第43話 再会
スティーブン殿下の天幕に入ったら、以前俺が返り討ちにした老騎士が殿下と歓談していた。
「久しいのう、〈木こりのジャック〉よ」
その声は、俺に右手を切り飛ばされたことがあるとは思えない程穏やかだった。
老騎士が俺に呼び掛けたのを見て殿下が首を傾げた。
「おや、面識がお有りでしたか」
「ええ、殿下。元は我が領の者でしてな。
どうした、ジャック?」
驚き固まる俺を見て、その老騎士は不思議そうな顔をしている。
いや、驚かない方がどうかしてるだろう。
なんであんたがここにいるんだ。
「ああ、そう言えばあの時は名乗っておらなかったか。
我こそはギルバートの子ジョン。王家に仕えホースヤード伯の称号と責務を預かる者である。
ジャックよ、その節は大変世話になったな」
「は、ははあ!」
俺は自分の立場を思い出して、慌ててその場に跪いた。
ホースヤード伯だって?
つまりあの時俺が右手を切り飛ばしたのは、領主様ご本人だったってことか!
くそ、爺ぃめ、俺をどうするつもりだ?
「ははは、そう固くならずともよい。
右手の怪我もほれ、この通りすっかり治っておる」
そう言って老騎士は切り落とされたはずの右手を振って見せた。
「お二人の間に何かあったのですか?」
スティーブン殿下が気づかわしそうに伯爵に尋ねた。
「ふふふ、この男が出奔した経緯はきいておりますかな?」
「……はい、貴方に仕えていた森番を殺めてしまったとか」
「では、その後に追手を返り討ちにした件については?」
「いえ、何も」
殿下の返事に伯爵は嬉し気な笑みを浮かべた。
「なんともまあ、本当に秘密を守っているとは。
まことにあっぱれな律義者よ!
殿下は良き家臣を得ましたな。
いやなに、この者が殺めた森番というのが実は中々の手練れの者でございましてな。
それを容易く一振りで斬り伏せたと聞いて興味が湧き、それがし自らが追手として出向いたのですよ。
実際会うてみれば強いのなんの、この通り――」
伯爵はそう言いながら服の袖をまくって右手首の傷跡を殿下に見せた。
「右手をすっぱりと切り落とされてしまいましてな。
殺すにはあまりに惜しいと、無罪放免を言い渡したのです。
その後も何かと気にかかって噂なんぞを集めさせておったのですが
かのローズポート伯を決闘で打ち破ったと聞いてひっくり返りましたわい。
よくぞ右手一本で済んだものだとさすがのそれがしも神々に感謝の祈りを捧げましたぞ」
「しかし、伯爵。その右手は繋がっているように見えますが」
殿下が不思議そうに伯爵に尋ねる。
俺も不思議だった。確かに俺はあの右手を切り落としたはずだ。
わざわざ傷口を縛ってやる手伝いまでしたのだから見間違えるはずがない。
「そう、実はそのことでジャックに話がありましてな。
そのためにわざわざ殿下にこの者らを御呼びたて願ったわけですよ」
伯爵はこちらに身を向けなおして言った。
「さてジャックよ、まずは我が手を治療してくれたことに礼を言う。
後で知ったが、あれが噂に聞く魔女の軟膏だったのだな。
斬り落とされた右手を元通りにつなげるとは真に驚くべき効果よ。
もしまだ持っているのなら譲ってはくれぬか?
