第60話 ミュール城防衛戦
姫様を送り出した翌日、日が空の天辺まで上がった頃になって再びあのシャルルが門の前にやってきた。
彼は騒々しくも三度角笛を吹き鳴らした後、こちらに向かって呼ばわった。
「〈木こりのジャック〉よ!
約束のものを持ってまいった!
受け取られよ!」
見ればご丁寧にも具足一式を背に積んだ軍馬を一頭連れてきていた。
仕方がないので、シャルル以外の奴らがまだ十分離れていることを確認した後、跳ね橋を下げて軍馬をこちらに引き入れる。
こちらが橋を上げ終わるのを待って、シャルルは満足げに言った。
「さて約束は確かに守ったぞ!
これより戦を再開するが、其方らの準備はいかがか!」
こちらとしてはこのまま平和に過ごしたいのだが、向こうはきちんと約束を守ってくれたのだから仕方がない。
「上等だ! かかって来やがれ!」
シャルルは俺の答えに満足したらしく、大声で笑いながら自陣へ戻っていく。
やがて敵陣からもう一度角笛が響き、ついに敵兵が前進を開始した。
敵勢の総数は五百程だが、その内戦闘に参加しているのは三百程に見える。
残りは騎乗したまま五十騎程の塊に分かれて城の四方を遠巻きに囲んでいる。
俺たちが逃げだしても絶対に逃がさない構えである。
攻撃隊は三手に分かれ、それぞれ城門と半月状の城壁の両端を目指して進んで来た。
それに対するこちらの戦力はわずか六十人ばかり。
俺と〈犬〉、それから〈狐〉をリーダーにして、それぞれの集団に対処する。
それとは別に、ウィルを筆頭にした弓上手を八人ばかり城の中庭に配置した。
これは、梯子を登りきったところを内側から狙撃するためだ。
俺の担当は城門だ。
敵は梯子十本の内、ここに四本を割り当てているようだ。
兵数は百二十ばかり。左右の敵勢に比べて心持ち多めだ。
対する俺の手持ちの兵は俺も含めて十六人。
梯子一本当たりたった四人に過ぎない。
あれ? これもうどうにもならないんじゃね?
もっともそんなことは今更な話で、もちろん態度にも出しはしない。
「怯むな! どうせ一人ずつしか上がれねえんだ!
四対一でボッコボコにしてやれ!」
「おう!」
敵は梯子持ちを中心にした小グループに分かれてこちらに進んできた。
立てた梯子を二人が支え、その周囲を盾を構えた騎士たちが守りながら進む格好だ。
その背後には弓持ちが三十ばかりいて、こちらも盾に守られながらビュンビュンと矢を飛ばしてくる。
おかげで俺達は迂闊に頭も上げられない。
こちらの弓持ちも胸壁の間から反撃するが、自慢の大弓も盾を構えた装甲兵を前にしてはなかなか致命打を与えることができない。
と言うか、そもそも数が足りない。
手元の弓持ちはたったの四人だ。
それでも一本の矢が敵の盾をすり抜け、兜の隙間から梯子持ちの顔面を打ち抜いた。
梯子が支えの片方を喪って大きく傾いだが、即座に隣にいた騎士が梯子を支えなおす。
弓持ちたちが続けて矢を放つが、中々梯子の前進を阻止するには至らない。
やがて堀の縁まで進んできた梯子が音もなくこちらに倒れこんできた。
