第15話 初仕事

 月は分厚い雲に覆われ、夜の闇は一層濃くなっていた。

 森の中ではなおのことだ。

 松明の光ですら生い茂る草木に遮られ、より深い影を生み出して視界を塞ぐ。

 おかげで、見通せる距離といえば数歩先がせいぜいだ。


 そんな中を、十人ばかりの人相の悪い男たちが闇をかき分けながらガサガサと進んでいた。

 彼らは一党の中から〈犬〉が選び出した荒くれ者達だった。

 俺の三人の仲間は皆盗賊のねぐらに置いてきた。

 今のままでは足手まといにしかならないだろうという判断からである。

 彼らにはこんな所に置いていかないでくれと懇願されたが、こればかりは仕方がなかった。


 先頭を進んでいた〈犬〉が最後尾に回りながら皆に指示を出した。


「そろそろ村が近い。灯りを消せ」


 それを受けて盗賊達が松明に土をかぶせて火を消していく。

 俺も彼らに倣って松明に土をかぶせると、途端に辺りは上下すらも分からない真っ暗闇に沈んだ。

 思わずふらつきかけて、慌ててその場にしゃがみこむ。

 しばらくしてようやく目が慣れてきたが、それでもなお手を伸ばせば指先すら闇の中にかすんでしまう有様だ。

 闇は盗賊の味方だ、とは言われたもののこうも暗くてはまともに歩くことすらままならない。


「旦那、旦那」


 闇の中から〈兎〉が俺を呼ぶ声が聞こえる。


「ささ、こいつを握って下せえ」


 声のした方に目を向けると、真っ白な帯がボンヤリと宙に浮かんで見えた。

 この帯のもう一方の端は〈兎〉の腰に結わえられているはずだ。

 暗い中での移動中に迷子にならないための工夫であるらしい。


 言われた通りに帯に手を伸ばしたが、うまく距離がつかめず空振りする。

 そんな俺の様子を気配で察したのか、〈兎〉がヒヒヒと笑った。


「これじゃあどっちが盲か分かりませんなあ」


 もう一度手を伸ばし、今度こそ帯を掴む。

 同時に、同じように俺の腰から垂らした帯にも後続の誰かが掴んだ感触が伝わってきた。


 そのまましばらく闇の中で息を潜めていると、グッグッと俺の腰の帯が二度引かれた。

 これは最後尾にいる〈犬〉が無事に帯を掴んだという合図だ。

 俺も同じようにつかんでいた帯を引き、〈兎〉にそれを伝える。


 黒いぼんやりとした輪郭が目の前でのっそりと立ち上がった。

 俺もそれに従う。背後からも微かな衣擦れと、土をこする音が連鎖する。


 〈兎〉を先頭に俺たちはそろそろと進み始めた。

 彼は一度覚えた道はどんなに暗くとも迷わず歩く能力を持っているという。

 元より目が見えないのであれば昼も夜も大して違いはないのだろう。


 盲目のいかにも弱々しいこの男がどうして盗賊なんて荒々しい稼業をやっていけるのかと思っていたが、なるほどこうしてみればこれほど盗賊向きの人間もあるまい。

 この夜の闇の中では、昼間の人間には思いもよらぬ力が役に立つものだ。


 しばらく進んだところで、突然涼やかな風が顔を撫でた。

 心なしか周囲が開放的になったような気もする。

 どうやら森が途切れたらしい。

 先を進む〈兎〉が足を止め、声を潜めて言う。


「旦那、篝火は見えますかね?

