第23話 勇気

 俺はお姫様の乗る馬を曳きながら仲間達から離れ、丘を登り始めた。

 マーサと呼ばれている老侍女が少し後ろをノタノタとついてきているが、本当はもっと機敏に歩けるはずだ。


 俺たちが動き出したのを見てか、丘の上の軍勢からも指揮官らしい奴がお供の騎士を一騎だけ従えて丘を下ってくる。

 両勢の中ほどで俺たちは相まみえた。

 指揮官らしき騎士が馬から降り、バケツのような兜を脇に抱えると、片膝をついて頭を下げた。

 お供の騎士もそれに倣う。


 こちらのお姫様はと言えば、馬に跨ったまま堂々と二人を見下ろしている。

 お貴族様になんて態度を!

 俺はギョッとしたが、それも一瞬の事。

 よくよく考えれば彼女はお貴族様どころか王族様だった。

 彼女はこれでいい。

 だが俺はどうすればいいんだ?

 〈犬〉がいれば教えてくれただろうが今は丘の下で指揮を執っている。

 お姫様を見上げてみたが、彼女は悠然とした、しかし油断のない目つきで相手を見つめていてこちらには一瞥もくれない。

 ならば老侍女はと後ろに目をやると、キョロキョロするなとでも言いたげに睨みつけられた。

 どうやら、このまま堂々と棒立ちしているのが正解らしい。


 そうこうしている内に、指揮官らしき騎士が口を開く。


「ご機嫌麗しゅう、ヴェロニカ殿下。

 まずはご無事を確認できましたこと、何よりも嬉しく思います」


 お姫様は馬上からそれに応じた。


「おじ様もお元気そうで何より。

 でも、少しばかり遅かったわね」


 おじ様、ということはこいつが先ほど話に上がっていたローズポート伯とやらか。

 普段であれば、伯爵様ともあろうお方の御前に出れば俺のような平民は平伏せねばならない。

 ところが、今はあべこべに伯爵様が俺の足元で膝をついている。

 もちろん、伯爵は俺に跪いているわけではない。

 それが分かっていてもなお、まるで自分が偉くなったような気になってしまうのだから恐ろしい。

 故郷にいた頃、伯爵の家来たちがやたらと威張っていたのはまさにこの錯覚がためだったのだろう。

 まったく、ああはなりたくないものだと俺は自分を戒めた。


「ともかく、堅苦しいのは挨拶だけで十分よ。

 おじ様も、どうかお立ちになってお顔を上げてくださらないかしら」


「それではお言葉に甘えまして」


 応じて伯爵が立ち上がる。

 年の頃は四十半ばといったところだろうか。

 猛将と言うからどんな厳つい男かと思いきや、思いの外柔和でふくよかな顔つきをしている。


「それにしても驚きましたぞ、殿下。

 あのような置手紙一つを残して、護衛もなしに姿を消してしまわれたのですから。

 まったく肝を冷やしました」


 そう言う彼の顔つきは心底ほっとしているように見えた。

 それはそうだろう。

 お姫様が突然、「盗賊を説得してきます」などと書き残して姿を消したら、誰だって真っ青になるに違いない。


「おじ様もまだまだね。

 あの程度の見張り、私にかかればどうということはなかったわ」


「ははは、これは手厳しい」


 彼はそう言いながら、これは一本取られたといった感じに自分の額をペチンと叩いた。


「しかし、二度とあのような真似はしてくださりますな。

 貴女様は、私が陛下からお預かりした大切な身。

 万が一のことがあれば、私も陛下に顔向けができませぬ。

 無論、私自身にとっても幼少の頃よりお守りさせていただいている、本当に愛しいお方なのですから。

 ところで――」


 彼はそこで言葉を区切って、俺に視線を移した。

 続いて俺の背後で森に沿って並ぶ兄弟たちにも目をやる。


「――この者らは何者ですかな?」


 この問いに、我らがお姫様はどうだとばかりに胸を張って答えた。


「貴方も噂ぐらいは聞いたことがあるでしょう?

