第5話 別れ話

「よう、ジャック待たせたな」


 そう言ってトムは人懐っこい笑顔を俺に向けてきた。

 もう二度と会えないと思っていた友との再会に俺は思わず泣きそうになったが、そんなことになったら台無しだ。


「遅えよ」


 俺は表情をごまかすために、しかめっ面でそれに応じた。

 できれば、こいつには悟られることなくそっとお別れしたかった。

 そうしなきゃ、こいつはきっと気に病むに違いない。

 それが分かっていればこそ、店主もトムが来る前に話をつけようとしたのだ。


「悪い悪い。皮はぐのに手間取っちまってさ。

 あ、酒場の旦那!

 ウサギ二匹、買い取ってもらえませんか?」


「おうよ」


 店主が出てきて、トムの手から皮をはがされたウサギを受取った。

 それからトムの手に残った雉を指して言う。


「そっちはどうする?」


「竈で焼いてもらえます?

 あ、半分は竈代とそれから酒代ってことでひとつ」


「いいだろう、ちょっと待ってな」


 店主は雉も追加で受け取って店の奥に引っ込んでいった。

 手ぶらになったトムは俺の席までやってきて、さっきまで店主が座っていた椅子に腰を掛けた。


「お、もう飲んでるのか。

 酒代なんてよく残ってたな」


 店主に奢って貰ったなんて言えば余計な追及を受けるだろう。

 俺はあいまいに笑ってごまかし、話題を変えた。


「そっちも無事で何より。

 森番には会わずに済んだみたいだな」


「フフン、人呼んで〈狐のトム〉とは俺様の事よ。

 あんなトンマにゃ捕まりっこねえ」


 そう言ってトムは胸を張った。

 やれやれ、森ン中じゃ泣きそうな顔をしていたくせに村に戻った途端これだ。


「狐なんて初めて聞いたぞ。

 この〈お調子者〉め」


 トムは俺の悪態を意にもかけずハハと笑った。

 この愛嬌のある笑顔を見ているとホッとする。

 俺はさっきまでのささくれだった心が、あっという間に落ち着きを取り戻していくのを感じた。

 そうとも、これは神さまがくれたチャンスに違いない。

 きっとこれが最後の会話になるんだろうから、せめて楽しく過ごそうじゃないか。


「マリーはどうしてる?」


 俺は鉄板の話題を振った。

 トムを上機嫌にしておきたいならこれに限る。

 なにしろ、こいつは妹の自慢話なら際限なくしゃべり続けることができるのだ。


「おう、それよ!

 最近ますます美人に磨きがかかってきてな!