ガコーン!という盛大な打撃音と共に梯子の鉤付きの先端が城壁にぶつかった。
壁の下で騎士たちが歓声のように鬨の声を上げる。
弓持ちの一人が梯子の正面に陣取って、登ってくる騎士に矢を見舞う。
が、ガスンガスンと盾を貫く音がするばかりで、騎士の悲鳴も転落する音も聞こえない。
梯子の脇に控えていた力自慢の〈熊〉が「どけ!」と叫んで弓持ちの一人を押しのけると、土が詰まった大きな酒樽をエイやと持ち上げ一息に梯子へ投げ込んだ。
これは効果が覿面で、バキリ! グシャリ! という音共に梯子の一つを登っていた騎士ごと粉砕した。
次々と飛んでくる矢に射竦められて胸壁に張り付いていた兄弟たちも、その小気味よい音にわっと歓声を上げる。
これで敵の登り口は残り三つだ。
樽を投げ終えた〈熊〉はサッと胸壁に身を隠しながら、ぐっと力こぶをこさえて仲間たちの歓声に応えた。
それから、身をかがめて樽を転がしながら次の梯子へと向かっていく。
不意に、何かを察したかのように先ほどまで間断なく飛んできていた敵の矢が途絶えた。
猛烈に嫌な予感がして、俺は叫んだ。
「おい! やめろ!」
聞こえなかったのか、あるいは自分に向けられているとは思わなかったのか。
〈熊〉は樽を投げ込むべく高々と持ち上げて梯子の前に立ち上がった。
その途端、樽に、体に、何本もの矢が一斉に突き立つ。
〈熊〉は声もあげずに転落した。
ガシャン! ドサリと派手な音が響いたがもはやそれに構っている余裕はなかった。
俺のすぐ近くの梯子から騎士の盾がヌッと覗いたのだ。
すかさずその盾目掛けて金の斧を叩きこむ。
金斧は盾は音もたてずに真っ二つに割れ、その下に守られていた頭と腕を切り裂いた。
さっと身を翻して胸壁に隠れると、先ほどまで俺の頭があった場所を何本もの矢が通過していった。
隣の梯子では、兄弟たちが盾を掲げた騎士を鈍器で滅多打ちにしていた。
どうにかそれ以上あがってくるのを防いではいるものの、有効打を与えているとはいいがたい。
弓持ちの一人がそいつを横射ちしようと胸壁から身を乗り出したが、矢を放つより早く下からの射撃を受けて城壁の外に転落した。
その向こうにある梯子も似たような状況だ。
俺は同じ梯子についていた兄弟たちに、向こうへ行くよう指示を出す。
「おい! ここは任せろ! お前らはあっちを手助けしてこい」
「へい!」
兄弟たちが駆けだすと同時に、向こうの梯子で、敵の騎士が打撃を押し切って城壁の縁に片足をかけるのが見えた。
これはマズイ。俺は斧を銀に変えると、城壁の外に向かって斧を思い切り投げた。
銀斧は俺の手を離れるとクルクルと旋回し、向こうの梯子を登り切りかけていた騎士の後頭部に直撃。
思いもよらぬ方向から重たい一撃を食らったその騎士は、一瞬とは言え完全に動きが止まった。
兄弟たちはその隙を見逃さず、思い切り敵を突き飛ばし城外に転落させる。
ほっとしたのもつかの間、すぐそばでガシャリと甲冑が鳴る。
よそ見をしている間に敵の後続がこちらの梯子を登り切ったのだ!