金は言い値で出すぞ。知っての通り、それがしは命を購うに金を惜しまん」
確かに、あの老騎士の傷口に血止めついでに軟膏を塗ってやった記憶はあった。
あの軟膏はまだ俺が子供だった時分に、転んでできた擦り傷を治すために森婆から貰ったものである。
それにしても、なんつう効果だ。
「残念ながら、もうあの膏薬は手元にないのです。
放浪中に王領の代官に奪われてしまいましたので」
最初の森のねぐらが代官の手勢に襲われた際に、俺の荷物は一切合切奪われてしまったのだ。
その後、森の盗賊団と共に城を襲撃してどうにかトムの革袋だけは取り戻したものの、他の荷物についてはそれっきり行方不明になってしまっている。
「ですが森婆に頼めば分けてもらえるかもしれません」
一応言ってみたが、あの偏屈婆はおそらく伯爵の前には決して姿を現さないだろう。
だが、村人経由であれば手に入る可能性が無きにしも非ず。
ところが、それに続く伯爵の言葉は衝撃的なものだった。
「あの魔女はもう森にはおらぬ。恐らくな」
俺はその言葉に固まってしまった。
「あ、あの、それは一体……」
「実はあれからしばらくして、それがしも森に人を送ってみたのだ。
ところが、見つかったのは空になった草の小屋が一つきり。
村の者が言うにはこれが魔女の棲家で間違いないということじゃった。
だが、肝心の魔女はどこにもおらんかったのだ」
森婆がいなくなったというのはおそらく本当だろう。
なにせ、婆さんが不在の時にあの小屋につながったことは過去一度もなかった。
あの小屋に婆さんの許し無しにたどり着けるはずがないのだ。
つまり小屋を隠していた魔法は消えてしまったのだろう。
森に戻りさえすれば、いつでも婆さんに会えるような気でいたのに。
俺は何とも言えない寂しい気持ちになった。
両親や、ハンス爺さんと別れた時ともまた少し違う寂しさだった。
「魔女とは親しかったのか?」
「はい、よくしていただきました」
「それはつらい事であるな」
しばしの沈黙。それから伯爵が再び口を開いた。
「ところで先ほど言っていた代官というのは、あのオクスレイ城のか?」
「はい」
俺の答えを聞いて、伯爵はなぜかニヤリと笑った。
「……ふむ、それは残念。
諦めるとしようかの」
伯爵はまったく残念そうには見えない口ぶりでそう言うと、じっと俺を見つめた。
それから一瞬だけ〈犬〉に視線を移した後、殿下に向きなおって言った。
「この者らは手元に置くよりも前方に送り出して遊撃に充てるのがよいでしょう。
これまでの噂を聞く限りでは、抜群の働きを見せてくれるものと愚考いたします」
「ご助言に感謝いたします、伯爵。
私もそう思っていたのです」
「流石のご見識ですな、殿下。
では、この者らは一度我が息と顔を合わせておくのがよかろうかと。
先陣を任せておる故、連携の足しになるかもしれませぬ」
「では、落ち着いたところで貴殿の陣営を訪ねさせましょう」
「よろしくお願いいたします」
そう言って、伯爵は席を立つと殿下に一礼した。
「お忙しい中、お時間を頂きありがとうございました、殿下」
「こちらこそ、戦のやりようについて有用な助言をいただき感謝いたします。
貴殿のような老練な戦士と盾を連ねられること、まことに心強く思います」
「もったいなきお言葉。
それでは失礼いたします」
「ご武運を」
「ご武運を」
伯爵は俺たちの脇をすり抜けて、天幕の出口へ向かった。
が、天幕を出る直前、不意にくるりと振り返った。
「ああそうだ、ジャックよ。
それがしを返り討ちにした一件についてはもう隠し立てせずともよいぞ。
むしろ大いに宣伝するがいい。
武力で身を立てようというなら箔が必要になる。
ローズポート伯程ではないが、少しはお主の名声を高めてくれるだろうて」
「ご、ご高配、感謝いたします」
「ふふん、作法の方も順調に身に付けておるようだの。
それはいずれきっと役に立つ。励むがいい。
それから――」
ついで伯爵は〈犬〉に視線を向けた。
「フレデリックよ」
呼びかけられて、〈犬〉が肩をビクリと震わせた。
「望外の見事な働きであった。
約束の褒美を取らす故、いつでも我が陣幕を訪れるがよい」
〈犬〉は顔を伏せたまま答えなかった。
伯爵はそんな彼の様子を見てフッと小さく笑うと、そのまま天幕を出て行った。
出口の垂れ幕が閉じるのを待って、殿下が口を開いた。
