第42話 集結
俺たちの到着から二日経って、いよいよスティーブン殿下の軍勢は行軍を開始した。
出発に当たっては城下の人々の盛大な見送りを受けながらの出陣である。
角笛が勇ましく吹き鳴らされ、歩調に合わせて太鼓やら何やらがドンドコドンドンと小気味く響く。
門の上から手を振る貴婦人たちの中には余所行きの微笑みを浮かべた姫様の姿もあった。
彼女の本音は知らないが、ともかく殿下はきちんと彼女を説き伏せることに成功したらしい。
俺たちはかつて姫様に連れられてウェストモントへ向かった道を逆に進む。
最初の目的地はローズポート。
以前姫様を追いかけてきたあのおっかない伯爵の領地で、この島国の東部にある港町である。
そこで船に乗り大陸に渡るのだ、と〈犬〉が教えてくれた。
通り過ぎた王領の村々は相も変わらず荒れ放題だった。
何なら、俺たちが暴れまわっていた頃よりも荒廃しているかもしれない。
おそらく、俺達が今から向かう戦のために税をたんまり搾り取られたせいだろう。
これほど広い畑を耕してもまるで暮らしが楽にならないというのだからひどい話だ。
ウェストモントの狭いながらも豊かな村を見た後ではなおさら哀れに思えた。
そんな光景を見にしたおかげで、俺はまだ戦場にすらつかぬうちからすっかり気が滅入ってしまった。
その上、春先の少し湿った地面は先行する騎馬の群れのおかげでもうグチャグチャにぬかるんでいる。
一歩ごとに泥が足にまとわりついてくるので、歩くだけでも一苦労である。
こうなれば自然と愚痴の一つも出るというものだ。
「まったく、なんだってわざわざ海の向こうまで行って戦なんぞしなくちゃなんないんだろうな」
「今度の戦はウッツを奪還するのが目的だとか」
〈犬〉がそう教えてくれたが、ウッツが何なのか俺にはわからない。
「なんだそりゃ。お宝か?」
「大陸領の南にある都市です」
「聞いたことがねえ」
「まあ、そうでしょうな」
〈犬〉はそう言って苦笑したが、この世の中俺が知ってる場所の方が少ないんである。
「そんなところほっとけばいいのにな。
姫様の言う通り、大陸なんぞ放棄するわけにはいかないのかね。
あっちの領主たちにとっても仕える相手が変わるだけの話だろ」
「まあそうは言っても、王家にとっちゃ大陸側が本領みたいなもんですから」
「どういうことだ?」
「あの人らも元々は、大陸からやってきた一族なんですよ」
〈犬〉が説明してくれたところによれば、今の王家は百年も前に大陸からウェンランドに攻め寄せてきて王位を勝ち取ったのだという。
「そういうわけですから、王家に近しい大貴族は島と大陸の両方に領地がある家が多い。
そうなりゃ、王家が大陸を手放したくなったってそいつらが黙っちゃいません。
王家にしたって祖先伝来の地を放り出すなんて以ての外でしょうな」
「なるほどな」
どうやら、姫様の進む道はこの泥道と同じく前途多難であるらしい。
それからさらに七日ばかりの行軍を経て、俺たちはようやくローズポートに到着した。
驚いたのはその大きさである。
都市を囲む城壁はこれまで見たこともないぐらいに長い。
姫様の領地なんぞ丸まる飲み込んでしまいそうだ。
いや、さすがにそれはないか。ともかくそれぐらい大きく見えたのだ。
その上あの中にはぎっしりと住宅が詰まっているというのだから、いったいどれだけの人が住んでいるやら全く見当がつかない。
その長い長い城壁の内には大きな尖塔が二本ひょろりと伸びていた。
それぞれ塔の頂点には太陽と月を象った金銀の教会のシンボルが陽の光を反射してギラギラと輝いている。
この距離からでもあれほど大きく見えるのだから、近づけば俺の背丈よりも大きいかもしれない。
そして極めつけは街の背後に広がる海だ。
海を見るのはこれが初めてだった。
噂には聞いていたが、これほどでかいとは思わなかった。
見渡す限りにまっ平らな水面が広がっており、これに比べればあの都市ですらちっぽけに見えてしまう。
この広い海の向こうには、もっともっと広い世界が広がっているとは言うが、そうなると俺にはもう想像もつかない。
故郷の森を出て、いっぱしに世間の広さを知ったようなつもりになっていたが、自分の見聞きしていた世界がいかに狭かったかを改めて思い知らされた。
大陸との玄関口であるこの都市の周囲には、既に各地の軍勢が大集結していた。
その数はシルフィニ城に集まっていたそれとは比較にならず、城壁の周囲に陣取る色とりどりの天幕はまるで花畑だ。
俺達も割り当てられた場所に移動し、そのお花畑の一員になった。
残念ながら、俺たちの花は風雨をしのげることだけが取り柄のくすんだ色あいではあるが。
兄弟たちと野営地の設営に励んでいると、ダニエルがやってきた。
ダニエルはスティーブン殿下に仕える若い騎士で、俺たちの兄弟団とは以前からの顔なじみである。
「おお、ジャック殿! ここにおられたか!」
「これはダニエル様、何かご用事でしょうか?」
「うむ、殿下が急ぎのお呼びだ。
ついてきてくれ」
「承知しました」
俺はそう答えてから、〈犬〉に向き直って声をかけた。
「じゃあ、後は頼む」
「へい!」
まあ、そもそも設営の指揮を執っていたのは〈犬〉なのだから俺が抜けても何の問題もないのだ。
ところが。
「ああ、すまないが〈犬〉殿も一緒に来てくれとのお達しだ」
俺と〈犬〉は揃って顔を見合わせた。
殿下が〈犬〉に何の用だって?