とっさに銀斧を呼び戻し、柄の部分でかろうじて剣を受け止めた。
勢いの乗った一撃に思わず上体が反りかえる。
敵がグッと体重をかけてのしかかるように押し込んできた。
こちらも必死で押し返そうとするのだが、崩れた体勢では十分に力が入らない。
敵の背後でさらにもう一人の騎士が梯子を登ってきた。
もうダメだと思ったその時、ビュウという風切り音と共に一本の矢が敵の脇下に突き立った。
俺はうめき声を上げたそいつの足を払い、体を捻って城壁の下に叩き落とす。
もう一人が斬りつけてくるのを盾で受け止め、その胴を金斧で切り裂く。
崩れ落ちるその体を、城壁の内側に蹴落として足場を確保する。
すぐに次の頭が胸壁から覗いたが、回避の余地がない梯子の上にいるのなら金の斧で簡単にカチ割れる。
二人ばかり追加でカチ割ったあたりで、無理を悟ったのか俺の梯子には新しい頭が上がってこなくなった。
ひとまず目の前の状況は安定した。
振り返って〈犬〉と〈狐〉の持ち場を確認する。
どちらも今のところは敵を抑え込めているようだ。
さて、敵はと城壁の下を覗いてみると、当たり前の話だがたいして数は減っていない。
意気も軒昂らしく、梯子の根元には盾を構えた騎士たちがひしめいており、一番下では「次は俺が登る!」とばかりに順番の取り合いまでしている始末だ。
そのさらに向こうで、シャルルの奴が数人の護衛に囲まれて指揮を執っているのが見えた。
そのどことなく退屈そうな様子に、俺は無性に腹が立ってきた。
距離で言えば、ウィルの弓でもようやく届くかどうかといったところだろう。
だが俺の斧なら届く。そして決して外さない。
戦場に安全な場所などないということを思い出させてやる。
俺は斧を銀に変えると、シャルルめがけて放り投げた。
銀斧は放物線を描きながらシャルル目がけて飛んでいく。
あと少しでその退屈そうな間抜け面に命中するというところで、シャルルが気付き盾で受け止めた。
ガコンッという音までは聞こえないが、銀斧が深々と盾に食い込んだ。
すぐに斧を手元に戻す。
シャルルは少しの間、ポカンとした様子で盾を見ていたが、やがてゲラゲラと笑うと、こっちをまっすぐに指差して何か言った。
俺はすぐに余計なことをしたことを後悔した。
あいつの声は聞こえなかったが何を言ったかなんてもう察しはつく。
すぐに、護衛についていた騎士の一人が駆けだして城壁のすぐ下までやってくると、梯子のところにひしめいていた奴らに向かって叫んだ。
「殿下はピエールの仇を討てと仰せである!
敵将はあそこだ! 褒美は思いのままぞ!
討ち取って名を上げい!」
敵の視線が一斉にこちらに向いた。
先程まで閑古鳥が鳴いていた俺の梯子に敵がワッと喚声を上げて群がってくる。
すっかり頭に血が上っているのか、敵はこの梯子で何が起きたかをすっかり忘れてしまったらしい。
だから最初の頭二つは簡単にカチ割れた。
三人目は少しばかり冷静さを取り戻したのか、長い槍を担いで上がってきた。
こちらの金斧が届かない位置からしつこく突きを繰り出してくる。
だがこんなもの、穂先を切り飛ばしてしまえばどうということは無い。
敵は唸り声を上げながら長い棒きれと化した槍を放り捨てて、腰の長剣を引き抜いた。
「あいつに矢を集中させろ!」
先程の護衛騎士がそう怒鳴っているのが聞こえてきた。
慌てて胸壁に身を隠すと、先程まで俺の頭があったところを矢が束の様になって通過していく。
胸壁の隙間をひっきりなしに矢が飛んでいき、到底頭を出すどころじゃない。
それでも梯子の向こうからは敵が登ってくる気配がする。
いよいよ兜の先端が城壁の縁に見えたので、手だけだして当て推量で頭をかち割ろうとしたところ、さっと手が伸びてきて斧を掴まれた。
敵はそのままがっちりと両手で斧を掴むと、そのまま梯子の脇に飛び降りた。
引きずり降ろされたらたまらない。俺は慌てて斧から手を離した。
城壁の下からは大きな歓声が聞こえてくる。
それも俺が斧を呼び戻すまでのわずかな間だった。
さっきの奴は今頃狐につままれたような顔をしているに違いなかった。
俺は何も知らずに勇んで飛び込んで来た後続の騎士をカチ割って、蹴落とした。
それでもなお、敵は死を恐れぬかのように続々と這い上がってくる。
「うわあ!」
隣の梯子の所で悲鳴が上がった。
ちらりと見れば、敵の騎士が一人、梯子をほとんど登り切って、城壁に片足をかけた状態で兄弟たちと切り結んでいる。
これはまずい。