 陛下の足元で不正を働く者らを膺懲し、貧しき者らを助ける義賊。

 その名も高き〈ノドウィッドの森の兄弟団〉。

 この国の行く末を憂う真の勇士たちよ」


「……私が聞いていた話とは少しばかり違いますな。

 彼らは法と秩序を乱し、王の権威に楯突く反逆者の集まりとのことでしたが」


「彼らが反逆者だったのは昔の話よ。見なさい」


 彼女は、振り返って〈犬〉が掲げている軍旗を指した。


「彼らは私の旗のもとに降ったわ。

 今や王家の忠良なる家臣よ」


 何かがおかしい。

 俺は状況を見極めるべく、彼らの話に慎重に耳をそばだてた。


「なるほど。

 それで、彼らを如何するおつもりで?」


「全員を召し抱えたわ。

 これからは、私の手足として戦ってもらうつもりよ」


 それを聞いて伯爵は静かに唸った。


「殿下、貴女は間もなく修道院に入る身。

 そのような者らは不要でしょう。

 森に帰してきなさい」


 まるで森の子犬でも拾ったかのような扱いだ。

 だがこれではっきりした。

 この軍勢は俺達を討伐しに来たんじゃない。

 俺はこのお姫様に担がれたのだ。


「そうはいかないわ。

 私は彼らを召し抱えるって約束したんだもの。

 それと、予定は変更よ。

 修道院へは行かないわ」


「ならば王都にお戻りになられるのですか?

 そのならず者どもを率いて?」


 伯爵の眉間にしわが寄る。

 その声には警戒がにじんでいた。


「まさか。エリック叔父様と事を構えるつもりはないもの。

 私はウェストモントに行く。

 リチャードおじ様の護衛ももう必要ないわ。今の私には彼らがいるから大丈夫よ」


 そう言って彼女は背後に並んだ兄弟たちを指し示す。

 何が大丈夫なんだろうか?

 盗賊だぞ、あれ。


「なりませぬ」


 伯爵が重い声で言った。当然だろう。

 抑えた声ではあったが、そこには有無を言わさぬ迫力があった。


「殿下を無事に修道院へ送り届けると、しかと陛下にお約束いたしました。

 それを投げ出して帰るなどありえませぬ。

 殿下におかれましてはどうか御翻意いただき、私と御同道くださるようお願い申し上げます」


 なるほど、事情が読めてきた。

 どうやらこの王女様は何らかの事情で修道院に押し込まれそうになっていたらしい。

 その道中で隙を見つけて逃げ出し、彼女を護衛、というか連行する役目を負っていた伯爵の軍勢に抵抗するため俺たちを仲間に引き入れた。

 とまあ、そんなところだろう。


 大まかな状況を理解したところで、俺は丘の上の軍勢と、自分の兄弟たちとをもう一度見比べた。

 ……うん、無理だな。こりゃ。

 少なくともここではだめだ。一瞬で蹴散らされる光景しか思い浮かばない。

 森の中でなら……まあ時間稼ぎぐらいならできるだろうが、さて。


 しかし我らがヴェロニカ殿下はにべもない。


「嫌よ」


「まさか、この程度のゴロツキを集めて私に勝てるとお考えなのですか?」


 伯爵の眼つきが鋭さを増していく。

 先ほどまでの柔和な笑みはもはどこにもなく、猛将と呼ぶにふさわしい戦士がそこにいた。

 

「もちろん」


 彼女はそんな歴戦の勇士に睨まれてもまるで怯まない。

 不敵な笑みを浮かべて自信満々に言い放つ。


「背後の森は彼らの城よ。この平地ならともかく、あの中では貴方たちに勝ち目はないわ」


 その態度からは俺たちの力を信じ切っているようにしか見えないが、そんなわけがない。

 俺には分かる。この女、とんでもない嘘つきだ。

 この女は、俺たちが勝てないと知った上でこんなはったりをかましているのだ。


 だが伯爵はそんな彼女の強がりを鼻で笑った。

 当然だろう。

 これほどの戦士が、敵味方の力量を読み違えるはずがない

 あるいは、恐らく俺達よりもずっと彼女との付き合いが長いであろう彼には、嘘を見抜くなんて雑作もないのだろう。


 しかしそれでも彼女は怖気なかった。

 なおも声を強めて続ける。


「仮に、おじ様が彼らを破ったとして、森の中で私を確実に捕らえる自信はおありかしら?

 どうしてもとなったら私は自害するつもりよ。

 そうなったら、世間は貴方や陛下をどう見るかしらね?」


 伯爵の眉間にさらに深く皺が寄る。

 どうやらこちらの発言は本気とみたようだ。

 しかしそれも一瞬の事。

 彼は毅然たる態度を崩すことなく告げた。


「その時には、私も潔くこの首を差し出すまで。

 さあ殿下、どうかこちらへ」


 その目が据わっていた。覚悟の決まった武人の眼だ。

 断じて退く気はないと、言葉にせずとも伝わってくる。

 きっと、姫が死んだなら彼もその言葉通りに死ぬに違いない。


 伯爵が静かに一歩踏み出した。

 その迫力に、お姫様が乗る馬が後ずさる。

 怯えているのだ。

 お姫様はどう言い返すかつもりかと見上げてみれば、その顔からいつの間にか余裕が吹き飛んでしまっている。

 もはや手札は使い切ったらしい。

 というか、こんなブタ札だけで勝負を仕掛けるなんて馬鹿なんじゃないか?