殿下の天幕に身向かう道すがら、ダニエルが簡単に事情を説明してくれた。
「実は今、殿下に客人があってな。
ふとしたことから貴殿らの事に話が及び、その客人がぜひ一度貴殿らに会ってみたいと仰られたのだ」
なるほど。
俺達〈森の兄弟団〉の名は義賊として広く国内に知れ渡っているらしい。
その上、ローズポート伯に決闘で勝ったなんて噂まで出回っているというから困ったものである。
まあ、ともかくそれで顔を見たくなったといったところだろう。
しかし、俺はともかくわざわざ〈犬〉まで指名してきたのはどういうことだろうか?
実は〈犬〉のことは、兄弟団の外にはほとんど知られていないはずなのだ。
〈兎〉の歌にも、〈犬〉は出てこない。
恐らく、〈犬〉は意図的にそうしていると俺は睨んでいる。
世間向きには俺に手柄を集中させて、「宣伝」とやらの効果を高めるためだろう。
素直に〈犬〉の事も歌にすれば、俺が操り人形か何かにしか見えなくなるからな。
そうまでして、〈犬〉の奴が俺を立てる理由もよくわからんが。
ともかく、〈犬〉の事を知っているというその客人はよほどの事情通だろう。
油断のならない相手であることは間違いない。
〈犬〉の顔色も心なしか険しくなっている。
俺たちは、野営地設営のためにごちゃごちゃと忙しく動き回る兵達の間を縫うように躱しながら殿下の天幕へ向かう。
が、殿下の天幕に近づくにつれてそうした喧騒は少しづつ治まっていった。
これは単純な話で、殿下直卒の一隊は行軍の先頭を進んでいたから、設営も早く済んでいるというわけだ。
殿下の天幕は見た目こそ地味であったが、しかしかけるべきところにはしっかりと金のかかった逸品だった。
骨組みはしっかりしていて、風が吹いても揺らぎもしない。
厚手の外幕はちょっと矢を打ち込まれた程度であれば食い止めてのけるに違いなかった。
これであれば雨漏りや隙間風なんか悩まされることもないだろう。
清潔によく手入れされている様子から見て、蚤や虱とも無縁そうだ。
実に羨ましい。
そんなことを考えながらダニエルの後ろにつき、共に入口の前に跪いた。
「殿下の命を受け、〈木こりのジャック〉、およびその配下の〈犬〉をお連れいたしました。
殿下にお取次ぎ願います」
ダニエルが衛兵に告げると、衛兵がお伺いを立てるよりも先に中から返事が返ってきた。
「ありがとうダニエル、すぐに通してくれ」
衛兵とダニエルが苦笑いを交わす。
入口の垂れ幕を開けてくれた衛兵に一礼しながら天幕に足を踏みいれると、殿下が客人とにこやかに歓談していた。
ややよそ向きよりの表情をした殿下がこちらに手招きをしながら言う。
「よく来てくれた。さあ、奥へ」
言われるままに天幕の奥に進もうとした俺だが、思わず立ち止まってしまった。
「げっ!」
呻き声が漏れたのは殿下のせいではない。
問題は殿下の向き合って座り、ニコニコと穏やかに笑う例の「客人」だ。
「久しいのう、〈木こりのジャック〉よ」
そう穏やかに声をかけてきたのは、以前に俺がその右手を斬り飛ばした、あの追手の騎士だった。
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