第56話 後始末
城内に残る敵を掃討し、自分たちで付けた火を消し終わったころにはもうすっかり夜が明けてしまっていた。
もっとも、火については「燃え尽きた」と言った方が正確なのだろうが。
昨夜の禍々しい炎はすっかり灰へと変わり、燃え残りの炭ともども朝日に照らされて大人しく燻っている。
燃え尽きたのは建物だけじゃない。
我らが兄弟たちも戦闘の興奮から覚め、一様にぐったりと座り込んでいる。
気が抜けてしまっているのは俺も一緒だ。
まさかこんなにうまくいくとは思わなかった。
こちらの死者はわずか三人。
仲間の死は悲しむべきなのだが、どうにも非現実的な流れの中にあって心がうまく働いていない。
「なんともまあ、あっさりしたもんだな」
そんな具合で呟いたところに、〈犬〉が声をかけて来た。
「むしろここからが本番ですよ、お頭。
奪ったら今度は守らにゃなりません。
すぐに見張りを立てましょう。
いつもの二十人隊ごとに交代でいいですかね?」
流石は〈犬〉である。
俺たちの実質的な指揮官はこんな時でもそつがない。
「お、おう。そうだな。
奪ったところを油断して取り返されたんじゃ締まらねえ」
「じゃあ、まずは私の組から見張りにつきます。
お頭は他の組にも声をかけて、皆を休ませてくだせえ」
こいつが言う通り、多分、疲れ切って、勝利に気が抜けている今が一番危険な時なのだ。
そういう時は一番頼れる奴に任せるに限る。
「分かった。悪いが先に休ませてもらうぞ」
「はい、お任せを」
〈犬〉は早速自分の隊の者を呼び集めて、配置を指示し始めた。
さて、と。
休ませると言ったところで兵舎は焼けてしまったので、主塔の大広間で雑魚寝するしかないのだが。
俺は〈犬〉に背を向け、周囲の兄弟たちに声をかける。
「お~い! 休むんなら地べたじゃなくて主塔で休め。
その前に焼け跡から寝るのに使えそうなものを集めてこい!」
、
「へ~い」
兄弟たちはノロノロと立ち上がると、ぼんやりとした目つきで焼け跡をひっくり返し始めた。
野営用の寝具の類は姫様や他の荷物と一緒に城の外に置いてきている。
松明を灯すための別動隊が回収してくる手はずになっているが、彼らはまだ戻ってきていない。
ああ、いや、違うな。
もしかして、まだ伝令を出してないんじゃないか?
思い出せないのは頭がまともに働いていない証拠だ。
俺は振り返って〈犬〉に訊ねた。
「なあ、別動隊に伝令って出したっけ?」
〈犬〉がしまったという顔をする。
やっぱりこいつも頭が回らなくなっていたか。
道理で奴らもいつまでたっても帰って来ないわけだ。
「分かった。見張りの順番が最後になるウィルの隊から伝令を出させておくぞ」
「申し訳ない。それでお願いします。
ああ、そうだ、お頭。もう一つ忘れていたことが」
「なんだ」
「ほら、城主の奥方がいたでしょう。
挨拶しといてください。
それから、あそこの見張りにも、もうじき交代が来るからもうひと踏ん張りしろって伝えといて下せえ」
「おう、分かった」
そういや、そんなのいたなあ。
戦いに忙しくてすっかり忘れていた。
俺はいっそうぐったりしてしまった。
貴婦人の、それも落城でストレスの溜まったお方の相手なんて面倒なことになるに決まっているのだ。
とはいえ、これは仮にも一党の頭である俺の仕事であるのは間違いない。
俺は手近な兄弟を捕まえて言った。
「おい、もういいぞ。
まともな焼け残りなんてないだろうからな。
さっさと切り上げて休め。
他の連中にもそう伝えろ」
「へ~い……」
そいつはボケッとした顔付きで返事をすると、ノタノタと近くの兄弟のところに向かって行った。
次いでウィルを呼び、別動隊への伝令を出すよう指示を出す。
それから、城の奥方たちに会いに行くため主塔の階段へと向かった。
俺が部屋に入ると、城の奥方は背筋をまっすぐに伸ばして迎えてくれた。
奥方の他には幼い子供と召使が二人ずつ、こちらは部屋の隅に怯えるように集まっている。
部屋の主である奥方は、取り乱した様子もなく、まるで俺を推し量るようにまっすぐ見つめてきた。
その視線に敵意や怯えは感じられない。
互いに名乗り合った後、彼女は挨拶もそこそこに俺に問うた。
「それで、私共はこれからどうなるのかしら?」
俺は正直に答えた。
「まだ何も決まっておりません」
実のところ、俺達も持て余しているんである。
「奥方様方の処遇については、ウェストモント公に諮らねばなりません。
