第46話 説得

 尼さんが二人、従軍を申し出ていると言うので見に行ったら、どういうわけか姫様と師匠が居た。

 俺は〈犬〉の頭を引き寄せて訊ねた。


「おい、スティーブン殿下には報せたか?」


「いえ、まだです。本当につい先程お出でになったばかりなので」


「他に知ってるやつは?」


「一部の兄弟たちだけです。気づいた者には口止めしてあります」


「よし」


 流石は〈犬〉だ。対応にそつがない。


「ひとまず天幕の中にご案内しろ」


「はい。では尼さん方、こちらへ」


 手近な天幕の中に二人を押し込み、それから〈犬〉を見張りに立てて人を遠ざけさせた。


「もういいですよ、殿下」


 俺がそう言うと、若い方の尼さんがふうと大きな息をつきながらフードを外す。

 ひょっとして俺も含めて皆が揃って勘違いをしていただけではないかと微かな期待をしていたのだが、それも打ち砕かれた。


「ねえ、ジャック。私を置いて行ってしまうなんてひどいんじゃないかしら」


「ご納得の上でのことと思っておりましたが」


「納得なんてするわけないでしょう?

 堅苦しいのはなしよ。貴方も楽になさい」


 そんなこと言われたって、とてもじゃないが楽な気分になんぞなれるわけがない。

 殿下の目論見などわかりきっている。

 万が一命令されてしまえばもう手遅れだ。

 俺は機先を制して言った。


「戦場にお連れするわけにはいきませんよ、殿下」


「どうしてよ」


「危険だからです」


「じゃあ、どうしてステフはいいっていうのよ!」


 子供みたいなことを言わないでくれよ。

 せめて、真っ当な口答えをして欲しいところだ。


「ウェストモント公とはお立場が違います、殿下」


「同じ王族で何が違うっていうのよ。

 結局私が女だからでしょう!」


「その通りです、殿下」


「その通り、じゃないわよ。

 今のままじゃ、誰も私の話を聞いてくれない。

 私が女だから、戦う力がないから。

 それじゃだめなのよ。

 私も戦場に立てるんだって証明しないといけないの」


「だからと言って、自ら剣をお振りになる必要はないでしょう。

 危険な仕事は私どもにお任せください。

 私どもが、代わって剣を振ります。そのためにお仕えしております。

 殿下に於かれまして、安全な場所から私どもに指示を出していただければいいのです」


 そうとも、危険で穢い仕事は俺たちが引き受ければいいのだ。

 姫様が手を汚す必要はない。


「それじゃダメなのよ、ジャック。

 そんなやり方で、本当の意味で人を動かせるわけがない。

 ねえ、もし私がマーサに手紙だけ持たせて森に送り出していたら、貴方達は私に降ったかしら?」


「……いいえ」


 少なくとも、心を動かされはしなかったろう。


「そうでしょうとも。誰かに危険を押し付けるだけじゃ、誰にも信用されないわ。

 私自ら剣を振る必要はない、それはその通り。

 だけど口だけでもダメ、それも分かってくれるでしょう?」


「し、しかし……」


 俺は言葉に詰まってしまった。

 口で争ったって姫様にはかなわない。

 〈犬〉を外に置いてくるんじゃなかった。

 あいつがいればまだ何とか……。

 助けを求めて視線を彷徨わせると、師匠と目が合った。

 俺の視線を受けて、師匠が重々しく口を開いた。


「ジャック殿、既に殿下は覚悟を決めておられます。

 貴方の忠心を疑いはしませんから、ご指示に従いなさい」


 くそ、この婆さんに期待した俺が馬鹿だった。

 そもそも、この婆さんは姫様が盗賊のアジトに乗り込むなんて無茶すら止めなかったお人なんである。

 こうなったら最後の手段だ。

 スティーブン殿下に告げ口して引き取ってもらおう。


「……殿下、しばしお待ちを」


 俺は天幕の外で警戒をしている〈犬〉に声をかけようとした。

 が、しかし。


「待ちなさい」


 何かを察した殿下から待ったがかかった。

 待てと言われたら待たねばならない。

 俺の動きがぴたりと止まったのを見て、姫様がニヤリと笑った。


「ああ、そうだったわね」


「お、おい、やめろ……」


 落ちたものでも拾わせるような気楽さで、姫様が再び口を開く。


「命令よ、ジャック。

 私を戦場に連れて行きなさい」


「くそったれが!!」


 怒りのあまり、思わずありったけの声で叫んでしまった。

 と同時に、視界が急降下し衝撃と共に顔が地面に叩きつけられる。

 師匠だ。

 俺は取り押さえられたことにも構わず叫んだ。


「クソ! クソッ! 取り消せ! すぐに!」


「な、何よ。別にいいじゃない。

 貴方に死ねって言ってるわけでもないんだし……」


「そういう問題じゃねえ! 命ならいくらでもかけてやらあ!

