第61話 姫様と三人組
城に残っていたただ一艘の川船に乗ってミュール城を脱出した私たちは、ステフの率いる軍勢を求めて河を下っていた。
ミュール城のほとりを流れていた小さな河は、やがて大河と合流すると大きく東西に蛇行しながらゆっくりと北へと向かって行く。
そうして北へとまっすぐ伸びる街道から離れていくたびにやきもきさせられたけれど、結局のところ船で進み続けるのが一番早く、安全だ。
なにしろ、船というのは昼も夜も休みなく進み続けることができるんだから。
ジャックが私につけてくれた三人の護衛は、彼らの話によればジャックの最も古い仲間なのだという。
「あっしらは、お頭に返しきれねえほどのご恩と義理がありますんで」
三人組のリーダー格らしいエルマーが、棹を操りながらそう言った。
日のあるうちは彼らが操船し、日没とともに〈獺〉と交代する取り決めだった。
「御恩は分かるけど、義理って何かしら?」
私がそう尋ねると、エルマーは彼らの来歴とジャックとのなれそめを話してくれた。
強欲な地主のもとに小作人として生まれたこと。
新しい技術が導入され、人手がいらなくなったからと言って村を追い出されたこと。
仕事を求めて町へ行くも、どこからも雇って貰えなかったこと。
飢えに耐えかねて盗賊のまねごとをしてみるも、これもうまくいかなかったこと。
もうダメだと思った時に、ジャックと出会ったこと。
「お頭はねえ、盗賊になる必要なんてこれっぽちもなかったんですよ。
あっしらと違って、しばらく仕事を探して旅をするだけの金は持っていたし、知っての通り立派なお方ですからね。
いずれちゃんとした仕事を見つけて、平和に暮らしていくことだってできたはずなんです。
それがあっしらと出会ったばっかりに、盗賊なんぞに身を落とす羽目になっちまって。
まあ、向き不向きでいやあ確かに盗賊には向いたお方ではあったんでしょうがね。
でも、あの仕事を好いちゃいなかったのは傍から見てりゃ分かりまさあ。
段々と、この道に引きずり込んだことを申し訳ねえと思うようになってきまして。
そんなわけですから、あっしらも姫様には本当に感謝しておりますので」
「姫様にお仕えするようになってから、お頭も随分と楽しそうだもんなあ」
と、小柄なセシル。
それから、大柄なビルがのんびりという。
「やっぱりあの人にゃあ、陽の当たる、まっとうな道を歩いていただきたいもんですなー。
そのためにも、姫様、よろしくお頼み申し上げますよー」
「あっしからもよろしくお願い申し上げます」
「おいらからも」
そう言って彼らは三人そろって深々と頭を下げた。
そんなことは言われなくても分かっている。
絶対に、ステフを説き伏せて援軍を連れ帰らねばならない。
それが私の仕事だ。
だからどうか、私が戻るまで。
私は彼の無事を神に祈る。
*
ステフの軍勢に追いつくのに、私たちは五日を要した。
警衛にあたっていたのが顔見知りのダニエルだったのは幸いだった。
私たちはすぐにステフのいる天幕へと通された。
天幕の中では、ステフと数人の騎士たちが拡げた地図を囲んで何やら議論をしていた。
いずれも見知った顔で、ステフの配下にあるウェストモントの有力者たち――いや、一人だけ少し毛色の違うのがいる。
ホースヤード伯だ。
その後ろに控えている若い騎士は、噂に聞く伯爵の次男だろう。
もちろん、あまり良い噂ではない。
私がステフに声をかけると、彼らの目が一斉にこちらに向いた。
ホースヤード伯の目が、とたんに面白そうに輝いたのを私は見逃さなかった。
それ以外の面々は、突然現れたみすぼらしい僧服の女が何者かを認識するのに、少しばかり時間がかかったらしい。
一拍おいて、ステフは目を真ん丸にして叫んだ。
「姉上! どうしてこんなところに!?」
「それを聞きたいのは私の方よ。
私の目には、貴方たちが尻尾を巻いて逃げだしているように見えるのだけど」
私がそう言うと、ステフと共に地図を囲んでいた中年の騎士が、ムッとした様子で口を挟んできた。
「殿下、今のお言葉は聞き捨てなりませんぞ」
思った通りの反応だ。
彼は祖父の代から仕えている重鎮で、騎士としての名誉には人一倍のこだわりがある。
「だってそうでしょう?
