第12話 柄杓名人
翌日から俺たちは小屋作りに取り掛かった。
小屋を建てるといってもたいして立派なモノを作るわけじゃない。
森婆が暮らしていたような、穴の上に適当な木組みを被せて草やらなんやらで屋根を葺いた簡素なものだ。
サイズもさほど大きくはない。
せいぜい大人四人が、真ん中にこさえた炉を囲みながら座れる程度の広さだ。
中で全員が寝ようとすればかなり窮屈な思いをすることになる。
こんな物でも、四人がかりで三日かけてようやく作り上げたのである。
小さく作ったのは何も労力だけが問題ではなかった。
このつくりでは、床面積を広く取ろうとすると必然的に屋根の天辺もどんどん高くなっていく。
あまり高くすればひどく目立つ代物になってしまうのだ。
とはいえ、このままでは寝るのも辛いので、同じような作りで男一人が横になれる屋根付きの寝床を各人でこさえた。
実に野性味あふれる、小屋と呼ぶのもはばかられるような出来ではあったが、それでもこうして完成したものを見ていると何となく気分が高揚してくる。
虫が多いのには辟易したが、まあこれは仕方ない。
雨風をしのげるだけでもずいぶんとありがたいんだから。
*
さて、住処は手に入れた。
当面の食料にも事欠かない。
ほとぼりが冷めるまでの短期間と思えば、これ以上住処を整えるのも面倒だ。
というわけで、俺たちは暇を持て余していた。
大体において、暇を持て余した男が幾人か集まればろくでもないことを始めるものだ。
無論、俺たちとて例外ではない。
とはいえここは森の奥深く。
ろくでもないと言ってもたかが知れている。
そうしたわけで、洗濯をしに川へ出た俺たちはなぜか洗濯そっちのけで柄杓で水を撒いていた。
「そーりゃ!」
気合いを入れる掛け声とともに、俺は思い切り柄杓を振った。
柄杓一杯に汲んだ水は空中に広がるように飛びながら、河原の乾いた石にぶつかってぴしゃりと飛び散る。
「さっすがお頭! おいらよりも三歩も遠くに飛びましたぜ!」
ちびのセシルが一番遠くに届いた水滴の跡を確認して報告する。
本日開催された柄杓の水飛ばし競技会において、今の俺は暫定一位である。
「おい、どんなもんだ、エルマー」
俺はセシルが立っている地点を指しながら振り返った。
柄杓の水飛ばし名人を自称し、皆が水を撒くのを腕を組んで偉そうに見守っていたエルマーがニヤリと不敵な笑みを浮かべて応じた。
「お頭も、柄杓の扱いに関しちゃあっしの足元にも及びませんなぁ」
「なんだと。ずいぶん言うじゃねえか」
「そんな風に下からや横に振ったりしているうちはまだまだでさあ」
エルマーは俺が投げ渡した柄杓をパシリと受け取ると空の柄杓を打ち下ろすように振って見せた。
「こんな風にね、上からブンとやらないと」
俺はそれを見て思わず笑ってしまった。
「ハハハ! なに言ってやがる。
それじゃあ水が全部こぼれちまうだろうが」
「そうやって笑ってられるのも今のうちでさあ」
エルマーは柄杓一杯に水を汲むと、目印代わりに置いた木の枝から一歩下がったところに立った。
ちなみにこの枝より前に足が出たら反則負けだ。
「そんじゃあ、あっしの技をよーく見ててくだせえよ!」
言うが早いか、エルマーはぐっと踏み込みながら大きく回すように全身を使って柄杓を振った。
柄杓から飛び出でた水はきらきらと光る飛沫で虹を描きながら、俺の記録よりも倍は先にある大岩に当たってぴしゃりと飛び散った。
「どうです、お頭。
こりゃもう文句なしであっしの勝ちでしょう?」
エルマーがどや顔をこちらに向けながら言う。
確かにあいつの水は誰よりも遠くまで飛んだ。
「いいや、俺の勝ちだな」
「ええ! そんなわきゃないですよ!
悔しいのは分かりますけどね、こういう時はちゃんと負けを認めて貰わないと」
「よく見ろ、足が木の枝より前に出てる」
俺の指摘を受けてエルマーは足元を確認し、それからがっくりと崩れ落ちた。
実に危うい勝利であった。
「それにしてもまあたいしたもんだな。
こりゃなんだ。畑に水撒くときに覚えたのか?」
「いえ、畑にこれをやるともっと丁寧にやれって叱られます」
「なるほど。じゃあ何の役に立つんだ?」
「何の役にも立ちませんで」
まあ、そうだろうとは思ったが。
そこでふと俺は悪いことを思いついた。
「ところでエルマー」
「なんでしょう?」
「水をあんなに飛ばせるなら、石ならもっと飛ぶんじゃないか?」
それを聞いたエルマーは目を真ん丸にして、それからいたずら小僧のような笑みを浮かべた。
「さすがお頭! そんなあぶねえこと考えてもみませんでしたよ!
