第4話 親友
今日は嫌に出会いの多い日だ。
森婆の小屋を出て家に帰る途中、今度は密猟者に出くわしたのだ。
密猟者はこちらに背を向けて弓を構えており、俺にはまだ気づいていないらしかった。
俺はそいつを少しばかり脅かしてやることにした。
足音を建てぬよう慎重にその間抜けに近づく。
どうもその背中に見覚えがあったのでよくよく目を凝らしてみると、そいつはお調子者のトムだった。
トムは俺の昔馴染みで、数少ない――いや、正直に言おう――唯一の友人だ。
歳は俺より三つ上の二十一。同じ年の流行病で両親を亡くした孤児仲間でもある。
トムはギリギリ一人で畑の面倒を見ることができる年だったのと、幼い妹がいたことから両親の小作地を引き継ぐことが許されて、今は森のすぐ近くにある村で小作人をしている。
ちなみに、俺は幼すぎて小作地を継ぐことができなかった。
さりとてそのまま放り出すのはあまりに不憫ということで、当時はまだ元気だった木こりのハンス爺さんの所へ預けられ今に至るわけだが、まあこの話はいいだろう。
今はトムの話だ。
似たような境遇だったこともあってか、トムは俺が村を出て森で暮らし始めた後も何かと気にかけてくれた。
お調子者なんぞと呼ばれているが、ようするに気遣いのできるいい奴だってことだ。
それにしてもなんと無防備なことか。
トムの奴、獲物に夢中になってすっかり背中がお留守になってやがる。
弓の腕前はなかなかのものだが、集中すると周りが見えなくなってしまうのだ。
俺はため息を一つついて、その見知った背中に声をかけた。
「おい、そこのお前。何をしている!」
「うひゃあ!」
驚かせようと少し声色を低くしたのが覿面に効き、トムは間抜けな悲鳴を上げてとび上がった。
その拍子につがえていた矢は明後日のほうに飛んでいき、当然のこと獲物は逃げて行く。
「な、なんだ。ジャックかよ。
いきなり声かけるんじゃ――ムググ!」
抗議の声を上げるトムの口を俺は大慌てで塞いだ。
いろいろ言いたいことはあるが、今はそれどころじゃない。
耳元に口を寄せ、小声で警告する。
「静かにしろ。アンガスの奴が見回り中だ」
状況が呑み込めたのか、トムが口を抑えられたままウンウンと頷く。
大人しくなったトムを解放し、手短に事情を説明する。
「伯爵様が狩りにおいでになった際に、矢の刺さった鹿が見つかったんだと。
それで伯爵様がカンカンに怒ってるらしくてな」
「い、一応言っとくが俺じゃないからな!」
「分かってるよ」
トムの主な獲物はウサギや山鳥の類で、それを村の酒場に流して小遣いを稼いでいる。
こいつのしょぼい弓では鹿なんて仕留められっこないし、そうでなくとも鹿の密猟は他より罪が重い。
小心者のコイツが手を出すわけがないのである。
「ともかく、だ。
そういうわけで、今日は見つかるとまずい。
森番の奴、誰でもいいからとっ捕まえて伯爵様に突き出すつもりだ。
さっさと森を出ろ。
賄賂も通用しねえ。眼を抉られるぞ」
誰が捕まっても危ないのだが、トムは特にまずかった。
なにしろこいつは密猟の常習犯だ。
過去にも何度かアンガスに賄賂をむしられてもいる。
今回の件の濡れ衣を着せるには十分な実績があるのだ。
「お、おう……まじかよ……わかったすぐに逃げるとするよ」
事態を把握したトムは顔を青ざめさせると、先に仕留めていたらしい獲物――ウサギが二匹に雉が一羽――を大急ぎで足元から拾い上げるとそそくさと歩き出す。
が、二三歩進んだところで足を止めてこちらを振り返った。
よせばいいのに緊張でこわばったままの顔で無理やり笑顔を作る。
「いつもありがとな。
今日は酒場に顔を出せよ。奢るからさ」
そう言ってトムは先ほど拾い上げた今日の獲物を持ち上げて見せた。
どうやら少しばかり分け前にあずかれるらしい。
「いいからさっさといけ。うまく逃げろよ」
「お、おう」
トムは今度こそ藪の中に姿を消した。
さて、無事に森番たちに見つからずに森を抜けられるだろうか?