公の御沙汰をお待ちください」
「それは、公が戦に勝てばのお話ではなくて?」
奥方の言うとおりである。
こちらは敵の背後に回り込んでいるのだ。
スティーブン殿下が勝てばいいが、負ければ目も当てられないことになる。
「公の勝利を願っております」
「それはそうでしょうね。
では、私たちの側が勝ったら?」
「その時は、こちらが奥方様のご慈悲に縋る番になります」
「では、私は楽しみにその時を待つことにいたしましょうか」
そう言って彼女はフッと表情を緩ませた。
「それにしても正直な方ですこと。
てっきり、昨晩応対した方があなた達の首領だとばかり思っておりましたの。
貴方が指揮官だと名乗った時には意外に思いましたが……少しばかり安心いたしましたわ」
昨晩、と言うことはおそらく〈犬〉の事だろう。
俺の様な若造の方がくみしやすい、という意味か?
まあ、駆け引きを仕掛けられたところで、こちらから引き出せるものなんぞないのだからどうでもいいが。
「ご安心頂けたようで何よりです。
ひとまず、お子様や使用人の方々を含め皆さまの安全は私が保証いたします。
主塔の、この階だけであれば自由に出歩いていただいて構いません。
何かご要望がございましたら何なりとお申し付けください。
戦の最中ゆえ、ご不便な思いをさせることになるとは思いますが、可能な限り対応させていただきます」
「安全さえお約束いただけるなら、こちらから申し上げるこはございません。
怪我をせぬよう大人しくしておくことにいたします」
「ご理解いただき嬉しく存じます」
「こちらこそ。
どちらが勝利するにせよ、つかの間のお付き合いとはなるでしょう。
しかし、せめてその間だけでも良き友人でありたいものです」
そう言って彼女はこちらにニコリと微笑みかけた。
まったく貴族の女というのは大したものだ。
昨晩の戦いの中で、この奥方も多くのモノを喪ったはずだ。
内心では腸が煮えくり返る思いだろうに、それをおくびにも出さない。
呪い抜きにしても、俺には到底まねのできない芸当だ。
「まことに、私もそう思います」
俺もそう応じて一礼し、奥方のもとを退出する旨を告げる。
長居したところでお互い気づまりするばかりだろう。
部屋から出ようと扉に手をかけたところで、背後から声がかかった。
「ああ、そうでした。
一つ、お尋ねしておきたいことがありましたの」
俺は振り返って応じた。
「なんでしょう、奥方様」
「爺――いえ、城代のユーグは無事かしら?」
おそらく、俺が昨晩最初に斬った男のことだろう。
「戦死なされました」
「そうですか。
教えていただき感謝します。
もう下がってもよいですよ」
「それでは、改めて失礼いたします」
俺は再度一礼し、部屋を出る。
扉の内からは、女のすすり泣く声が聞こえた。
彼女と友好的な関係を築くのは難しそうだな。
*
大広間に戻り、兄弟たちとウトウトしていた所を〈犬〉の配下に揺り起こされた。
「どうした」
「別動隊が戻りました」
「おう、そうか」
ありがたい。これで寝具が使える。
薄い毛布一枚でも、あるのとないのとじゃえらい違いだ。
俺が門の所に出迎えに行くと、ちょうどエルマー率いる別動隊が跳ね橋を渡ってくるところだった。
「お~い! 待ってたぞ! 無事でよかった!」
「お頭こそご無事で何より!」
「お前らがうまくやったおかげだ。
ひとまず、主塔で寝てる奴らに毛布を持ってってやってくれ。
昨晩はずっと戦いやら消火やらで寝てないんだ」
「へえ、わかりやした。
あっしらはあの後きっちり休んでますんでね。
元気いっぱいですよ」
「やったわね、ジャック!」
呼ばれて視線を向けると、尼僧の格好をした姫様がどうだとばかりに胸を張っていた。
「私の言った通りだったでしょう?」
今回の勝利は本当に見事なモノであったから、この態度も当然だろう。
だが、俺は唇に指をあてて静かにするよう促してから、背後の主塔をそっと指差した。
「きちんと尼僧の振りをしててくれ。奥方様が見ているかもしれん」
彼女はチラリと主塔に目をやった後、しおらしく祈りの仕草をした。
それから小声で言う。
「奥方様って城主の? 捕まえたの?」
「ああ、そうだ」
「ふーん……ねえ、奥方の所に行っていいかしら?」
「なんのつもりだ」
「情報収集よ。
お世話係ってことにして私たちが潜り込むの。
従軍尼僧なら、そう言った役目にぴったりでしょう?」
「大丈夫か?