 だが、アンタが自分から危険に飛び込むんじゃ守りようもねえだろうが!」


 俺は師匠を振りほどこうともがいたが、あの枯れ木のように細い体のどこにこんな力があるのか、ピクリとも動けない。

 そこへ天幕の入り口が少しだけ開かれ、〈犬〉が顔を出した。


「お頭、少し声を抑えて――っ!?」


 彼は俺が師匠に取り押さえられているのを見て一瞬剣を抜きかけたが、すぐに思い直したらしく緊張を解いた。

 そして呆れた声で言う。


「何してるんですか、お頭」


 俺に代わって師匠が応じた。


「お二人は少し冷静になる必要がございます。

 ジャック殿を引き取っていただけますか?」


「承りました」


 ようやく身動きが取れるようになった。

 〈犬〉に引き起こして貰い、姫様に一礼してから天幕を退出する。

 姫様はプイと横を向いたままこちらに一瞥すらくれなかった。


 天幕を出ると兄弟たちがこちらの様子を遠巻きに窺っていた。

 ああ……まあ、そうなるよな。


「一応、箝口令は敷いています。

 すぐに隊外に漏れるようなことはないでしょうが、船を降りるまではもう酒は飲まさん方がいいでしょうな。

 おい、お前ら! さっさと仕事に戻れ!」


 〈犬〉に言われて、兄弟たちは逃げ出すように荷造りの仕事に戻っていく。

 それから〈犬〉は人気のない――というより他の奴が俺たちを避けた――所に俺を座らせてから訊ねた。


「で、何があったんですか?」


「しょうがねえだろうよ。姫様があんまり無茶を言うんもんだから……」


 俺は天幕の中で起きたあらましを〈犬〉に話す。

 すると、〈犬〉がまた呆れた表情を浮かべた。


「そりゃもう完全にお頭が悪いですよ」


「何が悪いってんだよ。

 お前も姫様を戦場に連れて行った方がいいっていうのか?」


「そうは言ってませんよ。

 主君が間違った判断を下そうとしているなら、それを止めるのも家臣の立派な仕事です」


「だったら何が悪いんだよ」


「やり方ですよ。やり方。

 例えばですよ、俺がお頭に何か意見したいことがあったとしましょう。

 ところが、私がそれをお頭に言わずに、殿下のところに行ってお頭に命令するよう頼んだら、お頭はどう思います?」


「そりゃあ……確かに腹が立つだろうな」


「そうでしょうとも。

 頭越しにやるんじゃ筋が通りません。

 キチンと主に諫言してこそ、真の忠臣ってもんです」


「そうは言っても、口じゃ姫様には勝てねえよ」


「話に筋が通っていて反論が見つからないってんなら、それは殿下が正しんですよ」


「でもよう、姫様は戦場の危険さが分かってねえんだよ」


「それについてきちんと説明はしましたか?

 さっきの話を聞く限りじゃ、その話は出てないようでしたが」


「ん……、まあ、確かにしてなかったが……」


「だったらまずはそこからですよ。

 お頭が口下手でうまく伝えられないってんなら、俺も手伝いましょう」


「だけどそれでも姫様が行くって言ったらどうするんだよ。

 ありゃとんでもない頑固者だぞ」


「殿下が危険を理解して、それでも行く覚悟であるならば、そんときゃ我々も腹をくくりましょう。

 殿下の意思よりも、自分のやらせたいことが優先だっていうんなら、そりゃもう忠義じゃございません。

 そうじゃありませんか?」


「うん、まあ……そうだろうが……」


 その時、姫様の天幕の入り口が少し開き、師匠が顔を出した。


「こちらはもう良うございますよ」


「それじゃあ、行きましょうか」


 〈犬〉に促され、俺は立ち上がった。

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