俺はトムが消えていった方を見つめながら彼の無事を祈った。
そうなれば久々に酒にありつけるからだ。
ま、伯爵様の森は十分以上の広さがある。
よほど運が悪くなけりゃ大丈夫だろう。
俺はいったん荷物を小屋に置きに戻ることに決め、足取りも軽く歩き始めた。
*
村はずれにある酒場についた俺は店のドアを勢いよく開けた。
店内に客はまだ一人もいない。
村の連中は日の高いうちから酒を飲んだりしないのだ。
だけど俺はそうはいかない。
酔っぱらって夜の森をうろつくのは賢くないからだ。
店の掃除をしていた店主が愛想よく挨拶を言いかけて、しかし俺の顔を認めるとそれをひっこめて不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「なんだジャック、この明るいうちから。
分かってるとは思うが、ツケはきかんからな」
店主はそれだけ言うと注文も聞かずに掃除を再開した。
なんとも横柄な態度だが、店主は俺が貧乏人だとよく知っているし、給金の日がまだ先だというのも知っている。
金がなければ客扱いされないのも仕方がない。
ちなみにツケがきかないのは、俺が村の住民ではないからだ。
森の木こり小屋で寝起きしている俺は、ここでは余所者であり決して信用されることはない。
たとえ生まれがこの村であろうとも、だ。
「わかってるよ。
トムと約束があるんだ」
人気のない薄暗い店内を見回したがトムはまだ来ていなかった。
大方、さっき持っていた獲物の下処理でもしているんだろう。
「少し待たせてもらっていいよな?」
俺がそう言いながら踏み込むと、店主はあからさまに嫌そうな顔で舌打ちをした。
だが出て行けとは言われなかったので、俺は遠慮なく奥に進み適当な机を選ぶとそこに腰を据えた。
「トムが来るまではなにも出さんぞ」
「わかってるって」
店主は小さくため息をつくと、掃除の手を止めて奥に引っ込んだ。
そうしてすぐに戻ってきたが、どういうわけかその手にはビールの入ったカップがあった。
店主は何も言わずそれを俺の鼻先に突き出した。
「……金は持ってきてねえ」
俺がそう言うと、店主はしかめっ面のまま応じた。
「知っている。奢りだ。
ありがたく飲め」
どういう風の吹き回しだろうか?
まあ、くれるっていうんならありがたくいただくとしようか。
俺は突き出されたそれを受け取ると、カップに口をつけて泡を啜る。
何であれタダ酒はいいものだ。
自分で金を払うよりうまく感じる。
奇妙なことに店主は掃除には戻らず、俺の対面の椅子を引くとそこに腰を掛けた。
何事かと思って店主に視線を向けると、彼はついと目を逸らした。
どうやら言いにくい話があるらしい。
「何だよ」
俺が訊ねると店主はこちらに視線を戻し、少しためらってから口を開いた。
「なあ、ジャック。お前さんが昔からあいつと仲がいいのは知ってる」
あいつというのはトムの事だろう。
「お前さんの境遇が厳しいのもな。同情はする。
だからって……その……」
店主が言い淀む。どうやら、俺に何か失礼なことを言おうとしているらしい。
俺はじろりと店主を睨みつけて続きを促した。
「つまりあれだ、あんまりトムにたかるのはやめてやってくれないか。
あいつが妹のために金を貯めているのは知ってるだろう?」
トムは六つ年下の妹のマリーを目に入れても痛くない程にかわいがっている。
密猟なんて似合わないマネに手を出しているのもその妹のためだった。
彼女に良い縁談が来た時に備えて持参金を貯めようと必死なのだ。
まあこの店主、いかつい顔をしてはいるがこう見えてなかなか人のいいおっさんなんである。
だから全くの善意からこの話をしていることは分かる。
俺にではなく、トムに向けての善意であるせよだ。
だが、なんだって今更こんな話をしてくるんだ?