さっそくやってみやしょう!」
彼はさっそく柄杓の中にこぶし大の石を二三個詰めると、こちらに振り返って言った。
「あ、後ろは空けといてくださいよ。石が飛び出たら危ないんで」
俺たちが言われた通り横に移動するのを確認すると、彼は先ほどと同じように柄杓をブンと振った。
飛び出した石は放物線を描きながら百歩以上先まで飛んで、河原の石にあたって砕けた。
それを見たノッポのビルが叫ぶ。
「うひゃー! こりゃ人が殺せますよー!」
たしかに、石がこの勢いで飛んで来たらただじゃ済むまい。
急所を外したとしても、何本か骨をへし折られてしまうのは間違いない。
「おい、エルマー。
こいつは狙って飛ばせるのか?」
「へえ、今ので感覚は掴んだので。
何を狙えばいいんで?」
俺はさっきの落下地点よりさらに先にある岩を指した。
「あそこの岩だ。いけるか?」
「お安い御用で」
エルマーは今度は大きめの石を一つ柄杓に放り込むと、先ほどと同じ要領でブンと振った。
飛び出した石は見事命中し、余程当たり所が良かったのかパコンという小気味よい音を立てて岩が真っ二つに割れた。
「なあ、エルマーよー。
おんなじ要領で矢も投げられるんじゃねえか?」
今度はノッポのビルが物騒なことを言い始めた。
実に面白そうだ。
矢ならある。この間地主から強奪してきたやつだ。
ちなみに、一緒に盗ってきた長弓は誰も弦をかけられなかったのでほったらかしになっている。
「おい、ビル。
そんならちょいと小屋からとってきてくれよ」
「へい!」
ビルは俺たちの中で一番足が速い。
ビュンと行ってビュンと帰ってきた。
エルマーはしばらくこの矢をどうやって投げたものかと思案していたが、やがてうまいやり方を思いついたようで杓の縁に矢筈をひっかけた。
それから軸を柄杓の柄に添わせて、柄尻の所でうまいこと鏃を支えるように持つ。
「お頭、今度は何を狙いやしょう」
「せっかくだからどれぐらい深く刺さるか見てみようか。
おい、あそこの樫の木はいけるか?」
俺は先ほどの石と同じく百歩程離れたところに生えていた樫の木を指した。
「やってみましょう」
エルマーが柄杓をブンと振ると、矢はまるで弓で射たかのような勢いでビュンと飛んで行った。
残念ながら矢は的から少しそれて、樫の木の背後の藪に消えた――次の瞬間、「ヒャア!」と悲鳴が上がって藪の中から二人の男が飛び出てきた。
「ま、待ってくれ!
俺たちゃ決して怪しいもんじゃねえ!」
転がり出てきた男たちは敵がないことを示すためか両手を上げてそう叫んだ。
だが、そのなりはどこからどう見ても盗賊の類にしか見えなかった。
*
怪しい二人組はそれぞれ〈犬〉と〈兎〉と名乗った。
悪人面に似合わぬ可愛らしい響きである。
〈犬〉はやせぎすで目つきが鋭く、エルマー達のような素人とはまとう雰囲気が明らかに違う。
鹿だろうが人間だろうが、この男の目には美味そうな獲物としか映らないに違いない。
もう一方の〈兎〉はといえば、こちらも剣呑な雰囲気ではあるが人間をそのような目で見ないのは明らかだ。
なぜなら、この男は盲目だからである。
こいつは目に代わって足音で鹿と人間を区別するのだろう。
体つきこそ弱々しいが、どちらも獲物とみなしているであろうことは〈犬〉と同じだ。
油断のならない人物であるのは間違いない。
「俺達はノドウィッドの森をねぐらにする〈騎士殺し〉ことロバート親分の世話になっている者です」
〈犬〉が口にしたその名を聞いて、俺の背後にいた三人組は震えあがった。
どうやら、この辺りではよく名の知られた盗賊の一味であるらしい。
「失礼ですが、旦那は〈木こりのジャック〉でお間違えないですかい?」
そう問われて俺は首を傾げた。
この辺りには俺の知り合いはいないはずだ。
「あ、ああ、そうだが……おい、一体どこで俺の名を知ったんだ?」
「へへへ、お疑いはごもっとも。
でもまあ、たいしたタネではなくてですね。
地主の屋敷の生き残りが、旦那がそう名乗ったのを聞いておりましたんで」
「なるほど」
そう言えば地主を恫喝する時に名乗ったような気がする。
「それで、騎士殺しのロバート親分がただの木こりに何の用だ?」
「へへへ、これはご謙遜を。
あのナッシ村のお屋敷はずっと前から俺たちの盗賊団が狙ってたんですよ。
だけどまあ、警護に雇われた傭兵どもが数こそ少ないが実に油断のない奴らで。
その上屋敷はちょっとした砦みたいになっている。
こりゃ迂闊に手は出せない。