逃げるのではないなら、どうして北に向かっているの?」
「なにを――」
「ジョージ殿」
その騎士が反論しようと口を開きかけたところで、ステフがそれを制した。
「貴方が誰よりも勇敢な騎士であることは他ならぬ私がよく知っています。
姉上もおやめください。我々は退却しているわけではありません。
叔父上の軍勢が敗北したのです。
パリシア王の軍勢は余勢を駆ってカチュエに向けて進軍中との報せを受けています。
このまま捨て置けばカチュエは陥落し、我々は退路を断たれるでしょう。
我々は、叔父上の軍勢を救援し、パリシア王軍を迎え撃つために北上しているのです」
なるほどね。
ステフの説明を聞いて私は大体の事情を察した。
恐らく、彼らはまだパリシア軍の正確な位置を把握できていないのだ。
「それなら進む方向を間違えているわ、ステフ。
パリシア王の軍勢が向かったのは、北ではなく南よ。
今はミュール城を包囲しているわ」
「姉上、いったいどこでそんな話を――」
「私がそのミュール城から来たからよ。
パリシア王の軍勢をこの目で見たのだから間違いないわ」
一同が信じられないという目で私を見てくる。
けれど、ステフは違った。
「……姉上ならやりかねない。
姉上、あなたが直接見聞きしたものだけを教えてください。
僕に向かって嘘はなしですよ?」
「いいわ、何でも聞いてちょうだい」
「まず、ミュール城を包囲している軍勢について聞かせてください」
「私が脱出した時には騎士のみで五百騎。歩兵はなし。
指揮官はブレセンヌ公と名乗っていたわ」
その名を聞いて、場がざわついた。
「ブレセンヌ公の軍勢はパリシア王軍の主戦力の一つだ。
先のウッツ市での会戦でも猛威を振るったそうではないか。
殿下の言う通り、やはりパリシア軍は南にいるのでは?」
「いや、時期からすれば奴らがアンディカ伯軍の敗北を知ったのはほんの数日前のはず。
とすれば、その支援のために一部を派遣しただけかもしれぬ」
「王軍がウッツで敗北したとはいえ、リチャード卿のローズポート勢は損害を負いつつもまだ健在だ。
そのような状況で兵を二手に分けるような愚を犯すだろうか?
パリシア王は決して戦下手ではないのだぞ」
「なればこそだ。リチャード卿を相手に勝つ算段があるのだろう」
ステフはしばらくの間、侃々諤々の議論に耳を傾けたあと、同じく沈黙を保っていたホースヤード伯に目を向けて言った。
「ホースヤード伯はいかがお考えでしょうか?」
「ふむ」
伯爵はしばらく考えるようなしぐさをし、答えた。
「殿下のお言葉を疑うわけではありませぬが、
やはり十分に経験を積んだ者の見解を聞きたいところです
〈犬〉と名乗る者がおったでしょう。
あれの意見を聞いてみたいものですな」
「ジャックの配下の者ですね。
姉上、ここに呼んできて貰えますか?」
「彼はここにはいないわ」
私の言葉に、二人が怪訝そうな顔をする。
「どういうことですか、姉上。
姉上は彼らと行動を共にしていたのでは?」
「ジャック達は今もミュール城を守っているわ!
貴方がそう命令したんじゃない!」
「いえ、軍を北へ引き上げる際に彼らにも退却を指示していたはずですが」
「そんな……私たちのところにそんな命令は届いていないわ!」
弟の視線がホースヤード伯に移り、ホースヤード伯の視線が背後の若い騎士へと移る。
「ジェラルドよ、伝令は確かに出しているのであろうな?」
「も、もちろんです、父上」
視線を向けられた若い騎士が応えた。
伯爵の息子だろうという私の見立ては当たっていたらしい。
それにしても、少し様子がおかしいのが気にかかる。
そしてそれは伯爵も同じだったようだ。
じっと、睨むようにして息子を見つめ続ける。
伯爵の厳しい視線を受けて、ジェラルドは聞かれてもいないのに言い訳を始めた。
「そ、その、おそらく伝令は敵の残党に討ち取られてしまったのではないかと……」
「勝利の後に、か。実に気の毒なことだ。
その者の名を教えよ。もし捕虜になっているであれば優先的に交換してやらねばなるまい。
あるいは、死んでいるのであれば感状の一つも出してやらねば」
「そ、それは、その……ああ、思い出しました!
万一のことがあれば、背後への備えも必要かと考え――」
「黙れ!」
伯爵の一喝を受けて、ジェラルドは顔を青くして口を閉じた。
伯爵はステフに向き直り、そして私にも一瞥を送った後、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、殿下。
どうやら、我が陣中にて少しばかり手違いがあったようです」
「……許します。
敵が我々の背後に回り込んでいるというのが事実なら、必要な措置ではあったのでしょう。
彼らがミュール城に足止めされていなければ、我々はそれと気づかずに背後に食いつかれていたやもしれませぬ。
しかし、それはそれとして以後はこのようなことがないよう気を付けてください。
あれはあなた方の配下ではなく、私の手勢です。必ず相談を願います」
ステフはあっさりと伯爵を許した。
私も言いたいことは山ほどあったが、ぐっと飲みこむ。
ホースヤード伯は王の直臣であり、ウェストモント公の配下ではない。
それがこうして頭を下げている以上、無暗に責め続けることはできないのだ。
「ともかく、今後の話をしましょう」
私がそう言うと、皆の注目が再び集まった。
息を少しだけ吸いこみ、気持ちを切り替える。
私は一同を見回し、改めて呼びかけた。
「皆さま!」
声はできうる限り悲痛に。聞く者が冷静ではいられぬよう。
表情や身振りは大げさに。冷静さを奪った後であれば、芝居がかっていると思われるぐらいでちょうどいい。
「〈木こりのジャック〉と彼が率いる一隊はいまだミュール城を保持し、守り続けています。
彼らはウェストモント公の命に従い、大変な危険を冒し、見事城を奪いました。
そして、いまも公の命令に忠実に従い、城を守り続けています!」
私は片膝をついて、祈りの姿勢をとる。
「勇敢な騎士である皆様方にお願い申し上げます。
どうか、この無力な乙女にお力をお貸しください。
私達の勇士をお救いください!」
真っ先に反応したのは、ジョージ卿だった。
「うむ、か弱きご婦人の願いを無碍にし、敵に背を向けたとあれば騎士の名折れ!