 伯爵の研ぎ澄まされた刃のような視線が俺に向けられた。


「さあお若いの、その手綱をこちらに渡しなさい」


 丁寧ではあるが、有無を言わさぬ口調であった。

 その裏には明らかに殺意が潜んでおり、断ればどうなるかは明白だ。

 だが――


「断る」


 俺に出せる答えは一つだけだ。

 それを聞いて伯爵が獰猛な笑みを浮かべた。

 漏れ出る殺気に背筋が凍り、冷や汗がとめどなく流れる。


「なかなかの胆力であるな。

 だがそなたも一党の首領であるならば、下の者どものことも考えよ。

 配下をいたずらに死なせてはならぬ」


 さて、姫様は俺が頭だと言っただろうか?

 言っていなかったはずだ。

 伯爵はこれまで俺なんか眼中にないかのように振舞っているように見えたが、思いの外よく観察されていたということだろう。


「その手綱を渡せば、この場は罪に問わぬ。

 配下の者ともども森へ去るがよかろう」


 言葉の裏で、殺気が一層濃くなっていく。

 俺は泉の老人の事を思い出しながら勇気を振り絞った。

 そうとも、あれに比べればこの程度はどうってことない。


「そうはいくか。

 俺も、あいつらもみんな家来になると約束したんだ」


「なるほど、雇用か。

 なれば我が配下として迎え入れてやろう。

 姫殿下の近衛ほどの栄誉はあるまいが、十分な禄と待遇を保証する。

 幸い大陸では戦続きだ。兵はいくらいても多すぎるということはない。

 活躍の場もいくらでも与えられる。

 功績次第ではさらなる厚遇もあり得よう」


「そういう話じゃねえんだ。

 一度仕えると決めたからには、裏切るわけにはいかねえ。

 約束を破るぐらいなら死んだほうがましだ!」


「どうしても退かぬか」


 その言葉と共に剥き出しの殺意が叩きつけられた。

 何もかもを放り捨てて逃げ出したくなる。

 だが、俺はなけなしの勇気を奮い起こしてその場に踏ん張った。


「退かねえ」


 応じながら全力で思考を巡らす。

 どうすればこの場を切り抜けられる?


 姫様を森まで走らせるか?

 伯爵たちは現在馬から降りていて、こちらの姫様は乗っているわけだから、きっと森まではたどり着けるだろう。

 だが俺は死ぬ。

 目の前の二人の騎士が俺を捨ておいて姫様を追いかけたとしても、丘の上から駆け下ってくる残りの騎士たちに踏み潰されるのは確実だ。

 俺がいなくなれば、襲い掛かる軍勢を前に兄弟たちは散り散りになるだろう。

 あるいは〈犬〉あたりは姫様を逆に捕まえて売るかもしれない。

 俺と違ってアイツは厄介な呪いにかかっていないし、死んでまで忠義を尽くす理由もないからな。


 逃げるのは無駄だ。

 それじゃあ、この場で伯爵に斬りかかるか?

 これも非現実的だ。

 まず勝てない。婆さんと二人がかりでもたぶん無理だ。

 それに勝ったところで丘の上の軍勢は消えないのだ。

 奴らが駆け下ってくれば後は同じ。


 姫様を売り渡すのは論外。

 呪いの代償は知らないが、俺はきっと死ぬほど後悔する羽目になる。


「退かぬなら――」


 伯爵が剣の柄に手を伸ばした。

 時間切れだ。仕方ねえ。


「決闘だ!」


 俺は破れかぶれに叫んだ。

 伯爵が満面の笑みを浮かべて剣を抜き放つ。


「よく言った! 勝負だ小僧!」


「やめ――」


「黙れ!」


 姫様が決闘を止めようと口を開きかけたので、怒鳴りつけて黙らせる。


「俺はアンタに全部を賭けたんだ! 勝手に勝負から降りるんじゃねえ!」


 何か言い返されるかと思ったが、そうはならなかった。

 彼女はぐっと言葉を詰まらせて、どういうわけか泣きそうな目を向けてきた。

 どうしてそんな顔すんだよ。訳が分かんねえ。そうじゃねえだろう。


「覚悟決めて我がまま押し通しやがれ!

 命令しろ!

 私のために戦えってな!」


 そうしてくれれば、きっと、俺はもっと勇敢になれる。

 そんな気がした。

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