それでもいつかは隙を見せるだろうと機会をうかがっていた所、
木こりの旦那がやってきて全部掻っ攫っていっちまったんで」
「それでなんだ。
あれは俺たちが狙ってたお宝だから分け前をよこせとでも言いに来たのか?」
「いやいや、うちの親分はそんなちっちぇえことは言いませんよ。
ただ、あの厳重に警護されたお屋敷を、俺達よりずっと少ない人数で見事に略奪してのけた凄腕の強盗に親分が興味を持ちまして。
それで、一度はお顔を拝見し、出来れば仲良くさせていただきたいってんでこうしてお招きに上がったわけです。
親分はそれはもう旦那に会うのを楽しみにしておりますよ。
上物の酒やら丸焼き用の牛やらを用意してすっかり歓迎の支度を整えてますからね。
どうでしょう、一度でいいから我々の隠れ処まで足を運んでいただけませんかね?」
牛の丸焼きかあ。
思い出しただけで涎が出てくるな。
なにしろ牛の肉なんて冬至の祭りにしか食べられないごちそうである。
俺の産まれた村では、祭りの前に村の皆で金を出し合って若い牝牛を購入し、
祭りの日には村中総出で焚火を囲んで丸焼きにするのだ。
俺も親が生きていた頃には皆と一緒に歌って踊って祭りを楽しんだものだった。
木こり見習いになってから――つまり「余所者」になってから――は祭りに参加できなくなってしまったが、それでもトムが自分たちの割り当てからこっそりお裾分けしてくれたっけ。
肉の味は覚えていないが、あの時は本当に心に染みた。
ただ、それがかえってどうしようもなく惨めに思えてしまい、翌年以降は持ってこないでくれと頼んだのだ。
トムは本当にいい奴だった。
今頃どうしているだろうか?
養子の話は無事に進んでいるだろうか?
多分大丈夫だろうとは思うが、森番殺しの巻き添えで破談なんてことになっていたら大変だ。
ずっと気になってはいたが、今更村に戻るわけにもいかない。
仲間の誰かに頼んで様子を見てきてもらおうかとも考えたが、どうにも頼りない。
無理に送り出して捕まりでもしたら一大事――
「あ、あの、木こりの旦那。
どうしました?」
おっと、俺としたことが。
俺はさもお呼ばれについて考え事をしていたかのように装いながら仲間たちを振り返った。
「おい、お前らは――」
三人は俺が訊ね終わりもしないうちからそろって首をブンブン振り始めた。
よほどロバート親分とやらが怖いらしい。
牛の丸焼きは残念だが、仲間たちが嫌なら無理にとは言うまい。
「すまないが、仲間が嫌がってるんでな。
お招きは断らせてもらうよ」
ところが、〈犬〉は肩をすくめながら意味深な笑みを浮かべた。
「一緒に来た方がいいと思いますがねえ」
「どういう意味だ?」
「旦那の隠れ処は森の奥のあの草葺きの小屋でしょう?」
「なんで知ってる」
「へへへ、俺は人様の足跡を追いかけるのが得意でして。
ところが旦那は隠れるのがあまりお得意ではないご様子。
森に入ってすぐに居所はつかめましたよ」
なるほど、〈犬〉の通り名は伊達ではないらしい。
「ナッシ村の一件でもうこの辺りは大騒ぎになっとります。
代官は狩人を何人も雇って旦那を追い始めてますよ。
俺ほどの腕利きはそうはおりませんが、それでもあそこが見つかるのは時間の問題です。
いったん俺らの森に逃げ込むのも悪くはないと思うんですがね」
その時、これまで目をつむって話を聞いていた〈兎〉が〈犬〉の口をふさいだ。
それから反対の手の人差し指を自分の口に当てて、俺達にも静かにするよう促す。
〈兎〉はしばらくの間、白く濁った目を見開きながら聞き耳を立てていたが、やがて眼を閉じてボソリと呟いた。
「……猟犬だ」
俺も一緒に耳を澄ませたが、犬の声なんて全く聞こえなかった。
だがそれを聞いた〈犬〉の顔つきを見るに、おそらく〈兎〉の言うことは本当なのだろう。
「数は?」
〈犬〉が問う。
「十二はいるな。四つの群れに分かれてる。
あっちの方だ」
そう言って〈兎〉が指差したのは、まさに俺たちの隠れ処がある方角だった。
それを見た〈犬〉が眉を顰める。
「嘘だろ……さすがに早すぎるだろうが。
噂を聞く限りじゃもう少しかかると思ってたんだが」
「だが間違いねえ……まだ遠いが馬もいる。
代官の兵どもだろう」
〈犬〉が険しい表情をこちらに向けた。
「で、旦那。どうしますかね?」
どうやら選択の余地はなさそうだ。
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