俺とトムがつるんでいるのも、あいつが金を必要としているのも今に始まったことじゃない。
俺はまた一口ビールを啜ってから訊ねた。
「……それだけじゃないだろ。
あいつに何かあったのか?」
店主は首を振りながらため息を漏らした。
「相変わらず勘がいいな。
まあ、お前さんが悪い奴じゃないってのは知っているよ」
そういって彼はしっかりと俺に視線を合わせてきた。
「だから正直に話そう。
トムに養子縁組の話が来てる」
聞けば、少しばかり離れた村に住む子供のいない自作農が跡取りを探していたのだという。
それが色々な伝手を経由してこの村の地主の旦那にまで話が回ってきた。
前々からトムの働きぶりに感心していた地主の旦那は、その縁組に彼を推薦した――ということらしい。
「先方も乗り気なようでな。
マリーの面倒も一緒に見るとまで言ってくれているそうだ」
「へえ、いい話じゃないか。
でもそれがどうしたって言うんだよ」
一介の小作人が、たとえ小さかろうが土地持ちの自作農になれるなら大出世だ。
唯一の気がかりは妹だろうが、その面倒も一緒に見てくれるというのなら文句はなかろう。
めでたいには違いないが俺に関係があるとは思えない。
「それがな……あれだ、先方の老夫婦というのがまた随分とお堅い人達らしくてな……」
そう言いながら店主はごにょごにょと語尾を濁した。
今度は俺が舌打ちをする番だった。
「だから何だってんだ。
言いたいことがあるならはっきり言えよ」
正直なところ、店主が何を言いたいかなんてもう分かっていた。
だから、これはただの八つ当たりに過ぎない。
そんなことは店主だってもちろん分かっているはずだ。
だけど彼は正面から俺に応えてくれた。
彼は大きく息を吸って、それから意を決したように口を開いた。
「先方には、非の打ちどころのない真面目な青年として話を通している。
概ね間違いではない。
だが、木こりなんぞと付き合いがあると先方に知れたらこの縁組が破談になりかねん。
その酒を飲み終わったら、店から出てってくれ。
そしてもう二度とトムには会わないでやってくれないか」
予想通りとは言え、実際に口に出されてみるとやっぱりショックだった。
俺たち森の住人は村の奴らからまっとうな人間とはみなされていない。
ここでいう「まっとうな人間」というのは、村に定住し、その中できちんとした役割を持つ人間の事だ。
それ以外は、たとえ顔見知りだろうが全部「余所者」という扱いになる。
これは森番、つまり伯爵様に仕える役人であるアンガス達ですら例外じゃない。
もちろん理屈は分かる。
共同体の外にいる奴はその掟に縛られない。
つまりは制御不能の異物だ。
そういう奴を忌む、村の連中の気持ちも分からないではない。
だが――
「――俺が、一体何したっていうんだよ」
思わずそんな言葉が漏れてしまった。
俺が木こりをしているのは何も悪さをしたからってわけじゃない。
たまたまだ。
俺の親が流行病にかからなかったら。
片方だけでも生きていたら。
あるいは、俺が小作地を継げるぐらいに年かさだったら。
そんな少しばかりの違いがあれば、俺は今でも村の一員でいられたはずだ。
たったそれだけのことなのだ。
それなのに。
「俺には、友達の門出を祝う権利すらないってのかよ……」
俺のうめき声に、店主がますますばつの悪そうな顔をした。
「すまんな。お前さんはなにも悪くはない。
ただ……巡り合わせが悪かったんだ」
店主は椅子から立ち上がると俺の肩をポンと叩いた。
「トムの件が片付いたら店に来い。
好きなだけ酒を飲ませてやるから」
それだけ言うと彼は店の掃除に戻っていった。
俺だって、友人の幸せを邪魔したいとは思わない。
店主の言う通りにするのが一番だってことぐらい分かる。
俺は大きく深呼吸をして気持ちを立て直すと、カップの中身を一息に飲み干した。
当たり前のことだがビールは苦い。酒ってのはそういうものだ。
空のカップをその場において、そそくさと席を立とうとしたところで店のドアが勢い良く開いた。
こんな時間にいったい誰が来たのかと振り返って確かめる。
「よう、ジャック待たせたな」
入ってきたのはトムだった。
なんともまあ間の悪い奴だ。
チラリと店主の方に目をやると、あちらも諦め顔で首を振りながら目配せをしてきた。
何も聞かなかったふりをしろということなのだろう。
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