリギリだった。

 こいつがクソ重たい防具を着ていなかったら、そしてこちらが身軽でなければ躱せなかったろう。

 こちらが反撃に移る間もなく二撃目、三撃目が立て続けに襲ってくる。

 俺はそれらをすべて後ろに飛んで躱した。

 迂闊に斧で受けるのは悪手だろう。

 こちらの利点はこの身軽さだ。

 足を止めて打ち合うのはマズイ。

 相手にもなるべく足を使わせて疲労を誘うのも狙いだ。


 再度の突きをまた横に躱し、今度は敵の左側面に回り込んだ。

 今度はこちらから斧で切りつけようとしたが、その前に相手は盾でこちらの顔面を殴りつけて来た。

 驚くべき反応速度だ。


 攻撃を中止し後ろに飛んで躱す。

 斧を前に出せば盾を切り裂くことはできただろうが、確実に腕をとれる確信がなかった。

 傷が浅ければ、逆にあのくそ重い一撃を顔面にくらってこちらが戦闘不能になりかねない。


 再び回避に徹する。

 ちくしょうめ、こいつ全然隙を見せやがらないな。

 だがいら立っているのは相手も同じだったらしい。


 一息つくために少し距離を置いた俺に、若い騎士が怒鳴る。


「ちょこまかと! 勝負はどうした!」


 うるせえ! お前が強すぎるんだよ!

 と言い返したいがそうもいかない。

 代わって出た言葉がこれだ。


「のろまめ!」


 騎士の顔が怒りに歪み、大きく踏み込みながらの大ぶりの一撃がとんできた。

 ちょろいぜ、これを待ってたんだ!

 わかりやすい軌跡を描くその剣を、俺は根元から切り飛ばした。


「どうだ! まいった――」


 降服を促そうとしたが、言い終わるよりも早く騎士が剣を捨てて組み付いて来た。

 クソ! なんて切り替えの早さだ!

 完全に油断していた俺は腕をとられてその場に投げ飛ばされた。

 そのまま抑え込むように圧し掛かってきたのを、かろうじて横に逃れる。


 危なかった。あの鎧に上をとられていたら終わりだった。

 追加でもう一回転横に逃げて、その勢いを使って起き上がる。

 敵は既にこちらに向かって突進を始めていた。

 強烈な体当たりを受けて俺は吹っ飛ばされた。

 ついでに斧も取り落としてしまったらしい。


 再び顔を上げた時には、俺の斧は相手の手の内にあり、それはこちらに向かって振り下ろされようとしていた。

 万事休す。


 ではない。

 俺は手元に斧を呼び戻した。


 突如として得物を失った相手は盛大に空振ってバランスを崩す。

 すかさず俺は足払いをかける。転倒。

 身軽な文、俺が立ち上がる方が少しだけ早かった。

 若騎士が体を起こしかけているところに思い切り蹴りを見舞ってやる。

 相手はうつ伏せに転がった。

 分厚い装甲を蹴ったものだから足がじんじんと痛んだが、起き上がりは阻止した。

 俺はうつ伏せ這いつくばるそいつの背に圧し掛かり、斧を振り上げた。

 頭めがけて振り下ろす。

 兜があったって関係ない。俺の斧の前には薄布も同然。

 金の刃が兜にめり込もうとしたその瞬間。


「やめて!」


 誰かの声が俺の耳を打った。

 背筋が凍るような強力な忌避感が俺を襲い、思わず手が止まった。

 斧は兜にめり込んでいたが、これなら中身は無事なはずだ。

 多分。

 そのことにほっと一息ついた瞬間、俺の下で若い騎士が勢いよく身を捻った。

 騎士は体の回転とバネとを巧みに使って俺を突き飛ばすと、ごろごろ転がって距離をとる。

 騎士が身を起こしながら俺に向かって叫んだ。

 

「なぜ止めた!」


「知るか! 姫様が止めたからだ!」


 俺がそう叫び返すと、彼の顔が屈辱に歪んだ。


「許せん!」


 なんで俺に言うんだよ!

 文句なら姫様に言ってくれ。


 若い騎士がどこからか短剣を引き抜いた。

 それを腰だめに構え突進しようと身を沈める。

 その目は怒りに燃えているが、しかし先程のように我を忘れてはいない。

 クソが!