 そろそろじゃねえかと思うんですが」


 言われて前方を凝視すると、確かに前方にチラチラと光るものがある。

 俺も声を潜めて答えた。


「あれが目標か?」


「そうです」


 後方から〈犬〉がやってきて、同じように篝火を視認した。


「それじゃあお頭。ここから先は俺が先導します。

 音をたてないように気を付けてください。

 〈兎〉はこのまま帰還しろ。残りは俺についてこい」


 握っていた〈兎〉の白帯を〈犬〉の白帯に握り替え、篝火に向かってゆっくりと進む。

 目標が近づくにつれ館の輪郭が少しづつはっきりしてきた。

 事前の説明によれば、大まかな構造は以前に襲った屋敷と大きく変わらないらしい。


 門の上の篝火で照らされた見張り台の上には弓を手にした人影がぼんやりと突っ立っている。

 まだ向こうからはこちらが見えていないのだろう。

 だが、これ以上近づけばどうなるかは分からない。

 〈犬〉が振り向き、見張りを指さして言った。


「お頭、あいつをやれますかい?」


「お安い御用だ」


 俺は手元の斧を銀に変えると、一息に投げつけた。

 銀斧はすぐに闇に消えたが、見張りの頭に命中する直前に篝火の光を受けてキラリと閃いた。


「こりゃすげえ……」


 見張りが音もなく崩れ落ちたのを見て〈犬〉が呟いた。

 そのまましばらくの間様子を窺い、内部に動きがないことを確認。

 〈犬〉の後に従い屋敷の門へと走る。

 打合せ通り、金の斧で外側から閂を両断。

 開いた門から盗賊どもがなだれ込み、瞬く間に屋敷の中を制圧していく。

 それにしても、なんと手際のいい事か。

 彼らは殆ど音もたてずに動き回り、眠りこけている住人や用心棒を次々と縛り上げていくのだ。

 ドタバタと大騒ぎをしていた俺の仲間達とは雲泥の差である。


 俺と〈犬〉は制圧には加わらず、強力な抵抗にあった場合に備えて中庭で待機していた。

 しかし、彼らの仕事ぶりを見る限りでは無用な心配だろう。

 俺は隣で屋敷からの物音に聞き耳を立てる〈犬〉に話しかけた。


「なあ」


「なんです、お頭?」


「別に俺なんかいなくても問題ないんじゃないか?」


 実のところ、今回の襲撃の計画を立てたのはこの〈犬〉である。

 これは今回に限ったことではなく、ロバート親分がいたころからずっと実働部分を取り仕切っていたのはこの男だったという。


「とんでもねえ」


 〈犬〉は俺の言葉にわざとらしく驚いてみせた。


「お頭なしじゃこうはいかねえ。

 この暗さで、あの距離から見張りを仕留められる射手はそうはいませんよ。

 一矢でも外せばその時点で襲撃はおしまいです。

 門を音もなく壊し開けるなんてことも、お頭以外にゃ誰にもできません。

 大きな音を出して用心棒どもが目を覚ましたら、たとえ勝ててもこっちは半分はやられるのを覚悟せにゃならない。

 それじゃ失敗も同然ですからね」


 なるほど。

 たまに死人が出る程度ならともかく、毎度毎度で犠牲が出るようでは稼業としてはやっていられないだろう。


「そういう意味でもね、強さってのは大事なんですな。

 コソコソとやるのが基本とはいっても、長くやってりゃ荒事が必要な場面ってのは出てきますからね。

 そういう時に頼れなきゃ盗賊の頭ってのは務まらねえ。

 その点、あのロバート親分を一撃で倒したお頭は申し分ないってわけですよ」


 そういうものなんだろうか?

 まあ、なんとなくわからないでもない。


 程なくして、屋敷の中から住人たちが次々と中庭に運び出されてきた。

 地主一家にその使用人、それから用心棒。しめて十六人。

 いずれも後ろ手に縛られた上、猿轡をかまされてうつ伏せに転がされている。


「さて、こいつらはどうしますかね?」


 〈犬〉がニヤニヤしながら俺に問いかける。

 ちなみに、盗賊たちに殺さずに縛り上げるよう指示を出したのは〈犬〉自身だ。

 いまさらこんなことを俺に聞いてどうしようってんだ。

 それでも転がされている住人たちの縋るような視線は俺のところに集まってくる。

 この状況でわざわざこいつらを殺す理由は俺にはない。


「……抵抗しなければ生かしておけ」


 実際に生き延びられるかはこれまでの行い次第だろう。

 前の屋敷の連中はそれが祟って死んだ。


「へへへ、お頭ならそう言うだろうと思ってましたぜ」


 ともかく〈犬〉は俺の返事に満足したらしい。

 盗賊どもに向きなおると、矢継ぎ早に指示を出し始めた。


「よし、〈鼬〉と〈大鼠〉はこいつらを見張ってろ。

 〈狐〉は見張り台に上れ。

 残りは荷造りだ。金目の物が最優先、次が食料。酒は三樽までだ。

 それから――ああ、そうだ、誰か燃えさしと大きめの板を持ってこい」


「燃えさしなんてどうするんだ?」


「まあ見ていてくださいよ」


 〈犬〉は盗賊の一人が持ってきた燃えさしと板を受け取ると、地面に屈みこんで何やらガリガリと字を書き始めた。

 もちろん俺は字なんて読めない。

 しばらくして彼は書くべきことを書き終えたらしい。

 立ち上がって満足げに文字の並んだ板切れを見下ろす〈犬〉に俺は訊ねた。


「一体なんて書いてあるんだ?」


「へへ、少しばかり熱が入っちまいました。

 いいですか、耳をかっぽじってようく聞いてくださいよ。

 こう書いてあります

 『この屋敷の主、国王陛下の定めし法に背き法外なる地代を取るものなり。

  また、立場を悪用し、哀れなる小作人らに過酷なる労役を課しさらなる搾取を行うものなり。

  まことに不届きな悪人である。

  これを取り締まり正義をなすべき代官は、陛下の不在を良いことに怠慢にも職務を放棄し、

  それどころか賄賂を取って一層肥え太る。

  また、貧しき者に慈愛の手を差し伸べるはずの神官たちは今や堕落し

  悪人どもと並んで救うべき弱者をむさぼる始末である。

  もはや地上に救い無し。

  よって、不在なる我らが主に代わってこの〈木こりのジャック〉が天誅を下す。

  世の悪人どもは直ちに悔い改めるべし。

  さもなくば、夜の訪れを恐怖に震えながら待つべし』

 とまあこんな具合です。

 どうです? 中々のもんでしょう?」


 ……なんだこりゃ?

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