樽を運び込む時に顔を見られてないだろうな?」
どうも、奥方と俺が殺した城代は親しい関係にあったらしい。
ただの従軍尼僧ならともかく、彼を騙すのに積極的に加担していたと知られれば面倒が起きかねない。
「見られてないと思うけど……残っているのは女性と子供だけなんでしょう?
マーサがいれば何とでもなるわ」
それは確かにそうだろうが……。
まあ、うちの荒くれ者どもが近くをうろついてたんじゃ、奥方達も気が休まらないだろう。
その点、姫様と師匠の方が適任ではある。
ついでに何か役に立つ情報が得られれば儲けもんだ。
俺は少しの間考えた後、姫様の好きにさせることにした。
「それじゃあ、奥方の所へ案内する。
できるだけ友好的な関係を築きたいんだ。頼むぞ」
「任せておいて」
姫様と師匠を奥方の所へ連れて行き、紹介する。
奥方の表情は相変わらずだ。
それからまた大広間へ行き、毛布を被って眠った。
日が登りきった頃にまた起こされて、〈犬〉の隊と交代して見張りにつく。
その際、〈犬〉の提案で兄弟のうち馬に乗れる者を六人ばかり伝令に送り出すことになった。
三騎ずつ二組である。
俺達が総勢六十七人であることを考えると、これだけの人手を出すのはなかなか痛いのだが、敵中を突破し、速く、確実に報せるにはやむを得ない。
斥候も兼ねていて、途中でこちらへ向かう敵兵を見かけたら一人を送り返すよう言い含めてある。
落城の知らせを聞いたアンディカ伯が奪還のために兵隊をよこさないとも限らないからだ。
兄弟たちを見張りに配置し、俺自身も城壁の上を歩いて回る。
城壁から身を乗り出して外堀を覗いてみれば、泥の底に城兵の死体がいくつか転がっているのが見えた。
城から逃げ出すために飛び降りて、怪我でもして動けなくなったんだろう。
死体は城壁の中にもまだたくさん転がっている。
よくよく見れば、ほとんどが老人か、あるいは子供と言ってもいいぐらいの若者だ。
恐らく、城主がまともな兵隊の殆どを戦場に連れて行ってしまい、余った徴集兵でどうにか守備隊を捻り出したに違いない。
かわいそうなことだ。
早いとこ片付けてやらないといけないな。
そんなことを考えていたら、どこからかいい匂いが漂ってきた。
ウィルの隊が食事の支度をはじめているのだろう。
同時に、腹がぐうと鳴った。
こんな時にも腹が減るのかと苦笑しかけたが、よくよく考えれば最後に飯を食べたのは樽に詰められるよりも前の事なんである。
丸一日、食事をしていないというのにこれまで空腹を意識できなかったのだから中々深刻な事ではないか。
自分の置かれた危険な状況に、俺は改めてぞっとした。
何事もなく見張りの時間を勤め上げ、ウィルの隊と交代する。
食事を済ませた俺は、再び奥方のもとへ。
相談の末、城兵たちの死体は城の外に仮埋葬することになった。
先程預けたばかりの姫様と師匠を奥方様の所から借り受ける。
エルマーの隊にも声をかけ、浅い穴を掘り、そこに死体を並べて軽く土をかけていく。
戦死した兄弟たちからは、髪を一房切り取っておく。
死体を並べている最中に、ふと姫様の手が止まった。
何かと思えば、死体の中に昨晩俺が切り殺した城代を見つけたらしかった。
「……謝りたかったのに」
彼女がそんなことをポツリとつぶやいた。
「生きてたって許しちゃくれなかっただろうよ」
「それは……そうだと、思うけど……」
彼女の視線が再び死人へと落ちる。