「そこまで!」


 伯爵の声が響く。

 今度は若い騎士が止まる番だった。

 彼はその声の主にふりむくと泣きそうな顔で叫んだ。


「父上! なぜですか!

 まだ勝負はついていません!」


 伯爵は首を振りながら厳かに告げた。


「いいや、ついている。

 殿下が止めてくださらなければお前は死んでいた」


「し、しかし――」


「お前は私の代理としてそこにいるのだ!

 これ以上恥を晒すな!」


 伯爵に怒鳴りつけられて、彼はシュンとして構えを解いた。

 そのままトボトボと俺の前にきて、片膝をつき、持っていた短剣の柄を差し出してきた。


「私の負けにございます。

 どうぞこれを」


 勝つと相手の武器を貰えるんだろうか?

 そう思って手を伸ばしかけたら、相手が明らかに狼狽えた。

 俺も慌てて手を引っ込める。何やら俺はとんでもない無作法をしでかしかけたらしい。

 どうすればいいか分からなかったので、姫様の方を振り返って顔色を窺う。

 すると事情を察したのか、彼女がこちらに寄ってきて俺が言うべきことを言ってくれた。


「降伏を受け入れます、ジェフリー卿。

 その武器は貴方の名誉の証。

 どうかそのままお持ちください」


「ありがとうございます」


 ジェフリーというらしい若い騎士は腰の後ろの鞘に短剣をしまうと、兜を脱いで俺たちに一礼。

 顔を上げてそれを被りなおそうとした時に、兜の後頭部にできた裂け目を目にしてギョッとした色を浮かべた。

 おそらく、俺の斧が何の抵抗もなく切り裂いたものだから、こうして目にするまで気がつかなかったんだろう。


 彼は少しの間、その裂け目を悔し気に見つめていたが、やがて俺に向かって再度一礼し、伯爵の後ろに戻っていった。


「殿下」


 伯爵が口を開いた。


「お約束通り、我らは兵を引きましょう。

 まことに善き家臣を得られましたな。

 その者であれば、殿下をお任せすることができます」


「ありがとう。

 こちらこそ、騙すような真似をして悪かったと思っているわ。

 陛下によろしく伝えておいて」


「御意。それではこれにて失礼いたします」


 伯爵は馬に跨ると、こちらに背を向けて丘を登り始めた。

 その背に姫様が呼びかける。


「おじ様!」


 伯爵が振り返った。


「その……死んだりしないでね?」


 彼は笑った。


「もちろん、殿下がご自害などなされぬうちは。

 陛下にはたんと叱られるでしょうがな!」


 ワハハという笑い声を残して彼は自身の軍勢のところへ戻っていった。

 程なくして、彼の軍勢は丘の稜線の向こうに姿を消した。


「ふう……」


 俺は大きく息を吐きだした。

 そのままその場に尻をついて座り込む。

 本当に、死ぬかと思った。


「ジャック」


 姫様が声をかけてきた。

 だらしがないと叱られるのかと思ったが違った。


「ありがとう」


「何がだよ」


「……嘘をついていたのに、それでも私を守ってくれて」


「あんたの事情は関係ない。

 俺は一度した約束は破らないってだけだ」


 俺が彼女と交わした約束は、赦免と引き換えに彼女の家来になるというただそれだけだ。

 そこまで考えて、ふと疑念がわく。


「おい、嘘ってのはどこまでが嘘なんだ?

 家来にしてくれるってのは本当なんだろうな?」


 そこが嘘なら話は全く違ってくる。

 兄弟たちの赦免も得られず、完全な骨折り損だ。

 だが、俺の言葉を聞いて彼女はパッと顔を輝かせた。


「もちろん、そこは本当よ。

 何より、この国を皆が豊かで平和に暮らせるところにしたいってのもね!

 その為には、貴方たちの助けが必要なの。

 お願い、力を貸して」


 多分、俺の言葉の意味を少しばかり勘違いしてるんじゃなかろうか。

 ま、いいか。

 細かいことまでいちいち訂正する必要もあるまい。


「もちろんだ。

 俺は約束を守る」


 より正確には「破れない」だが、それを言ったら何をさせられるか分かったものじゃないので黙っておいた。

 それに、まあ。

 彼女は本当に嬉しそうにしていたから、わざわざ水を差す必要もないだろう。

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