先程の様に援護してやりたいところだが、あいにくとこちらも次々と上がってく敵への対処に精いっぱいで斧を投げている暇がない。
ウィルたちは何をしてるんだと視線を送ってみれば、彼らは彼らで〈狐〉の方に盛んに矢を放っている。
その〈狐〉の方はこちらよりもさらに不味い状況で、既に梯子の一つが完全に制圧され、左右に広がろうとする敵をかろうじて城壁の上で抑えている様子だ。
これはもういよいよマズイ。
そう思った直後、隣の梯子を守っていた兄弟の一人が、叫び声を上げながら敵の騎士に体当たりをかました。
そのまま抱き着くように騎士を押し倒し、もろともに城外へ落ちてゆく。
同時にバキリと梯子がへし折れる音。
鎧を着た男二人が勢いよくぶつかる衝撃に、組立梯子の接合部が耐えられなかったに違いない。
ともあれ、これで俺達の所は守らなければならない登り口が二つに減った形だ。
すかさず俺は指示を出した。
「三名! 〈狐〉の方へ行け!」
「へい!」
折れた梯子についていた三人が、ひょいと身軽に城壁から飛び降りて向こうへ駆けていく。
頼むぞ、間に合ってくれ。
また一つ姿を現した懲りない頭をかち割りながらそう祈る。
中庭に降りた三人のうちの一人が、駆けながら柄杓を振って槍を飛ばす。
見事に命中し、敵が城壁から転落。
ウィルたちも負けじと矢を放ち、次々と敵の鎧に矢を突き立てていく。
味方の援護に勇気を得て、城壁を守っていた兄弟たちが気勢を上げた。
敵はたまらずあとずさり、梯子の方へと追い詰められていく。
あと一歩で完全に城壁から敵を追い払えると思ったその時、遥か彼方で角笛の音が鳴り響いた。
音のした方に目をやると、街道の北で何かキラキラと光るものが見えた。
槍の穂先が陽の光にきらめいているのだ。
「殿下だ! ウェストモント公が助けに来てくれたんだ!」
兄弟の誰かがそう叫び、それに応じて皆が次々と歓声を上げていく。
だが、敵はどうだ?
俺は敵の後方で指揮を執っているシャルルに目をやった。
その姿には微塵も動揺が見られない。
城を遠巻きに囲んでいる騎馬隊にも動きがなかった。
間違いない。あれは敵軍だ。
シャルルの言っていた後続部隊が到着しただけなのだ。
俺がそう確信すると同時に、誰かが声を上げた。
「見ろ! あの旗を!
青地に蒲公英! 敵だ!」
兄弟たちに明らかに動揺が走った。
その声を聴いた途端、一瞬ではあったが全員の動きが確かに止まった。
俺ですらだ。
向こうの城壁で追い詰められていた敵は、勿論その隙を見逃さなかった。
兄弟が一人、盾でぶん殴られて落下する。
その一撃で〈狐〉隊の士気は崩れ去った。
彼らは〈狐〉が止めるのも聞かずに城壁から飛び降りると、次々と主塔へ逃げ込んでいく。
その間も、守る者のいなくなった梯子からは敵が続々と上がってくる。
これ以上の防戦はもう無理だ。
俺は大きく息を吹き込むと、呼子を三度ならした。
退却の合図である。
吹き終わってから、周囲の兄弟に向かって「退却だ!」と叫んだ。
まだ城壁を維持していた〈犬〉の隊も、〈犬〉の指図に従って次々と城壁から飛び降りていく。
俺も周囲の兄弟が飛び降りたのを見届けてからそれに続く。
一人の騎士が俺たちを追って飛び降りてきたが、足をくじいてその場に倒れ込んだ。
馬鹿め。そんな重装備で慣れないことをするからそうなるんだ。
もちろん、俺たち兄弟にはそんな間抜けは一人もいない。
高い場所から飛び降りるときのやり方というのをちゃんと心得ているのだ。
起き上がろうともがくそいつの頭をかち割ったところで、微かなうめき声が耳に入った。
声のした方を見てみると、〈熊〉がいた。
矢を受けて城壁から転落したのでてっきり死んだものとばかり思っていたのだが、どうやら気を失っていただけだったらしい。
実に頑丈なやつだ。
俺はまだ近くにいた兄弟を二人呼び止めた。
「おい! 〈熊〉が生きてる! 担げ!」
「へい!」
二人はすぐに駆けてきて、両側から〈熊〉の脇を抱え上げて引きずっていく。
俺はその後ろで武器を構え、殿につく。
敵は飛び降りるのを諦めて階段で渋滞を起こしていたが、その先頭はすぐに追い付いてきた。
俺は盾を構えて、金の戦斧をこれ見よがしに振り回して見せた。
金斧の切れ味を散々に見せられてきた敵は、その煌めきに怖気づき足を止める。
後続の奴らも、一人で突っ込んでくるような度胸はないらしく、半円を描くように距離をとって俺と対峙する。
さて、〈熊〉たちは距離を稼げているだろうか?