何か気の利いた事でも言ってやりたかったが何も思い浮かばず、代わって出たのは軽口だった。
「俺が斬ったんだから俺の手柄だ。とるなよ」
「……もう少しましな言い方しなさいよ」
姫様はそうぼやくと、俺から離れていった。
死体の数はこちら側と合わせて三十と少し。
なんだかんだ、城兵の大半はうまいこと逃げおおせたらしかった。
きっと、城壁がさほど高くなかったことが幸いしたのだろう。
全ての死体に土をかけ終わった後、師匠の唱和に合わせて皆で祈りを捧げた。
それから、大広間に戻ってまた眠る。
少しばかり気持ちが落ち着いたのか、それとも体を動かしたのがよかったのか、今度は泥のように深く眠った。
夜中になって、また目が覚めた。
矢間から空を覗き、月の高さを確かめる。
今は〈犬〉の隊が見張りについている頃合いだろう。
交代するにはまだ早いが、よく眠ったおかげか目はすっかり冴えてしまい、寝直すこともできそうになかった。
仕方がないので、俺は起き上がって見回りをすることにした。
〈犬〉であればそつなくこなしているだろうが、それでもたまにこうして確かめておくことは重要である。
これは外ならぬ〈犬〉自身が俺に教えた事だった。
〈犬〉が配した見張り一人一人に声をかけ、問題がないことを確認していく。
城壁の上を一通り確認し、主塔に戻ろうとしたところで〈犬〉と鉢合わせた。
どうやらこいつも、見回りのために見張り台から降りてきたところだったらしい。
「おや、お頭。見回りですか。これは結構なお心掛けで」
「そっちもご苦労。問題はないか?」
「へえ、問題ありません」
「そうか。じゃあ俺はもうひと眠りするかな」
「へえ、あとはお任せください
と言っても、もうじき交代ですがね」
そうなんだよなあ。
どうしたものか――、あ、そうだ。
「そうだ、ちょっとおしゃべりに付き合ってくれよ」
「別に構いませんが……何か問題でも?」
「問題ってわけでもないんだけど、ちょっと気になってたことがあってさ」
「へえ」
俺は主塔とは逆の人気のない方に足を向けた。
〈犬〉も無言でそれについてくる。
「お前、この城のこと知ってたのか?」
樽から抜け出して、見張り台を制圧し、奥方達の居室を開けるまでの間、〈犬〉は一度も迷わなかった。
この城にたどり着く時もだ。
それで、もしかしてと思ったのだ。
「……はい、よくお気づきで。
昔、ここの城主に仕えてましてね。
ああ、もちろん今の城主とは違います。
まだメイン伯領をウェンランドが抑えていた頃です。
もう、かれこれ十年ばかり前になりますかね」
「やっぱり、元は騎士か何かか」
「はい。ちょうどいい機会ですからね。
昔話でもさせてもらってもいいですか」
「いいのか?」
俺がそう聞き返すと〈犬〉は苦笑した。
「前にも約束しておりましたので。
お手数ですが、殿下にもご一緒していただきたく」
前に約束、というとホースヤード伯の褒美も話に含まれるということか。
「どういう風の吹き回しだ?
スティーブン殿下には聞かれたくなさそうだったのに」
「姫様とは立場が違うお方でしたので。
大した話じゃないですが、まあ少しは役に立つかと思いますよ」
「……ちょっと待ってろ」
「よろしく願います」
俺は〈犬〉をその場において、姫様を呼びに主塔へ向かった。
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