 兄としちゃあ鼻が高いが、心配でおちおち寝てもいられねえ。

 ま、そろそろ嫁入りの話が出てもいい頃合いではあるんだけどな。

 でもなあ、俺達みたいな小作人に嫁がせるにゃあんまりにももったいないんじゃないかと思うんだよ。

 なにしろこの辺りじゃ他にお目にかかれないぐらいのかわいこちゃんだからな。

 旦那様あたりに頼み込んで、ちょいと裕福な地主の跡取りなんかを紹介しちゃもらえないかななんて考えてるんだ。

 そりゃまあ、小作人の娘が地主に嫁ぐなんざ難しいとは思うけどさ、だけどマリーならな。行けると思うんだよ。

 話だけなら一瞥もせずにポイだろうがよ、一度でもお目にかかることができりゃしめたもんだ。

 一言でも言葉をかわせれば完璧よ。

 跡取り殿はマリーに夢中なること請け合いだ。きっと優しくして貰えるに違いないよ」


 自分で話を振っといてなんだがすぐに聞き飽きてしまった。

 何しろ、俺は同じような話をもう百回は聞かされている。


 ちなみに、マリーがずば抜けた美人というのは本当だ。

 少しばかり引っ込み思案なところはあるが、それがかえって保護欲をそそる。

 俺の初恋の相手でもあるが、それをトムに話したことはない。

 そこは俺もちゃんとわきまえている。

 確かにトムと俺は親友だがそこはそれ、さすがのこいつもいい顔はしないだろう。

 分り切っている事なのに、あえてこちらから友情にヒビを入れに行く必要はない。


「おい、聞いてるか?」


 おっと上の空だったのがばれてしまった。


「あ~、うん、マリーは美人だよな、うん」


「……聞いてなかったろ」


 そんなことはない。一応耳に入れてはいた。


「まあいいや。おい、マリーにだけは手を出すなよ」


「分かってるさ」


 俺は苦笑いしながら答えた。

 トムはほっとしたような顔をして、妹を富農の奥様にするための妄想話を再開した。


「ま、美人な上に働き者で気立てもよい。

 マリーを見て気に入らない奴なんているわけないさ。

 あとは……持参金だな。

 これがなきゃあ、マリーは嫁ぎ先で肩身の狭い思いをすることになる。

 何なら財産目当ての売女だとかなんとか影口を叩かれるかもしらん。

 何としてでも十分な額を持たせて嫁ぎ先の奴らを分からせてやらないとな。

 これさえ用意できれば準備万端。後は良縁を待つばかりよ」


 トムはそのために、両親を失ったばかりの頃から寝る間も惜しんであちこちの手伝いなんかをして小遣いを貯め続けてきたのだ。

 まさに生涯の目標と言っていい。

 おかげで近頃では密猟なんてものにまで手を出しているわけだが。


「……それで、その持参金はどれぐらい貯まったんだ?」


「ん? まあ、目標まであとちょっとってところだな。

 あーあ、森に入れりゃなあ。

 もう、あんまり時間がないんだよ……」


 最後にトムがボソリと漏らした一言を俺は聞き逃さなかった。


「そういや、養子の話が来たんだってな。

 時間がないってのはそのことか?」


「そうそう……ってよく知ってるな。

 そうなんだよ。

 まだ決まった話じゃないんだけど、土地持ちの老夫婦がな。

 跡継ぎが欲しいんだと。

 俺なんかでいいのかとも思ったんだが、先方が是非にって。

 そんな風に言われたら俺だって嬉しくなっちまうよな――」


 トムの言葉を遮って俺は口を挟んだ。


「なあ、トム。

 もう森に入るのはやめとけ。

 この期に及んで危ない橋渡らなくたっていいだろ」


 俺としては至極まっとうな助言をしたつもりだった。

 だが、トムは眉間に皺を寄せて難色を示した。


「う~ん、でもなあ……。

 だってさ、養子に入っちまったら稼ぎはまずその家のもんだろ?

 俺の自由にするってわけにはいかなくなるわな。

 最終的には俺のものになるにせよ、マリーの結婚には間に合わねえ。

 さすがに俺みたいなのを養子にとってくれた恩人に早く死ねなんて言うわけにもいかないしさ。

 だから、そうなる前にきっちり貯めときたいんだよ」


「妹さんの面倒も見てくれるって言われたんだろ。

 だったらちょっとの不足分ぐらい何とかしてもらえるんじゃないか?」


 だがこれは失言だった。

 俺がこいつを口にしたとたんトムの眼に疑いの色が浮かんだ。


「……随分詳しいな。

 おい、誰から聞いた?」


 しまった。

 俺は助けを求めて店の奥に目をやったが、店主は竈の火加減を調整中でこちらには目もくれない。


「は~ん……そういうことか」


 トムは俺の視線と、それから机の上の空のカップで何かを悟ったらしかった。


「ジャック、店主に何か言われたな?」


 否定しようとして、言葉に詰まった。

 また何者かの気配を感じたのだ。

 嘘をつけばきっとろくでもないことが起きる。

 俺はあの老人が放っていた圧倒的な威圧感を思い出し身震いした。

 トムはそんな俺の様子を見て肩をすくめた。


「ま、言いにくいならいいさ。

 どうせ一杯おごるから密猟をやめるよう説得しろとか言われたんだろ?」


 トムが勝手に勘違いしてくれたおかげで助かった。

 しかし困ったことになった。

 どうやら俺は本当に嘘がつけない体になってしまったらしい。


「だけどさ、もう俺もよその手伝いで駄賃をせびれる年でもないからなあ。

 他にどうしようもないんだよ。

 そりゃ今回は危なかったけどさ、普段ならまあ賄賂わたしゃ済む話じゃん?

 その程度のリスクなら――」


 俺の背後で誰かが勢いよく店の扉を開けた。

 対面に座っていたトムが口を閉じて気まずそうに顔をそむける。

 この時間帯に村の連中が来ることはめったにない。

 ということは――


「おい、店主!

 酒だ! 酒もってこい!」


 アンガスの嫌な感じのするダミ声が店内に響き渡る。

 マズイ。

 いつだってこいつに会いたいなんて思わないが、今は特にマズイ。

 俺はトムと一緒に体を縮こませたが無駄な努力だった。

 俺達の他に客はおらず、どうしたって目立たずにはいられない。


「よお、不良ども!

 こんな時間から酒とはずいぶんいい身分だな、ええ?」


 アンガスが二人の手下を連れて、ノシノシと足音を立てながらこちらに向かってきた。

 それを見たトムが顔をいっそう青ざめさせる。

 足音は俺の背後で止まった。

 同時に、アンガスのゴツゴツとしたした手が俺の両肩を掴む。


「なんだ、またトムにたかってタダ酒か。

 仲がよろしくて羨ましい限りだ。なあ?」


 アンガスの手下たちがそれに合わせて下品に笑う。

 トムはアンガスが俺に絡み始めたのを見て少しだけ表情を緩ませた。

 自分を捕まえに来たわけではなさそうだと判断したからだろう。

 だが俺の方はそれどころではなかった。


 俺は昼間コイツと会った時に何を言われた?

 そしてそれに何と答えた?


 脂汗が顔中に浮かび上がり、頬を伝って流れる。

 そんな俺の様子を見て、トムがいぶかし気に眉をひそめた。

 いいぞトム。気づけ。今日の俺はおかしいんだ。

 そして気づいたらすぐに逃げろ。

 アンガスの口から致命的な言葉が飛び出す前に。

 さりげなく、できるだけ遠くへ行ってくれ――


 だが、トムは俺に異常が起きていることには気づけても、その意味までは理解できなかった。

 俺が余計な口を滑らすだなんて想像だにしていないのだろう。

 だから、トムは心配そうに俺の顔を覗き込みこそすれ、逃げ出す気配はチリほども見せない。


 万事休す。

 アンガスが、俺が最も恐れていた言葉を世間話でもするような気軽さで口にした。


「そういやジャック。

 あの後森で誰か密猟してるやつを見なかったか?」

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