そう思って、ちらりと振り返った瞬間、両端の敵が同時に突っ込んできた。
ぶつかったのは左側が早かった。
どうにか盾で受け止めたものの、その突進で俺の体勢が崩れた。
右の奴が喚声を上げながら斬りかかってきた剣を金斧で受け、そのまま振りぬいて敵の刃と頭を切り飛ばす。
が、そのために辛うじて保っていたいたバランスが崩れ、左の奴もろとも俺は転倒した。
とっさに倒れ込んで来たそいつの背中に斧を押し込んで殺したが、死体にのしかかられる形になり身動きが取れなくなる。
残った敵が一斉にとびかかってきた。
もうダメだと思った瞬間、何者かが横合いから飛び込んできて敵の一人を吹き飛ばした。
〈犬〉だ。彼が率いていた兄弟たちもいる。
同じように城壁から退却していた彼らは、俺が危機に陥っているのを見て助けに来てくれたのだ。
同時に主塔の扉が開け放たれ、中から先に退却していた兄弟たちが一斉に飛び出してきた。
「お頭を守れええ!」
敵はもとより俺を追って突出していた一団であるので、この場での数は多くない。
一時的にではあるがこの場の優勢を取り戻した俺達の勢いに押され、彼らは味方の方に逃げていく。
「急いでお頭を引っ張り出せ!
よし! 退却だ!」
〈犬〉を殿にして、俺達も這う這うの体で主塔の中に逃げ込んだ。
全員を中に収容できたことを確認してから、扉を閉め、閂をかける。
ともかくこれで一安心だ。
〈犬〉が肩で息をしながら、呻くように言う。
「お頭ぁ、あんまり無理はしねえでください」
「しょうがねえだろ。他にやりようがなかったんだよ」
「まあ、しょうがないのはそうなんですがね!」
そんなやり取りの背後で、閂をかけた主塔の扉が激しく叩かれている。
敵が斧やら戦槌やらで扉をぶち破ろうとしているのだ。
だが、鉄の箍が嵌った扉は極めて頑丈で、おいそれと破れるものではない。
その上、扉の上に設けられた張り出しからウィルたちが矢を射かけているおかげで、打撃音に時折悲鳴が混じっている。
「で、どうすんだ?」
俺は〈犬〉に訊ねた。
「残念ですが、もうどうしようもないですな」
〈犬〉はそう言ってため息をついた。
「まことに面目ねえ……」
どうやら生き残ったらしい〈狐〉が項垂れながら頭を下げる。
それに〈犬〉がけだるそうに応じた。
「ありゃどうにもならねえ。
敵の方が強かった。それだけだ」
それから彼は主塔の広間を見渡して言った。
「おい、何人生き残った?」
数えてみると、この場にいるのは三十人ばかり。
弓持ちは上の階の矢間で配置についているから、恐らく全体では四十と少しと言ったところだろう。
「ま、出来るだけ暴れてやりますかね。
それにまあ、もう一度ぐらいは交渉のチャンスがあるかもしれません」
ここまで来て今更交渉なんぞに応じるだろうか?