パリシア王軍などなにするものぞ!
ミュール城を救援し、勇士の中の勇士たちを救い出そうではござらんか!」
場の空気が一騎に熱を帯び、他の重鎮たちも「そうだそうだ」と声を上げる。
その熱気に水を差すような冷静な声が響く。
「姉上は相変わらず演技がお上手だ」
演技とは失礼ね。この私の気持ちには嘘や偽りはない。
私はただ、自分の願いを少しばかり効率的に伝える術を身に着けているにすぎない。
ステフは落ち着いた声で、重臣たちに諭すように言った。
「パリシア王の軍勢は、叔父上の軍勢を容易く打ち破って見せたのです。
我々の勢力はその叔父上の軍の半分ほどにすぎません。
このまま挑みかかったとて、勝利は容易ではない。
少なくとも無策では勝てないでしょう」
その言葉に、皆の熱気があっという間にしぼんでいく。
それでも、まだ冷めきれないジョージ卿がステフに反論した。
「しかし殿下! パリシア王の軍勢も相応の損害を出しているはずです。
反面、我が軍は先の戦勝によって士気も上がっています。
勝ち目は十分にあるものと存じます」
「それは敵も同じです、ジョージ殿。
なにより、姉上の話の通りであれば、ジャック隊はブレセンヌ公率いるパリシアの最精鋭と対峙しているのです。
我々がつくより先に決着はついているでしょう。
ここは一度軍を退き、リチャード卿の軍勢との合流を目指します。
決戦を挑むのはその後です」
ステフの、冷たさすら感じさせる落ち着いた物言いに、ジョージ卿の意気は完全にくじけてしまった。
他の面々も同じだ。ただ、ホースヤード伯だけが面白そうに状況の推移を見守っている。
「……はい、仰せのままに」
「ともかく、パリシア王軍の正確な位置がつかめたことは大いなる収穫でした。
基本的な方針に変更はありません。
皆さん、決戦に備え、引き続き油断なきようお願いします」
「はっ!」
軍議はお開きとなり、配下の騎士たちは皆それぞれの軍勢のところに帰って行った。
天幕に残ったのは、お付きの者と、私たち姉弟だけ。
演技をやめたステフが、疲れ切った声で言う。
「姉上、お願いですから私の家臣を誑かすのはやめてください。
危うく軍勢を全滅させるところでしたよ」
「だ、だけど、彼らを見捨てるなんてできないわ!」
「落ち着いてください、姉上。
先ほども言った通り、決着はもうついているはずです。
仮にまだ決着がついておらずとも、軍勢を再び南下させることは不可能です」
「どうして――」
「食料ですよ。
これだけの軍勢が通れば、それだけで周辺の食料を食い尽くす勢いで消費するんです。
既に、この経路上で徴発可能な食糧はギリギリまで吸い上げています。
この上、もう一度軍の往復させようとすれば何が起こるか……聡明な姉上であればもうお分かりのはずです」
ステフの言葉に私は息を呑む。確かに考慮にいれてしかるべきだった。
もう一度、村から食料を手に入れようとするならば、村の者が最低限生きていくための食料すら残すことはできない。
それはもう徴発ではなく略奪だ。飢餓を振りまき、村を焼くことと同義である。
それに、とステフは続けた。
「本当に彼らを助けたいなら、やるべきことは他にあります」
「何か手があるの?」
「すぐに使者を出し、ジャック隊の生き残りについて寛大な処置をとるよう要請しましょう。
もちろん、今度は信頼のおける者を送ります。
捕虜交換において、彼らを優先的に取り戻すことを約束します。
パリシア王と交渉するためにも、ここで軍を壊滅させるわけにはいきません。
それでひとまず矛を収めていただけませんか、姉上」
私は大きく一呼吸して気持ちを落ち着ける。
ステフの言うとおりだ。
「わかったわ。でも、必ず約束は守ってね」
「はい、姉上。必ずや」
ミュール落城の報せが届いたのはそれから数日後の事だった。
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正直な木こりと嘘つき王女 ずくなしひまたろう @zukunasihimatarou
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