「〈犬〉よ、伯爵とは以前から面識があったのか?」
「はい、殿下」
〈犬〉が顔を伏せたまま答えた。
「それで、褒美とはなんの事だ?」
「そればかりはご容赦を。
決して殿下に害のある事ではありませぬ故」
殿下はしばらく〈犬〉のことをじっと見つめていたが、やがて小さくため息をついて言った。
「まあ無理強いはせぬ。
だが気をつけろよ。あれはなかなかに危険な御仁だ。
褒美がなにかは知らんが、決して油断しないことだ」
「身に染みております」
「そうか、ならばいい。
其方らの働きには大いに期待している。
くれぐれも身を大事にするように。
では戻ってよろしい」
「はっ」
〈犬〉と揃ってもう一度頭を下げ、俺達は殿下の天幕を退出した。
相変わらず騒がしい野営地の中を、〈犬〉と肩を並べて歩く。
「なあ、さっきの褒美ってなんだ?」
俺は殿下と同じ質問を〈犬〉に投げかけた。
〈犬〉は油断のない目つきで周囲を見回した後、何でもないような口振りで答えた。
「人の多いところではちょっと」
なにやら後ろ暗い話になるらしい。
「ですが、いずれ必ず」
「そうか」
また行軍が始まれば、周囲は俺たち兄弟団の仲間だけになる。
そこでゆっくり聞き出せばいいだろう。
*
俺たちの野営地に戻ると揉め事が起きていた。
野営地の一角に人だかりができており、何やら互いに怒鳴りあっている様子。
「お、お頭~!」
俺たちに気づいた〈大鼠〉が情けない声を上げながら駆け寄ってきた。
「いったい何事だ?」
「それが、隣の奴らの天幕がこっちの割り当てにはみ出してたんですよ。
それで〈柄杓〉の奴が文句を言いに行ったら、向こうも強面を押し出してきやがって……」
なるほど。
エルマーも近頃すっかり荒っぽくなってきたからなあ。
「まだ手は出してないだろうな?」
「へえ、ビルとセシルが何とか抑えてますんで」
「よし、後は任せろ」
手さえ出してなければ何とか収めようがあるだろう。
怪我人やら死人やらが出ていれば、最悪の場合殿下に仲裁を頼まなくてはいけなくなる。
「おい、お前らどけ!」
兄弟たちをかき分けて人垣の真ん中へ向かう。
まず目に入ったのは、今にも相手側に殴り掛かりそうなエルマーと、それを抑えるビルとセシル。
相手と言えば、こちらは自作農の弓兵と思われる強面が三人ばかり。
その三人の前に、郷士らしい身なりの良い若者が立ちふさがってこれを押しとどめていた。
「頼むから! 下がって! 下がってください!」
「若旦那こそ下がってて下せえ!
こちとら先祖代々の畑を守る自由民だ!
土地も持たねえ流れ者どもに舐められるわけにゃあいかねえんです!」
どうやら、あの若旦那とやらが相手側の責任者らしい。
俺は思わず彼に同情してしまった。
血の気の多い奴らはすぐこれだからな。
俺はエルマーに歩み寄ると、背後から頭に拳骨をくらわした。
「い、痛ってえ! おい! 何しやがる!」
そう言いながら振り返ったエルマーは、俺の顔をみて驚き口をもごもごさせた。
「あ、いや、お頭、今のはその……」
「エルマー。お前はいったん下がれ」
「いや、お頭が出てくるまでもねえです。ここは俺にお任せを――いてっ!」
俺はもう一発エルマーに拳骨を食らわせ、黙らせた。
「何がお任せだ。こんなに大事にしやがって。
あとは俺が始末するから引っ込んでろ」
「へ、へえ……」
エルマーはしょんぼりした様子で俺の後ろに下がった。
こういう時の様子はいかにも昔のエルマーらしい。
それから俺は、相手側の三人を抑えていた若旦那に声をかけた。
「あんたがそっちの頭かい?
俺はウェストモント公の配下で、この一党を預かる〈木こりのジャック〉って者だ」
「〈木こりのジャック〉だって!?」
若旦那が突然こちらを振り返った。
そして俺の顔を見て目と口を真ん丸に開く。
驚いたのはこっちも同じだ。
「おい! トム! お調子者のトムじゃないか!」
「ジャック! お前、生きてたのか!」
俺たちは互いにひしと抱きしめあった。
周りはポカンとした顔で俺たちを見つめていたが、なに構うことはない。
二度と会うことはできないと思っていた親友と、再び相まみえることができたのだ。
他人の視線など何ほどのものか。
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