犠牲を恐れるなら、最初から強襲なんてしてこないだろう。
しかし、実際の所は〈犬〉の言う通りになった。
しばらくして乱暴なノックの音がやみ、シャルルがこちらに呼び掛けてきたのである。
「ジャック! 話がある!」
まさか扉を開けて応じるわけにもいかないので、俺は塔の一番上の階の窓から顔を出して叫び返した。
「一体何の用だ!」
シャルルは不機嫌に応じた。
「まことに見事な戦いぶりである!
素晴らしいひと時であった!
だが、時間切れだ!」
「時間切れってのはなんだ!」
「兄上の軍勢が到着してしまった!」
確かこいつは王弟を名乗っていたから、要するにパリシア王の主力が到着したということだろう。
だが、それはあちらが有利になったというだけの話だ。
いったい何を話し合おうというのか?
「まことに惜しいが、私と貴殿の戦はここで終りだ!
だが、貴殿ほどの手柄を兄上に譲るのはあまりに惜しい!
なにしろ兄上は戦を嫌っておられるからな! 貴殿の価値はわかるまい!
そこで一つ相談がある。
ここで手打ちとし、私に勝利を譲っては頂けぬか?」
塔の上まで一緒に上ってきていた〈犬〉が、「言った通りでしょう?」とばかりに片眉を上げた。
「お頭、まずは吹っ掛けてやりましょう」
俺は〈犬〉にうなずくと、窓の外に向かって叫んだ。
「条件次第だ!
そうだな、メイン伯領から退去するまでの安全も保証してもらおうか。
もちろん、武装の上、俺たちの財産については持ち出し自由って条件だ。
たったそれだけでこの城と勝ちを譲ってやるぞ!」
「ふざけたことを! だが私は寛大だ。
大人しく降伏すれば全員の生命は保証しよう。
また、身分のある者については帯剣を許し、相応の待遇にてもてなすと約束する。
どうだ?」
「話にならねえな。
こっちにゃ身分のある者なんざ一人もいねえ!
そんな条件しか出せねえなら話はここまでだ。
あんなに大勢の騎士を失いながら、どうしてこんな小城一つ落とせないのか、
兄上とやらにどう言い訳するか考えておくんだな!」
「ならば、貴殿については騎士相当の身分の者として遇しよう。
もし我が兄に慈悲を期待しているのならそれは誤りだぞ!
兄上は確かに戦嫌いだが、それ以上に無慈悲で苛烈なお人でもある。
悪いことは言わん、私に降っておけ。
これは、刃を交えた友からの忠告と思え!」
なんだその友は。
そもそも、俺はこいつと刃を交えた記憶がない。
「城兵の無害退去は絶対譲れねえ。
俺一人なら大人しく捕虜になってやる。
言っておくが、これは破格の条件だぞ!
二束三文にもならない雑兵と引き換えに、お前さんの立派な騎士が一体何人命を落とすことになるか。
よーく考えてみやがれ!」
シャルルは少しばかり考え込む様子を見せてから、再び口を開いた。
「よかろう。貴殿一人を捕虜とし、丁重に扱うものとする。
他の者らには速やかにメイン伯領外へ退去することを条件に、無害退去を認めよう。
ただし、携行を許すのは武器は一人に一つ、防具は盾のみ、あとは背負える食料だけだ。
これ以上を求めるというならば、こちらも覚悟を決めようではないか」
さて、どうしたものか。
俺がちらりと〈犬〉に視線を送ると、彼は気が進まなさそうな顔で頷いていった。
「条件としちゃあ十分でしょう。
……しかし、お頭は本当にこれでいいんで?」
「丁重にもてなしてくれるって言うんならまあ文句はねえさ。
でも、身代金は早めに払ってくれよな」
「それはもう。
ですが、あちらが条件を守るかどうか……」
「もうどうにもならないだろう。
信じるか、死ぬか、だ」
「……ですな」
俺は窓から見御乗り出して叫んだ。
「よし! 扉を開くから待ってろ!」
かくして、俺は虜囚の身となった。
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